旅の心をつなぎとめるもの
書評
[『住宅建築』2001年12月号 私の本棚]

鈴木喜一

『MAKING SENSE OF WINE』(マット・クレイマー)/白水社
『古民家再生術』(古民家再生工房)/住まいの図書館出版局
『アウシュヴィッツへの旅』(長田弘)/中公新書
『Memory/Silence/Life』(Magdalena Abakanowicz )/朝日新聞社
『アフガニスタンの風』(ドレス・レッシング)/昌文社


この世はなんとも微妙なものに溢れている   ■ 

 久し振りに大井町のラ・カンティネッタでワイン好きな友人と一緒にワインを飲んだ。この店のインテリアはアイデアコンペで最優秀賞を獲得した末武純子さんの設計によるものだが、我が神楽坂建築塾の塾生たちもボランティアに汗を流した店である。コンペの審査員で、この工事の監修者でもある僕は、未完成なこの店にたまにやって来て「なかなか進まないね。困ったな……」等と言いながらおいしいワインを味わっている。

 店長の安藤文隆さんも神楽坂建築塾の研究生なので、彼は僕の教え子ということになるのだが、ワインについては当然立場が逆転する。

 ワイン好きな友人とは榎明人さんのことなのだが、現在、僕の設計で八ケ岳に別荘のような自宅をつくっている。その地下に酒庫(ワインセラー)を設けたのであれこれとワインとその空間の在りようについて思いを巡らせている渦中なのである。そんな榎さんに安藤さんが薦めてくれたのは『MAKING SENSE OF WINE』というマット・クレイマーという著者の本だった。パラパラと繰ってみると、おもしろそうな本である。榎さんはさっそく買い求めて読んでみようと言い、僕もついつい読んでみたくなった。「とてもいい翻訳ですが、原本もあるのでそれもあわせてお貸ししましょう」と安藤さんが言い、さっさと中二階の書庫から素敵なカバージャケットの本を持ってきてくれた。

 THINKING WINE、その第一章の冒頭にはジャン・ジオノの『流れる水』の一節が紹介されている。

One cannot know a country through geographical science alone . . .

I don't believe that one can know anything through science alone. As an instrument, it is both too precise and too harsh. The world is filled with so many sorts of tenderness. To understand them, and before knowing what they represent as a whole, one must yield to them. _ Jean Giono

「地理学だけでは、一国を知ることはできない。それどころか、何ごとによらず科学だけでは理解することなど、まずない。科学は手段として精密にすぎると同時に、あまりに粗雑である。この世はなんとも微妙なものに溢れている。そいつを理解しようと思ったら、その全体像を頭で考えるより先に、まずその前にひれ伏さなければならない」

 この訳で 、tenderness を「微妙なもの」 に訳してしていることに僕はうんうんとうなづいてしまった。

 マット・クレイマーのこの本は、どんな世界においても対象に立ち向かう態度とアプローチの方法が問題だ、ということから始まる。驚く人もいるだろうが、知識がそこに占める割合はきわめて少ないとも断言している。

 モミジの分厚いカウンターに頬杖をつき、ロゼで有名な ANJOU というロアールの「白」ワインをゆっくり飲みながら、この言葉を僕は建築の世界に置き換えてみる。


写真提供・LA CANTINETTA

  


対象に限りなく接近する   ■ ■ ■ 

「何を考えてるの?」と榎さん。

「この本のここね、建築を観察するということにしてみると、確かにそういうことが言えるんですよ。まず、対象との対話、これが僕流にいうとスケッチであったり実測であったりするんですね。そういう場合、やっぱり僕はその前にひれ伏しているということがあるんだな」

「ふーん、まず対象に限りなく接近するというわけ……」

「そう、頭で考えるより手足で考える」

 僕は『古民家再生術』という本の中で、友人建築家の神家昭雄さんがスケッチと実測についてこんなことを語っていたことを思い出す。民家の再生で大切なのは、現状の建物を正確に理解することで、そのための実測調査は、避けて通れない作業であるのだが、そこには十分に面白くて貴重な発見がある。つまり、その建物の履歴や物語を辿れる。過去に住んだ人たちの生き方までが浮かび上がってくる、としている。また、旅に出るとスケッチブックを開き、古い街並、崩れかけた遺跡、アノニマスな風景を無心で描いているのだが、その中に潜む多様な風土や伝統、文化や生活などあらゆるものを感じとっている、とも。

 まちや建築を保存し再生していくことは、いま最も大切なテーマだと僕は思っているのだが彼の基本態度はすごくよくわかる。平良敬一氏がよく言う〈風景の体験があってはじめて身のうちに感得しえる事柄〉なのだろう。

