神楽坂建築塾修了制作展 論文

京都における建物の保存再生の事例
武田 泰利(東京都)
               
*文中の写真はインターネット上では見ることができません。ご了承ください。

1. はじめに   

      

 建築に対しては素人の私ですが、昔から建物を見るのは大好きであり、近頃では珍しくなくなった有名建築物の所在マップを片手に街をぶらついていたものでした。 近代建築などというジャンル分けがあることも知らずにいたわけですが、後藤治氏の文化財登録制度の講義を聴いたこと、本郷での登録文化財見学の街歩きを行ったことがきっかけとなり、社寺や城とはまた異なって、まだ現役として活躍している古い建物に今まで以上に関心を抱くようになりました。 このことは私自身が年を取ってきて落ち着いた、歴史のあるものに惹かれるようになってきたこととも無縁ではないのでしょうが、地域固有の文化財や歴史遺産を生かし、従来のように新しい建築だけではないまちづくりの必要性を感じ、少し調べてみることにしたのです。
 また実際の保存・再生の実例については京都の建物を取り上げてみました。京都を選んだのは、昨年の後半から関西に行く機会が増えたこと、関西の出身でありながらあまり京都を訪れたことがなかったので、戦災をまぬがれて古い建物の保存の実例も多そうなこの街の保存実体を見てみようと思ったこと、また新幹線から見える巨大な衝立のような京都駅ビルの出現を許した京都において、その対局にあるような建物の保存がいかに行われているのかに興味が湧いたことが理由でした。


2. 京都における建築の再生手法と実例

(1) 三条通界隈

 ここ10年ほどの間に、京都ホテルや京都駅などの高層建築に対する各層の論議、風致地区や美観地区に対する行政の指導力不足などの建築分野における動きがあり、また昔からの情緒のある木造建築が次々と壊されてゆき、その後に日本各地どこにでもある新建材の住宅、安普請のアパートまたは巨大なマンションやビルになってしまう状況が出現していました。
 そんな京都の町の中で、三条通の寺町〜室町間と、寺町通の丸太町〜御池間は京都の歴史を感じさせながら新しい感覚の部分もあり、住民の生活が主体になりながら魅力ある町並みを形成している通りであると聞いたため、早速訪問してみました

a. 三条通全体(写真A,B)

 確かに古い町屋が残っており、木造の旅館や商店が昔ながらの姿で営業しているし、レンガ造りの明治建築や大正洋風建築も立派にその存在を示しています。 そんな建物の間に新しい建物もあり、明治、大正、昭和それぞれの建物が混在して違った表情の建築によって町並みができており、年輪が感じられます。
 その歴史を簡単にたどってみますと、三条通は京都のビジネスセンターであり、東は三条大橋から西に約1Kmの区間が、江戸時代から明治時代に至るまで、京都経済の中心部でありました。 
 まず、近世において、三条通りは何よりもまずターミナルでありました。 東海道の起終点であり、また大阪へ至る高瀬川の船着き場にも近い、交通の要所でした。
 こうした反映は、明治に入っても揺らぐことはなく、近代国家の成立とともに、物資と情報の流れはますます活発になり、三条通の役割はむしろ高まって行きました。 飛脚問屋に代わって、郵便局、電話局が置かれ、また新聞社が次々と立地してゆきました。 また三条通周辺は銀行の街でもありました。 明治19年に地場銀行・京都商工銀行が東洞院六角に設立されたのに始まり、大小六つの銀行が三条通付近に所在し、また保険会社の三条通への開店も相次ぎました。 その締めくくりとして明治39年には三条富小路に日本銀行京都支店が設置されました。
 しかし、こうした三条通の反映も大正期に入る頃から急激に失われていきます。 第一の原因は鉄道輸送の発達と考えられます。 高瀬川の水運も大正9年に廃止され、三条通のターミナル性はもはやなくなってしまいました。 大正半ばから三条通に多くあった織物問屋が南下、つまり京都駅方面へ移動。 これに追従する形で銀行、保険会社が三条通から拡幅された烏丸通へ転出していきました。 烏丸通は明治45年に道路幅が6mから27mに広げられ、市電が通行するようになり、金融、証券、保険業の街区として純化していきました。
 一方、三条通はレンガ造りの建物が多くあったためか、道路幅を広げることもされず、市電の敷設もできなかったので、当時のままの建物が残されることとなったのです。
 実際、三条通を歩いてみると、予想していた以上に道幅は狭く、通りの建物はいろいろな時代の建物が入り交じり、また通りには大きな予備校もあり予備校生も数多く歩いていたため、ごちゃごちゃした感じは否めませんでした。 しかし、これは近代建築や町屋が博物館として保存されていたり、野外博物館内に陳列物として保存されているのではなく、まさにまだ生きている建物として活用されていることの結果なのですから、その活気は喜ぶべきものといってよいかもしれません。
 電柱、アスファルト舗装、看板に手を加えれば、よりいっそう魅力的なまちなみに変われるものと考えます。

b. 毎日新聞社 京都支局 (写真C)

