神楽坂建築塾修了制作展 論文 |
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小楠 菜穂子(東京都)
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はじめに |
どんなものに興味をもつかで、その人間の美意識の方向がわかる。私の場合、幼い頃より、古いもの、日本的なものが好きだった。なぜなのかはわからないがずっと興味をもちつづけ、また、なぜ自分が興味をもつのかを折にふれて考えてきた。建築塾に参加する気になったのも、そうした自分の基本的な関心とかかわるところがあるだろうという期待があったからだ。「建築」そのものについては、こちらはあくまで受け手であり、なにかを生みだすことはできないが、十ヶ月の座学とフィールドワークをとおして、受け手なりに考える機会を与えてもらった。つれづれながら、そんな考えをまとめてみたい。 |
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暮らしたかった昔の日本 |
これは本郷信楽町に住んでゐた頃の話である。当時は帝大の前を電車が走つてゐたと書いても電車も帝大も戦後まであることはあつたのだからそれだけでは時代を示したことにはならない。それならば日本で戦前とか戦後だとか言ふやうなことになるとは誰も思つてゐなかつた時代といふことにして置かうか。兔に角帝大と電車が出たのだからこれが文久三年と言つた大昔でないこと位は解る筈である。どうもその頃はその電車が通つていゐる道も砂利道だつたやうな気がする。 吉田健一『東京の昔』より 上記に引用した小説を読んだのは自分が二十代前半のころ、そして時代は八十年代中頃だった。昭和のごく初期の設定であるらしいこの小説には、建築のことはあまり出てこないが、主人公(独身)が住んでいたのが貸間で、また、当時はたいていの人が貸間や貸家に住んでいた、ということははっきり書いてある。その下宿住まいの主人公とそのまわりの人間の交流は、淡々としていながら、生活の喜びにあふれている。どんな場所で飲み食いしたかについてかなり細かい描写があるが、飲み食いの内容や場所にこだわるのはグルメでもいじきたなさでもなく、生活を大切にしていることのあらわれであると思う。この小説の中では、町は人間の生活のためにあるということが強く感じられた。それがほんとうに昭和初期の東京の姿だったのかはわからない。しかし、そんなに大昔でない時代に日本人がこんなに豊かな生活をしていた時期があった(らしい)ということは、日本好き古いもの好きの自分にとっては、たいへん心強く感じられ、しばらくの間、この小説は私の理想の生活を表したお手本となっていた。 |
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タイムマシンと町づくり |
いつ頃か忘れたが家族旅行で木曾へ行ったことがある。木曾には江戸時代そのままの町並が残っていると何かで知って、連れていってもらった。今考えるに、これは疑似タイムマシン経験をしたかったからではないかと思う。たとえば教科書に「江戸時代の人はこれこれの家に住んでいてこんなふうに生活していました。」と書いてあっても、それではただのお話である。でも実際に江戸時代の現物を見たり触ったりできるなんて!タイムマシンで江戸時代にでかけるのと同じではないか。 |
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「昔」のきびしさ ―民家について―「昔」のきびしさ ―民家について― |
大橋富夫氏の写真は衝撃的だった。あのような美を目前にする機会は、今後おそらくまれだろう。自然の力に対し人間が素手と素手で作った道具とでもってつくしてつくりあげたスタイルは、その土地と時代に固有のものであり、使われている自然素材の種類の豊かさも含め再現することは不可能だと思われる。厳しい自然環境と社会情勢の中、もてる力と知恵を出し尽くしつくりあげた自分たちの家を、当時の人々はどう見ていただろう。現代人のように、自分の好みで見かけを選んだわけではない。それでも、たとえば雨仕舞のためにさまざまな素材を使って工夫がこらされている萱葺き屋根の棟部分には、単に必要や必然からだけでうまれたとは思えない造形美がある。あれらの家に住んだ人たちは、どんなに生活がきびしくても、美を感じたときがあったと私は信じる。「こうして薪で火をおこしている時間だけが唯一私が座っていられる時間なんです」と言ったという一九五〇年代の農家の主婦も、かまどで火の世話をやきながら、ふとみあげた我が家の天井の梁材をつくづくみつめ、その形や風合いを無意識のうちに鑑賞することもあったと思う。また、民家園で実物をみた「押板」は、最低限の衣食住目的ではなく、そもそもが「飾る」とい---うことが目的の場所である。つましい生活の中でも美をみいだそうとしたのだ。ノスタルジックでない、生活の厳しい「本当の昔」にも、そのときだけの必然の美があり、日本人の心に、その特有の美はひきつがれてきたはずだ。 |
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少し前の「今」から学ぶー三島由紀夫の家 |
こんどは「今」について考えてみる。「今」がいつからとするかについては、ここでは、人々が自分のうまれた場所から抜け出すチャンスをつかんだ時代以降、ということにしておく。どこに住むか、どんな家に住むか、選べる時代といってもいい。 |
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現在の選択―「買う」家ではないもの |
もっと最近の「今」、現在の私達が美意識をもって選択するとどうなるだろうか。民家がうまれた時代、最大のしばりとなったのは圧倒的な自然の力だった。素材といい手段といい必然的にきまってきた。 |
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温故知新は少し前の「今」を参考に |
現在、少しでも生活における美に意識的な人ならば、最低限、住宅メーカーのカタログは避けたいと思うだろう。ではたとえば建築家に依頼するとして、いったいどのような内容で依頼すればいいのか?つまり、自分で住みたい家とはどんなものなのか?それを自覚している人は少ないと思う。三島のように思いきってひとつのスタイルを選択することもむずかしい(それに、ほんとうにあの家で彼が落ち着いていたかどうかはわからない)。機能や便宜を選ぶ時ですら、実際は、メディアから受身で与えられた、「必要なはず」「あると便利なはず」だがほんとうはその人にはいらないもの、も含まれている可能性がおおいにある。 |
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おわりに |
古いものと日本的なものがなぜ好きか、の理由は、結論が出せるようなものでもないし、今回この論文をまとめるにあたってもあまり大きな前進があったともいえない。とはいえ、建築塾講師の方々のいろいろな話をきき、いろいろな建築をみることで、私自身はいろいろな刺激をうけることができた。そこで、最後に、受け手の側から提案をしてみたい。それは、「和のホスピス」である。 |
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