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1981年の旅のノートから [1996年10月 アユミギャラリー個展にて発表] 鈴木喜一 |
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ノアラックの秋 ■ ■ ■ |
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中部フランスの美しくも哀しい田園が連綿と続いていく。白い牛達、農家、納屋……、そして人の生と死のように、晩秋の喬木は壮厳な風景を見せて来たるべき冬を耐えようとしている。揺れて黒煙を吐きながら、ローカル列車は自然の領土を突き抜ける。
教会内部の床に、少し下がるように足を踏み入れる。半円筒ヴォールトの石造天井がつくりだす単純な空間。そこには壁画や絵ガラスは存在しない。わずかにシンメトリーをはずした清新な透過ガラスは天空の変わりゆく光の様を奥深い壁から伝え、そして外部の緑を淡く映している。私はゆっくりと歩きめぐりながら、珠玉のようなクロイスラー(回廊)に捉えられ、サン・ベルナールという12世紀の最も偉大な思想家の実現した空間に全身を沈めていった。 |
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シトー派について ■ ■ ■ |
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シトー派修道会は、1098年、当時のヨーロッパ修道会の中心であったベネデイクト会内のクリュニュー派が、ローマ法王、諸王、貴族達と結びつき、壮麗な教会の建築、巡礼の組織化、十字軍遠征の促進等に熱心であったのに対し、清貧を愛し、沈黙のうちに祈りと労働の生活を送ろうとブルゴーニュのシトーの地に創立されたという。彼らはベネディクト会の原初の精神にもどろうとし、その戒律を厳格に実施していった。中心的指導者であるクレルヴォーのサン・ベルナールにより全西ヨーロッパにひろめられ、12〜13世紀に最盛期に達している。 彼らの生活は、一枚のチュニツク、一枚の頭布つき法衣。共同寝室における一枚のわら布団。鉄製の一個のキリスト十字架像。粗末な食事。鐘も絵画もステンドグラスも彫像もない簡単な教会。無品級修道士の援助をともなった肉体労働。清浄で純潔な精神生活。完全な共同生活と修道会内における地方分権化であったといわれる。また、クリュニュー派は丘陵上に会堂を建てるのを好んだが、経済的自立を原則としていたシトー派は、農地開拓に適し、都市とも連絡のよい低地の森、川、泉の周辺に修道院を建設した。彼らはグランジェと呼ばれる農業経営上の施設をつくり、所領をグランジェ単位に配分し、そのまわりに耕地、牧草地、ブドウ園、森林、河川等がとりまくように計画し、小麦畑をつくり、ブドウを栽培し、牧羊等を行った。これは西欧の近代的農場経営のモデルともなったものである。
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Abbaye de Fontenay ■ ■ ■ |
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Abbaye de
Fontenay(フォントネー)という12世紀の修道院がフランスのブルゴーニュ地方にある。 こうした何の虚飾も権威づけもない、農家あるいは倉庫の延長のような空間をもつシトー派建築は、ロマネスク時代の一つの至高点であるばかりでなく、現代建築が求めていかなければならない空間の清らかさ、豊かさを持っている。神の家の美しさを求めていった大聖堂建築に対して、シトー派建築は神に対する人間の祈りの空間を実現したともいえるのではないだろうか。 ヴァナキュラーな建物の素朴さに、シトー派のこうした精神を結実させて、一つの建築として空間化したものが、このノアラック修道院であり、名高いフォントネー修道院であった。それらの空間には、石が石として、木が木として、ガラスがガラスとしてその生命と精神を失わずに存在している。材料が美しい! そんな感慨を私に抱かせる。それはまた、現代建築が急速な勢いで失ってしまった本物の材料の豊かさを教えてくれる。 建築とは、人を驚かせたり、権威づけたり、誇張したりするものであってほしくない。シトー派の建築には、神の家としての華麗な輝きはないが、無力にも等しいことを知った人間の個としての謙虚な祈りの空間が息づいている。それはきわめて自然で無欲な建築の成立の仕方であろう。旅で解き放された心に何の束縛もないように、シトー派建築は、建築に何かを背負うことなく生きてきた。これらの修道院は、山岳にでもなく、都市にでもなく、野に咲いている。 |
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