・ 設計 : 武田五一
・ 用途 : オフィスビル・商業施設
・ 竣工 : 1928年(昭和3年)
・ 構造 : RC造3階建
・ 3階のバルコニー他建物のいろいろなところに毎日新聞社の社章である星印がデザインされており、建物全体にアールデコの影響があります。 解説書では1998年現役の毎日新聞社 京都支局であると記載されていましたが、99年12月には1階ホールでは若手写真家たちの展示会会場、地下はレストランとして利用されていました。 最近だと考えられますが、外壁の色が少しピンクががって塗装されており、少し落ち着きを欠くイメージあり。 オリジナルもこの色だったのでしょうか。

c. 京都ダマシンカンパニー (家辺時計店) (写真D)

・ 設計 : 不詳
・ 用途 : 商業施設
・ 竣工 : 1890年(明治23年)
・ 構造 : 木骨煉瓦造2階建
・ 京都に現存する洋風商店建築としてはおそらく最も古いもの。 正面アーケイドの三連アーチの内、中央のアーチを下から柱が受けていないのは、木造でありながら外壁に煉瓦を貼っている木造煉瓦造りという特殊な構造による。 この建物は元々は時計店であり、建築時から屋根に時計塔を持っていましたが、20年ほど前に腐敗がひどく取り外されたらしい。 現在は洋品店として使われていますがかなりゴチャゴチャとした店舗でした。

d. 京都和装(株) 
(不動貯金銀行 京都三条支店) (写真E、F、G)

・ 設計 : 不詳
・ 用途 : 商業施設
・ 竣工 : 1916年頃(大正5年頃)
・ 構造 : RC造3階建
・ この建物は、骨格では歴史様式的ですが、細部では幾何学的意匠が多用されています。 これは大正初期の建築意匠の典型的特徴であり、ゼツェッシオンの強い影響があります。 内部の写真を見てもおわかりの通り、モダンにリニューアルされており、商業店舗、バーなどとして利用されています。

e.日本生命 京都支店 
(写真H、I)

・ 設計 : 辰野片岡建築事務所/山本鑑之進
・ 用途 : オフィスビル
・ 竣工 : 1914年(大正3年)
・ 構造 : 煉瓦造2階建
・ 明治36年に辰野金吾は東京で辰野葛西建築事務所を、また明治38年に大阪で辰野片岡事務所を開設しました。 前者が「辰野式」と呼ばれた赤煉瓦スタイルが特徴的であるのに対し、後者は石貼りが特徴的であり細部意匠はより直線的で省略が進んでいました。 当建物は後者の特長をよく示しており、また複雑な屋根の構成に「辰野式」の特色も残して、充実した作品でありました。 昭和58年59年にかけて京都市風致課の指導の下、塔屋を含む東側の1スパンが保存されました。 こうした試み(部分保存・エレメント保存)は環境を保全していく動きの先駆けとなったようですが、私には接続した新しい建物のボリュームが大きすぎ、この近代建築と近代建築の複合建物は建物全体として何かバランスの悪さを感じてしまうのですがいかがでしょうか。 日本生命としても企業として経済性を重視すれば、古い建物のままで保存ができないのはしょうがないことなのでしょうが、部分保存による建物の再生には、新しい建物を1棟建てるより技術とセンスが必要であると思われます。

f.京都府京都文化博物館別館 (日本銀行 京都支店) (写真J)

