誰にも見えやしないけれど光が静かに流れてる  Vol.11

「木を活かすプロの仕事」
望月祐志(YM)×鈴木喜一(KS)

YM● 6月18日の【森から住宅を考える2004】のオープニング、建築塾の講師もされている筑波大学の安藤先生による『いまこそ国産材を活かそう!“里山から民家を考える”』の講演に伺ったんですが、2時間以上ぶっとおして、講演というよりは“講義”という内容の濃さでした。特に、縄文時代にまで遡って人が影響を与えた植生の変遷、それは焼畑の導入と二次林の発生とその利用・・・ということになると思うのですが、歴史的な経緯を系統的に踏まえた上で、植生学に基づいた里山の成立(あるいは利用)とその維持の必要性がよく分かりました。人の干渉が少ない“遺伝子のプール”としての深山の存在価値の指摘もなるほどと思いましたし。スライドを交えて繰り返し唱えられたお話では、栗と松の住居素材としての古来からの重要性は説得力がありました。
「8本のモミの柱を建てる」有名な諏訪の祭の民俗学的な説明を交えた写真もよかったですね。

KS● そう、やっぱり聞いてよかったでしょ。(笑) 安藤さんの話は、机上の学問ではなくってリアリティとスケール感があっていいですよね。参加してくれた人は、40人近かったと思うけれど、みなさん感動の面持ちでした。その“前座”で千葉弘幸君が話していた、国産材を縁台に加工して・・・という話もよかったですよね。全国各地から木を集めて、基本形はあるにしてもいろんな設計の縁台を作った。しかも、建築塾の仲間たちが手を動かして、実際に国産材に触れて作ったというところに意味があるんだよね。

※この対談はインターネットを経由したバーチャルコミュニケーション であり、
Vol.1」 「Vol.2
Vol.3」「Vol.4
Vol.5」「Vol.6
Vol.7」「Vol.8
Vol.9」「Vol.10
の続編となるものである。


信州諏訪大社 御柱祭
諏訪で行なわれる七年に一度の大祭。直径1メートル、長さ18メートル、重さは10トン程あるモミの大木を山から引きずり下ろすシーンが有名で、この柱を8本、山から切り出して諏訪大社に4本ずつ立てるもの。

 

●千葉弘幸氏
神楽坂建築塾塾生。自然回帰の家づくりを行う
千葉工務店の社長。

YM● なるほど、建築塾の“実習”っていう側面もあるわけですね。縁台は、これからの季節にはいいし、路地裏が多い神楽坂という場所にも合ってるように思いますね。座っても触っても、プラスチックや金属の椅子にはない、柔らかさと厚みのバランスがいいところですね。
 実際、安藤先生の講演の際も、縁台が会場に並べられて、そこにみんな座って話を聞いていたわけですが、なにより香がよかったですね。縁台を運びこむのを、マドンナ所員のKさんに「ちょっとやってよね!」みたいな調子で頼まれて(命令?)、やったんですが(笑)、運んでみると、縁台の木ごとに香はもちろん、色や油っぽさ、それに密度なんかが、かなり違うんですね。それが分かったのは楽しかった。そして、この香、“森の精”とか“フィトンチッド”とか言われるのですが、これは、新建材とかから蒸散されるホルマリンに代表される石油化学系物質の“異臭”とはぜんぜん違いますね。快適というか、なんだか、気持ちが癒されるような気がしてくる。

KS● そうでしょ。「木の家を建てる」ってことは、その香の中で暮らすということでもあるよね。それを、ささやかでも感じてもらえたんじゃないかな。

YM● たしかに。シックハウス症候群とか、あるいはその“学校版”とかが問題になりますが、昔はそういうことは言われていなかったですね。もちろん、食生活の変化やアレルギー原因が多様化しているいることも要因ですが、住宅内の化学物質も原因であることは(ほぼ)間違いないですよね。気密性が、新建材系だと高くなってしまってることも問題でしょう。

フィトンチッド
森林浴の効果でも注目される植物が蒸散する精油成分の総称。テルペン類が代表的で、元々は植物が他の植物を含めた外敵を排除するために放つ化学物質だが、人にとっては精神のリラックスなどの効果をもたらしてくれる。

