アユミギャラリー 旅の対談 Vol.2


鈴木喜一(建築家・武蔵野美術大学講師)……聞き手:渡邉義孝

―――お帰りなさい。恒例の冬のスケッチ巡礼はいかがでしたか。今回は中欧のどのあたりを歩いていたんですか?

 メインはルーマニア。それにハンガリーとチェコ、スロバキアにも足を運んだ。全体で24日間。とにかく寒かったあ。最低気温がマイナス15度から20度近くまでいってたね。日中でも氷点下。

―――そんな中でも絵を描いていたんですか?

 24日でF4サイズ以上のものが15枚。クロッキーのようなものはのぞいてね。「一日一枚」というのが僕の目標だけど、何せ今回は気象状況が厳しくて、なかなかスケッチする体勢に入れなかった。最初がブカレストの街だったということもあるね。まあ、殺伐としてるんですよ。渡邉君は首都のブカレストに行った?

―――いいえ。「治安が悪い」と評判だったので怖じ気づいちゃって(笑)。

 ああ、そうそう。町中で男が親しげに声をかけてくるんだよ。話し始めるとしばらくして、警官を名乗る男が「パスポートを見せろ」と寄ってくる。

―――もしかしてニセ警官?

 そう。旅券やカネを取るつもりなんだね。「ああ、これはグルだな」と気づいたから、スタスタと離れていく……、なんてこともあった。

―――追ってこないんですか?

 だからニセだってわかっちゃうよね(笑)。まあ、そんなにしつこくはない。「バルカンのプチパリ」と言われたブカレストは、チャウシェスク大統領の時代に強引な近代化が進み、歴史的な町並みがずいぶん壊されたらしいね。その代わりに建てられたのが「大統領の宮殿」として悪名高い「人民宮」等の、ひたすら巨大で威圧的な建築群だったわけだ。旧市街があるにはあるけれど、古い建物はメンテナンスも悪く、廃虚になったままというエリアも目についた。クリスマスから年末年始という時期もあったのだろうけど、街は人気も少なく、物資も乏しいようだし、全体的に生活の厳しさを感じたね。

―――そうでしたか。僕が訪ねた2000年でも、貧富の差が拡大しているとこぼす市民が多かったし、「独裁が終わって民主化された」というニュースだけでは伝わらない苦悩をいやでも感じてしまいますよね。またスケッチの話に戻りますが、極寒の中でどのようスケッチしているんですか?

 ようやく一枚目を描いたのが日本を出てから6日目、ルーマニア北部のサツマーレという小さなまちだった。ずいぶん難産だったなあ。えーっと、極寒スケッチの心得……。これはね、やはり気合い。精神力で手は1時間は持つ。だけど絵具が凍結する。溶き水の容器をフトコロで温めながら色をつけていくんだけど、紙の表面に絵具をおいたとたんに画面が凍る。パレットの絵具はシャリシャリとシャーベット状になる、ということで、思い切りとスピードが大事。それでも寒い場所のスケッチは寒い場所で描くということを基本にする。絵の中にその寒い空気と風を入れなくちゃいけない。だから体をはってね、自然の方に、にじり寄って行くわけです。うまく描こうなんてとても無理なわけ。

―――うーん。そんな絵を描くと地元の人はどんなふうに反応するんですか?

 ブダペストで描いた時は「カラーコピーを送ってくれ」と言って、住所を僕のノートに書いていく男がいたり、サツマーレでは「5万レイ(約200円)で売ってくれないか」と言われた。オロモーツのレストランでは「さっき描いてたスケッチを見せてくれ」とみんなに言われて展覧会状態になり、言葉もわからないから、笑顔と身振り手振りでほめてくれて……、まっ、そんな時はがんばって絵を描いてよかったなと思える一瞬だね。その土地の人が喜んでくれる。

―――絵を描いていると、確かにどこに行っても歓迎してくれますよね。ところで、ルーマニアは再訪したい国ですか?

 うん。でも次は日が長くてあたたかい季節にね(笑)。

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