・ 設計 : 辰野金吾/長野宇平治
・ 用途 : 博物館
・ 竣工 : 19O6年(明治39年)
・ 構造 : 煉瓦造2階建
・ 重要文化財
・ 三条通に立ち並ぶ洋風建築群の代表。 
 赤煉瓦、花崗岩、細かい彫刻などいわゆる「辰野式」の意匠が凝らされており、辰野金吾という個人を越えて「明治建築」の典型となっています。京都経済の中心地として三条通を象徴した日銀京都支店でしたが、昭和40年、ついに河原町二条へ移転することとなりました。 その後、財団法人 平安博物館を経て、現在の京都府京都文化博物館別館として利用されています。 
 この建物の北側に現代的な建築である京都文化博物館本館が全く別建物として建っており、先程の日本生命 京都支店のように古い建築の部分に手を加えて部分保存を行なうのではなく、全面保存されておりました。 私にはこちらの保存方法の方がしっくり馴染んで感じられました。 まあ所有者が地方自治体であるため、博物館というような営利事業ではない余裕を持った利用が可能であるためなのですが。

g.中京郵便局 
(K、L、M)

・ 設計 : 吉井茂則/三橋三郎
・ 用途 : 郵便局
・ 竣工 : 19O2年(明治35年)
・ 構造 : 煉瓦造2階建
・ 重要文化財
・ ルネッサンス様式を基調としており、外壁の赤煉瓦と白い隅石の対比が美しい。
 「ファサード保存」とは、文字通り街路に面したその建物の顔となる外壁のみを残す点にその特徴がありますが、日本ではこの中京郵便局のファサード保存が最初の事例です。昭和48年、郵政省は永らく京都市民に親しまれてきた中京郵便局を全面解体撤去し、新局舎を建設するという計画を発表しました。 機械化が進む現在の郵便業務に適応できなくなったというのがその理由でした。しかし、このころから、三条通が持つ歴史的景観の意義は深く認識され始めていた。
 京都在住の建築関係者だけではなく、全国的に保存を要望する声が起き、中京郵便局の存続を巡る議論は、京都内外、あるいは建築内外を舞台として、ちょとした社会問題となったのでした。
 郵政省営繕(官房建築部)は近代主義建築の旗手としての伝統を持っており、それだけに機能と外観を分離して考える発想には抵抗を持っておりました。しかし最終的には、社会の共有財産としての景観を保全することで合意し、日本で初めての本格的なファサード保存に踏み切りました。 保存工事は煉瓦壁を鉄骨のバットレス(控え壁)で補強しながらコンクリートを裏打ちするという手法が取られております。 工事は昭和51年3月に着手、53年3月に完成しました。外観だけを見れば元の建物が全面保存されているのかと思われますが、中へ入ってみると全く新たに現代の郵便局がそこに存在しております。 その様子をデジカメで撮影したかったのですが、さすがに通常の業務がそこで行われていたため遠慮いたしました。
 今日近代建築の保存問題はますます深刻な事態に直面しており、また耐久年数が80年程度といわれる鉄筋コンクリートの建造物には解体の危機に次々とさらされております。 そのような状況に置いて、中京郵便局の保存と再生によって示されたこのファサード保存の手法は「開発」と「保存」を両立させるために極めて有効な方法として注目されます。 ただ、全く新しい建物を造るのに較べ、費用、技術、時間を要することは素人目にも明らかです。

h. 商店 (写真N)

・ 今まで述べてきた、煉瓦造りの明治建築や大正洋風建築、現代の新しい建物に混じって三条通界隈にはこういう古い町屋が残っており、昔ながらの姿で営業しています。 この商店は扇を販売しております。

(2) 寺町通界隈 
   (写真O、P)

 この通りは大掛かりな近代建築はないが、古い木造建築が多く残っており、老舗の茶舗、骨董屋、道具屋などとして今も営業されています。 そういった中に小規模の瀟洒な現代建築も混在しており、画廊、レストランなどとしてこの界隈に活気を与えておりました。 大体2〜4階建ての建物が中心で、それ程目立った建物もなく、また100Mたらずの道ですが何となく作り物ではない古くからの京都の雰囲気が感じられ、落ち着きを感じます。

