フランス・シトー派への旅
1981年の旅のノートから
[1996年10月 アユミギャラリー個展にて発表]

鈴木喜一


ノアラックの秋   ■ 

 中部フランスの美しくも哀しい田園が連綿と続いていく。白い牛達、農家、納屋……、そして人の生と死のように、晩秋の喬木は壮厳な風景を見せて来たるべき冬を耐えようとしている。揺れて黒煙を吐きながら、ローカル列車は自然の領土を突き抜ける。
 サン・アマンドの駅に着いたのは、暗い空になってしまった午後4時頃だった。小さなまちは、どこをどのように歩いても10分とかからないうちに田園と繋がれている。歩き疲れて身を投じた安宿の暗いバーでは、長い夜をやり過ごそうとする土地の人でにぎわっている。その空間の中で私はシュークルットやワインで口腹を満たしながら、ノアラック修道院に思いをふくらませていた。

 目を覚ますとホテルの窓は深い霧。寒い夜があけて、写真の撮れない空を悔やみながらも、リュックサックを整える。ともかく新しい朝が始まったのだ。気をとりなおしながらノアラック修道院までの道を歩き始める。濡れた野草、新鮮な空気、しめった道の上に張りついた秋の枯葉……、そうした野の風景が旅の心をやさしく包んでくれる。知らず知らずのうちに私は口ずさんでいる。歩くほどに空も晴れあがっていく。

 ノアラック修道院……、この魅力はいったい何だろう。私は牛や鳥達の鳴き声ばかりの静寂な野に存在している修道院の前に立ちつくしながら、静かに喜びをかみしめる。この建築にはそびえたつ双塔も、交差部の鐘楼も何もない。それはまちの中心にあってそのまちを代表するカテドラルの表情とは相違して、むしろ遁世の深い静けさをもった祈りの世界としてあらわれている。積み重ねられた石の深い色彩、切妻に切り落された単純な屋根、厚い壁にあけられた小さな窓……。石造の農家をそのまま精神的に高めていったような素朴な形体は、どうすることもできない波となって押しよせてくる。

 教会内部の床に、少し下がるように足を踏み入れる。半円筒ヴォールトの石造天井がつくりだす単純な空間。そこには壁画や絵ガラスは存在しない。わずかにシンメトリーをはずした清新な透過ガラスは天空の変わりゆく光の様を奥深い壁から伝え、そして外部の緑を淡く映している。私はゆっくりと歩きめぐりながら、珠玉のようなクロイスラー(回廊)に捉えられ、サン・ベルナールという12世紀の最も偉大な思想家の実現した空間に全身を沈めていった。 


シトー派について ■ ■ ■ 

 シトー派修道会は、1098年、当時のヨーロッパ修道会の中心であったベネデイクト会内のクリュニュー派が、ローマ法王、諸王、貴族達と結びつき、壮麗な教会の建築、巡礼の組織化、十字軍遠征の促進等に熱心であったのに対し、清貧を愛し、沈黙のうちに祈りと労働の生活を送ろうとブルゴーニュのシトーの地に創立されたという。彼らはベネディクト会の原初の精神にもどろうとし、その戒律を厳格に実施していった。中心的指導者であるクレルヴォーのサン・ベルナールにより全西ヨーロッパにひろめられ、12〜13世紀に最盛期に達している。

彼らの生活は、一枚のチュニツク、一枚の頭布つき法衣。共同寝室における一枚のわら布団。鉄製の一個のキリスト十字架像。粗末な食事。鐘も絵画もステンドグラスも彫像もない簡単な教会。無品級修道士の援助をともなった肉体労働。清浄で純潔な精神生活。完全な共同生活と修道会内における地方分権化であったといわれる。また、クリュニュー派は丘陵上に会堂を建てるのを好んだが、経済的自立を原則としていたシトー派は、農地開拓に適し、都市とも連絡のよい低地の森、川、泉の周辺に修道院を建設した。彼らはグランジェと呼ばれる農業経営上の施設をつくり、所領をグランジェ単位に配分し、そのまわりに耕地、牧草地、ブドウ園、森林、河川等がとりまくように計画し、小麦畑をつくり、ブドウを栽培し、牧羊等を行った。これは西欧の近代的農場経営のモデルともなったものである。


Abbaye de Fontenay ■ ■  

 Abbaye de Fontenay(フォントネー)という12世紀の修道院がフランスのブルゴーニュ地方にある。
 それはMontbardという小さな駅から約7km、美しいブルゴーニュの自然に包まれていた。
 清浄な空気、緑の野草、地を這う様ざまな枯葉、荷車を押してきた子供達、素朴な村々……。そんな風景が小さな雨にうたれ、風に吹かれている。建築に向かう旅は歩かねばならない。一人歩きながら建築に対面する素直な心を宿さねばならない……。ヴァナキュラー(土着的風土の中から自然に生まれてきた)な建築の素朴さに、聖ベルナールの精神を挿入し、−つの建築として空間化させたものにシトー派建築というものがある。このフォントネー修道院やノアラック修道院はその代表的なものである。それらは何の変哲もない、驚かしもないファサードと空間を持っている。攻めも守りも無く、自然と外界に対して実に楽に生きている建築であり、長閑かな、かつ精神的な建築でもある。教会内部は固く踏みつめた土、身廊は高くなく低くなく、やや尖りをみせる円形ヴォールト、側廊は窓からの光を呼び込むような横断アーチ、質素で清浄なステンドグラスはガラスそのものの透明な、はかない美しさをみせている。土間はゆるやかに波状して、光によってたえず揺れている。

 こうした何の虚飾も権威づけもない、農家あるいは倉庫の延長のような空間をもつシトー派建築は、ロマネスク時代の一つの至高点であるばかりでなく、現代建築が求めていかなければならない空間の清らかさ、豊かさを持っている。神の家の美しさを求めていった大聖堂建築に対して、シトー派建築は神に対する人間の祈りの空間を実現したともいえるのではないだろうか。 

 ヴァナキュラーな建物の素朴さに、シトー派のこうした精神を結実させて、一つの建築として空間化したものが、このノアラック修道院であり、名高いフォントネー修道院であった。それらの空間には、石が石として、木が木として、ガラスがガラスとしてその生命と精神を失わずに存在している。材料が美しい! そんな感慨を私に抱かせる。それはまた、現代建築が急速な勢いで失ってしまった本物の材料の豊かさを教えてくれる。

 建築とは、人を驚かせたり、権威づけたり、誇張したりするものであってほしくない。シトー派の建築には、神の家としての華麗な輝きはないが、無力にも等しいことを知った人間の個としての謙虚な祈りの空間が息づいている。それはきわめて自然で無欲な建築の成立の仕方であろう。旅で解き放された心に何の束縛もないように、シトー派建築は、建築に何かを背負うことなく生きてきた。これらの修道院は、山岳にでもなく、都市にでもなく、野に咲いている。


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