僕のとなりの国にいるちがう顔の人たち


VOL.5

究極の乗り物

チャンドラコット・ネパール  Sketch by Kiichi Suzuki

チャンドラコット・ネパール

 


つい最近、体調が良くないのにヒマラヤのトレッキングに行ってきた。ちょっと肝臓の具合が悪いのだ。友だちは、その体でヒマラヤに行くとは、そのこと自体が病気だと、呆れた口調で言い放つのであった。
確かにその通りなのだが、でも半分は仕事だったので、いや、かなり重要な仕事だったので呆れられても仕方がないのである。
『建築と環境と教育の原点を見つめる』というスケールの大きなテーマで、女っ気なし、気心の知れた仕事仲間の建築家を中心に11人、ヒマラヤの大舞台を背景として、人間の生活の原風景を考える、という久し振りの大マジメツアーだったのである。
本題に入ろう。究極の乗り物というと、みんな何を思い浮かべるだろうか? タイにはサムローという懐かしい三輪車が走っているし、カルカッタには人力車も走っている。ミャンマーやインドにはリキシャー(賃走自転車)が走っている。中国の奥地にはロバやラクダやカッチャン(ロバと馬の合いの子)、牛車や馬車も走っている。当然、そのいずれでもない。水上を行く帆船やボートでもない。空を飛ぶロケットや気球でもない。
究極と言えるかどうか、……まあ、言ってしまおう。じつは《竹篭》なのである。えっ、篭なんか使って大名旅行じゃないか、と思われるかもしれないが、山村で死にそうな病人を運ぶのにこれを使うので、日常の道具なのである。うらやましがられるほどのものではなく、情けない道具なのである。乗り心地だってかなり悪い。
トレッキングルートを思うように歩けないぼくは、この竹篭にのって、後ずさりしていく風景を見ていたのだった。ぼくを背負ってくれた男は、カトマンズとポカラのほぼ中間に位置する名もない村の出身で、ひたすら寡黙、ヒエで作ったロキシーという地酒が病的に好きのようだった。
彼に篭で背負われたのは5日間、すがすがしい空気を吸いながらの旅も、夕方になると必ず大粒のヒョウが降ってきて、激しい雨になり、雷鳴がとどろき、イナズマは派手にヒマラヤの空を裂くのだった。山道はかなり険しく、雨季で足場も悪かったが、男は強靭で一度たりとも揺らぐことはなかった。
ヒマラヤの雄大な風景の中で《人力背負い篭》
究極の乗り物である。        

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