KS● そうですね。木は「生きている」からね。温度や湿度に応じて、伸びたり・縮んだりする。
 木の違いでいうと、安藤さんの話でもあったけど、栗や松・・・、いろんな性質があって、そこを活かして適材適所に配していくというのが、僕ら設計者の仕事でもあるし、もちろん職人さんの技能でもあるんですよね。でも最近はなかなか、木を無垢のまま使えるということが少なくなっているんですよ。無垢であっても外材の方が安くてね、国産材はあり余っているのになかなか使われない。それが、林業の衰退、延いては森の荒廃を促進するし、自然環境の劣化にも繋がってしまう、といった悪循環なんだな。そろそろ、なんとか打破したいと思っているんだけどね。ちょっと危機意識があってね、それで、先日の企画展【森から住宅を考える】では国産材の縁台を持ちだして、作戦を立てているというわけなんですよ。とにかく、悪い循環は断ち切っていかないとね。ま、“プレカット”についても異論の声もあるんだけど、木を活かすという点では、やらないよりやっていく方がいい。


▲企画展「森から住宅を'考える」で作成された縁台。

YM● 悪循環、たしかにそうですね。リンクしていますね、いろんなことが、よろしくないことでも。
 市場経済原理だけでやってしまってることの“負の面”が、ここでも出てきてるような気がします。言い換えると、短期的なフローを優先して、長期的なストックを蔑ろにしてきたことのツケということですね。森林資源は、また努力をしていけば、「形はなんとか戻る」かもしれないのですが、人の持つ技能ですね、木を活かして家に組んでいく大工さんの技能、それが次第に継承されにくくなっていって、最悪途絶えてしまう・・・というのは、もっと深刻かもしれない。いや、大工さんだけでなく、広く林業に関わる人にとっても危機的なことではありますね。「プレカット材も、機械でただ切り出すことを続けてるだけじゃだめで、木に関する経験とか知恵とも残していかないといけないんだけど・・・」とか、千葉さんでしたっけ、言ってましたよね。
 ここで、また、本ネタなんですが(笑)。実は、大学生協の本屋でさぼっていたら『古民家スタイル No.2』(ワールドムック)を見つけちゃいましたよ。この本、事例も多いし、建築写真家の方がきちんと撮った写真が見ていて気持ちいいですね、建物のつくりのよさを引き立ててます。それで、トップに出てられるじゃないですか、【横寺の家】で。しかも、私もよく知っている高尾洋さんの事務所棟の“再生”もそうですが、ずっと一緒に仕事をされてきている佐藤さんという棟梁をはじめとする職人さんたちとの対談まで、宴会しながら楽しそうになさっている。(笑)

KS● あれ、あの本のことは知らせてなかったっけ?? まっ、いちいち知らせていたらキリがないからねぇ・・・。 

YM● このムックの後半、7月の公開講座でもパネルをされる倉敷の楢村さんらの【古民家再生工房】も出ていますね。


▲「古民家スタイル no2」
横寺の家」でおこなわれた座談会等の様子が掲載されています。横寺の家の改修に関わった棟梁や職人さんの話しや、鈴木喜一の住むかたちが紹介されています。【ワールドフォトプレス/1714円/発売中】


▲佐藤工務店の施工で1995年に竣工した高尾事務所。大正時代の民家をデジタルオフィスへと改修した。

KS● 望月さん、よく読んでますねえ。(笑) 公開講座に向けての下準備ってとこかな。

YM● では、ちょっとこの続きは、公開講座を受けてとして、ここで小休止しましょう。(笑)



KS● ちょっと間をあけたら、すっかり夏っていう感じだね。夏バテはしてませんか? さて、7月11日の楢村さんを迎えての公開講座はどうだったかな?