DRINKING WINE

「鈴木さん、最近はどこらあたりの対象に接近してきたの?」
「ポーランドのワルシャワ、クラクフあたり」
「ワルシャワは第二次世界大戦でナチス軍に徹底的に破壊されたんだよね」
「そう、旧市街の広場に面する歴史博物館でその壊滅状態の写真を見たんだけれど、ひどいものだった。それをワルシャワ市民は丹念に、しかもまっさきに再生していった」
「壁の割れ目まで復元した、というのは有名な話だね」
「その執拗な仕事ぶりには実際驚かざるをえなかった。建物の全体的な意匠はむろん石積みの形からコーナーストーンの位置、それに看板や家々の紋章にいたるまで忠実に復元している。戦前の緻密な風景画や写真・実測図面が重要な基礎資料になったんだ」
「なぜ彼らがそこまでやったのかという問題は単純に捉えられないないな」 
「うん、そうなんだよね。街を元に戻すことは彼らのアイディンティティを固く保持することだった。かつてと同じように復元するのは手間ひまかかることではあるけれど、彼らの世界をあらためてディフェンスすることだった」
「つまり、まちを再生することは彼らの闘いだった……」
DRINKING WINE、ラ・カンティネッタの夜はこんなふうにいつのまにか主題であるワインセラーのあり方から遠のいていった。ポーランドの旅へと。

 


旅の心をつなぎとめるもの ■ ■  

 ポーランドから帰国してまもなく僕は本棚の中におさまっていた何冊かの本をそっと抜き出し、手元において深夜少しずつ読み直している。
 その一、『アウシュヴィッツへの旅』(長田弘)
 DRINKING ZUBROWKA、ズブロッカをちょっとだけ飲みながら……。

 中世の古い街クラクフからバスで二時間余りだったろうか、アウシュヴィッツ(オシフィエンチム)に行ってみた。まず、あの有名な「ARBEIT MACHT FREI(アルバイト・マハト・フライ/働けば自由になる)」というゲートをくぐり、博物館になっている赤煉瓦の収容所を一棟一棟見学した。巨大なガラス室に収められた凄絶な遺品、ガス室や焼却炉を見るにつけ、言葉にできない無念な思いが走った。人間が自ら生きることを奪われて死んでいく。

 ほんとうはもう一つの強制収容所であるビルケナウも見ておくべきだったのかもしれない。だが、僕はどうしてもこの収容所のスケッチをしておきたいという思いにかられていた。いま戦争をしようと思っている人たちはこの死の記憶をいったいなんと心得ているのだろうか。

 この本を引っ張り出して僕のアウシュヴィッツへの旅を辿っているのは「生きるという手仕事」の意味をもう一度確認したかったからだろう。

 その二、『Memory/Silence/Life』(Magdalena Abakanowicz )

 僕はあの収容所で、かつてセゾン美術館で展覧会を開催したポーランドの現代美術作家マグダレーナ・アバカノヴィッチのことを思い出していた。彼女がストレートに語りかけていた「沈黙と記憶といのち」が同じようにあの場所にあったからだ。あらためてこの本を繰り、彼女の「背中」(Backs)や「座る人体」(Seated Figures)や「群衆」(Crowd)を見ていると人間が所有している生と死、その内にある孤独や恐怖、そしてその先にある虚無すらまでも覚醒させる。

 その三、『アフガニスタンの風』(ドレス・レッシング)

 この本は実に魅力的な書き出しで始まる。ギリシア神話のトロイア戦争の話をおいているのである。ドレス・レッシングは女予言者カッサンドラーと自分をまず重ねあわせねてからアフガン難民であふれかえるはパキスタンのぺシャワールに向かう。

 読み進めていくうちに、著者の一九八六年の旅と、僕の一九八三年の旅が静かに重なってくる。

 カイバルパスという越えることのできなかった峠がある。僕はパシュトゥン族と一緒にぺシャワールからバスでカブールに向かったが、峠の検問で予期した通り降ろされる。兵士はライフルを持っていて「すぐ、降りろ」と非情に言い放った。

 その後、僕は延々と国境沿いに位置する難民の村を歩き続けた。当時、このあたりにはアフガン難民が約三〇〇万人いると言われていた。彼らの棲家は日乾レンガの家というよりは日に干した土の塊、つまり泥土の家の集落だった。

 その時、彼らの生活の中に僕が見たものは、絶望をあまりに遠く越えてしまった諦観のような静けさであり、一日一日を深々と生きている感覚でもあり、子供たちのいくつもの汚れた手を通して伝わってくる無数の生の現実だった。

 旅とは、むき出しの生を垣間見て訣別していくこと、と僕はノートに記しているが、ドレス・レッシングはむき出しの生をこの本の中で執拗に追い続けている。

DRINKING HOT WINE 

 僕は静まりかえった深夜のアトリエで一人ホットワインを飲みながら、その四、その五、と旅の心をつなぎとめる本を膝元に積んでゆく。


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