 

YM● いやぁ、今年の夏はちょっと暑くなりそうですね。それで、講座の方ですが、これがいい意味で「期待値とは違っていた」んですよ、楢村さんのお話というか、お仕事の内容が。『古民家スタイル』を読んだだけでは、わりとコンベンショナルなスタンスで仕事をされている方なのかな、と思っていたのですが・・・実際には常に挑戦的な思考・試行を、優れた“バランス感覚”の上でやっておられる方なのだな、ということが分かりました。
 平良先生の資料、それに講座の冒頭のところで「楢村さんは“現代建築”をやっておられて、新旧、あるいは和洋のヴァナキュラーで、時に対比・対立的な要素を(大胆に)ハイブリッド(=混成)させる・・・」ということを解説されたのですが、そのことが楢村さんの話を聞き進んでいくうちにとてもよく分かった。私がおもしろいな、とまず思ったのは、モロッコとかイスラム圏の石の要素、あるいはイタリア(ベネチアだったと思いますが)の壁面の要素を、内側の空間に取り入れておられるところでした。まさに、異種混成、ある意味キメラそのものの“実験”なのですが、スライドで見せていただいた作品というか、“再生後建築”には、“奇怪さ”というのはまるでない。極めて知的に調和が計算された印象を持ちました。計算っていうと、論理的な感じだけになってしまうのですが、相補的な感性(あるいは非言語的な?)での判断もハイブリッドされているというのか・・・。

KS● そうなんだよね。彼はかなり挑戦的。若い時に現代美術をやっていた経歴も関係しているかもしれないね。だけど、絶妙なバランス感覚もある。彼が描く旅のスケッチを見ているとそれがよくわかるんだよね。彼の旅はある意味で真面目というか、“建築家の旅”ですね。見たもの感じたものを、実作の中に着地させようとかなり意識的にやっているなと思いますね。とくに彼の事務所である創想舎を見ていると顕著に表現できている。ベニスの色、イスラムの色を、日本の民家が包み込む。僕の場合は、旅と建築はあまり結びついていないんですよね。(笑) そこが少し(いやかなり?)違うかなって思いました。つまり、僕は「ただ旅をしている」んです。楢村さんと同じように古い集落や民家やそこで繰り広げられている生活に心惹かれている。その方向性は同じなんだどね。旅をしている時、建築の仕事のことを僕は忘れちゃうんですよ。ですから、建築家より、絵描きになってますね。旅をして絵を描いて、そのことを楽しむというか、そういう習慣になっているので、楢村さんのようにデザインリサーチの意識がかなり薄い。

 


▲住宅建築別冊・55『民家は甦る』(発行:建築資料研究社)より平良先生の論文『岡山・モダンヴァナキュラリズム』が当日資料としてが配付された。

 

●キメラ
由来の異なる生体を接合あるいは貫入させることで得られる異形種で、実例は接木など(“雑種”とは違うことに注意)。元の名は、ギリシャ神話の中に出てくるライオンの頭、ヤギの胴、ヘビの尾をもち火を吐く怪獣である。

YM● ははあ、なるほど。(笑) “建築家の旅”っていうと、私は、原広司さんの著書の『集落の教え』を思い出してしまいました。これ、いわゆる【様態論】に関する本で、私はフラクタルの面からもおもしろく読んだのですが、たしかに「着想を得るために旅に出る」というのが、“建築家の旅”ってことになるのでしょうね。鈴木さんのは“絵描きの旅”なのかもしれないですが、「ヴァナキュラーな要素を(自分の中に)取り込む」行為であることには違いないですよね。楢村さんのお話の中で出てきたのですが、“視覚だけではない要素”が、ハイブリッドのバランスを図る上では本質的だということですね、それは“五感を駆使する設計”とも言えるかもしれないのですが。講座が済んで、ギャラリーの中庭でくつろいでられる楢村さんとお話が出来て、この辺りのこともお聞きしたんですが、やっぱり、フィールドワークを通じて鍛えられる“感覚”を常に大事にしておられるそうです。

KS● そりゃあそうだ。僕の旅は、なんというのかな、ま、ヴァナキュラーに浸る行為だな。(笑)

YM● これ、#10での話とも通じますが、やはり“思考の先走り”を止め、あるいは“補完”するものとして、「建築家はフィールドを忘れてはいけない」ですかね?! もちろん、平良先生も言われていたように理論、あるいは体系化された言説も、建築(民家に限らないですが)の質を高めていく上で重要とは思うのですが。(笑)

KS● まったく、その通り。僕のところでも、所員には「旅をした方がいい」って常に言ってるんですよ。


▲『集落の教え100』【著】原広司 彰国社255p(B6版)


●フラクタル
フラクタル(=fractal)を「数理科学的に発見」したのはマンデルブロで、単純な繰返し計算から生成される非定形でありながら自己相似的なパターンが特徴的である。雲や海岸線、植物の成長パターンにはフラクタル性がある。また、抽象絵画のポロックの作品にもフラクタル性が見出される。

YM● それと、楢村さんの仕事でおもしろかったのは、ある種の“シェル性”なんですね。平良先生の言葉でいうと“入れ子”ということに対応すると思うんですが。ま、生物的なことで言えば、“膜”の存在なんです。コアセルベートが生物の起源(ウィルスやプリオンはおいておくとして:笑)とされているんですが、重要なのは「細胞=個体の内側と外側を分ける」のに膜を持ったことです。それによって、環境の変化に対する抵抗性・応答性を持って「生き延びる」ことが出来るようになった。非平衡状態のダイナミズムを膜の内側に獲得したわけですね、まさに「生きてる」状態として。楢村さんの建築で言えば、膜の外側は、伝統的な街並みにも適応もするし、“建物の存在”を示す記号そのものだと思います。逆に、膜の内側、つまり“細胞内”ですね、そこにはハイブリッドな要素を自由に導入して、現代のライフスタイルに適合させた“新陳代謝”を促すような構造になっているということなんです。ポストモダンでは、平良先生がお嫌いな超高層もそうですが(笑)、バウハウス出身のミース、あるいはPジョンソンに代表される“インターナショナルスタイル”への抵抗というか反省から、“表層”、つまり膜の外側に、実に多種多様な要素を導入したわけですね。日本だとバブルの時期にポストモダンの流行が重なったので、商業建築などで“仇花”みたいなものがけっこう建ったようですが。例えば、秋葉原近くの『イズム』とか、世田谷の環八沿いの『M2』とか。(笑)
 楢村さん(や民家再生工房)のスタイルは、“反表層”で、“内実”にぐっと重みを置いていますね。商業施設やオフィスと違って「人が住む」ことが民家の目的なのだから、当然といえば当然かもしれないですが。“反ポストモダン”というより“ポストモダン”、平良先生のコピーなら【モダン・ヴァナキュラリズム】と言い換えられるのでしょうか。

KS● ふーん、なるほどそうかもねえ。(笑) 彼の仕事をいくつか見たけど、確かに、望月さんがそう言うとそうも思えてくる。“細胞”とか言説が上手いじゃない。(笑) でも、楢村建築を支えているのは、いい職人さん、本物の素材ですよ。“言葉遊び”じゃなくて、そのことはきちんと分かっててもらわないと困るな。

YM● えぇ、それは・・・前半の話ともまさに直結してますから、大丈夫ですよ。(笑)
 楢村さんは、職人さん、あるいは木材の業者さんとの付き合いについても繰り返し語っておられましたね。しかも、それが、どちらが主で従である、といった“垂直の関係”ではなく、もっとデモクラティックに“プロ同士の対等な関係”で仕事を進める・・・ことを実践されてきている、と。ここにも、頭でっかちなアプローチではない、強靱さ、しなやかさを感じますね。

KS● 彼はしなやかで、しぶとくて、したたかですよ。それを持っているのが“プロ意識”ですからね。当然のことですが職人さんをはじめ仲間を大切にしていますよね。森や国産材のことについては、信頼できる材木屋さんにきっちり任せている。東京とは建設状況が大分違いますからね。岡山のグループ(古民家再生工房)はほとんど国産材でつくっているはずですよ。ただね、彼らは言わば“ハイブリッド・ヴァナキュラリズム”ですから、ここぞというところには無垢の外材も配するんですよ。そのあたりがね、いい意味でこだわりが抜けている。設計者としての守備範囲がはっきりしていますね。
「いまこそ国産材を活かそう」というのは地域に密着して仕事をしている彼らにとって至極あたりまえのことですからね。

YM● なるほど、「木を活かす」プロ同士の地域ネットワークがきちんとしているんですね。なんか上手い具合に〆になってきました。さて、またぞろ“海外への逃避行”の頃合でしょうか?(笑)

KS● どうしようかな。この間(6月下旬)行ってきたばかりだからね。でも夏休みだし行こうかな。行き先は未だ内緒ですというか、自分でもわからない。(笑)

《了》

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