(3) 町屋の保存・再生

 1999年年末から数回京都を訪れ、街を歩いてみたのですが、保存・再生に関し、近代建築のととも話題になることの多い京都の町屋を目にすることが当然のことながら数多くありました。 京都では数年前まで景観論争が続けられてきましたが、その論争の論点は次の2点に集約されます。 1つは新しい現代建築をどう作るかということ(京都ホテル−写真Q、京都駅−写真R)、もう1つは古くからの町屋をどうするかということにありました。 簡単に言うと開発と保存の問題なのですが、今やこう言った二者択一式の単純な選択では解決できなくなってきており、もっときめ細かい方法や手段によって対応しなければならなくなってきております。 京都における現代建築の作り方について従来採用されてきた手法については、特に京都という町の特性を考えた場合、あまり成功してきたとは言えません。 日本の風土や環境の中における近代建築の形態は、あまりにも以前のものとかけ離れていたため、古来の伝統的なものの良さを生かしたり、従来の技術の延長線上に新しい技術を付加しながら建築や都市を構築するという思考がほとんどされなかったことが、失敗の大きな原因ではないかと考えられています。 また町屋をどうするかについても同様のことが言え、以前のものを捨て去って、全く異なる新しいスタイルを作ってしまい、それが美徳であるとさえ考えられておりました。 古いものを大切にしながらその上に必要とされる新しい何かを加えて深みのあるものを作るという思考にはならなかったのです。町屋建築は京都という都市の中で低層高密に住むための空間構成やデザインが年を経て洗練され、完成度が高くなってきたものです。 また一戸一戸が個別に立て替えのできる独立住宅であり、都市住居としての規則を守って建て替えられていけば、都市の街区構成は保存されていくこととなっておりました。町屋は通常間口が狭く奥に細長い短冊状の敷地に建てられており、外部と接するのは全面の道路と裏庭においてだけであり、隣家に接する部分は全て壁でありますから、中間部に光や風を取り入れるためには内部に外部空間を設置しなければならなかったのです。 そのために生まれたのが坪庭(中庭)であり、町屋の快適さはこの坪庭の設置のされ方によって大きく左右されました。 また前面の道路側の開口部においてはプライバシーを守るために格子や簾が用いられ、また雨をしのぐために深い軒を出すことになり、陰影のはっきりしたファサードを持つ建物が並ぶこととなりました。このような工夫によって京都の都心の住環境は守られ、美しい町並みが形成されてきたのですが、近年は先人の行ってきた建て替えにおけるやり方を無視し、全く新しい建築方法をいきなり取り入れてしまい、街の建物の調和を乱してしまったと言えます。 確かに経済的な問題などを考えると昔のやり方での建て替えでは満足がいかないかもしれないのですが、先人の残してくれた遺産を大事にし、町屋の空間構成も保持しながら、原題のと私生活を満足させる新しい町屋を作り出していく必要があります。
 ただ、町屋がマンションにて建て替わっていくという現象に対し、町屋の大切さが認識されだし、何とかそれを残していこうと言う動きが良識ある人の間で相当な力となってきているのは確かに間違いありません。 ここではそういう新しい町屋へと再生された建物にスポットを当ててみたく考えます。

a.大龍堂書店 (写真a, b)

・ 設計 : 吉村篤一/建築環境研究所
・ 用途 : 書店
・ 竣工 : 1982年
・ 所在 : 中京区新甚木町通竹屋町上ル
・ 建築関係の専門書店。 当書店を挟んで同じ規模の4件の町屋が昔ながらの佇まいを残して並んでいるので、書店の入り口にベンガラ塗りの格子戸を用いるなどしてその連続感を保つように意図されています。 訪問日が正月明けであったため、営業しておらず、中に入れなかったのが残念でした。 正面扉の朱の色が何より目立ち、かわいらしい印象を受けました。

b.中京の町屋
 (写真c, d, e)

・ 設計 : 吉村篤一/西元弘美
・ 用途 : 住居
・ 竣工 : 1986年
・ 所在 : 中京区新甚木町通竹屋町上ル・ 前出の大龍堂書店の真向かいにある建物。 前面の道路側の開口部からはコンクリート打ちっ放しのモダンな印象が強く目に入り、京都の町屋の再生を意識した建物とはすぐに思いつかないのですが、前面の駐車場入り口に用いられた格子に、回りと調和しようという意識が感じられなくもないと考えます。 外観からは計りしれませんが、実際、間口4.8m、奥行20mのうなぎの寝床のような短冊状の敷地に新しい町屋を立て直したものだそうです。 中央部には京都の町屋の特徴である中庭が設けられており、光、風、緑が取り入れられるようになっています。 京都の都心における新しい町屋のあり方の一つを提案しています。

c.中京の町屋 (写真f)

・ 用途 : 住居
・ 所在 : 中京区麩屋町通
・ 再生のための大掛かりな改修工事を受けることもなく、昔のままの住居として、丁寧に扱われて生き残っている建物。 逆にこういう普通の建物が希少価値になっている気がしました。 妙にホッとして写真に撮りました。 この建物の向こう側には古い町屋を壊した後に建てた現代の建築が見られます。 こういう光景がいろんなところで見られました。

d. 市橋家具店
 (写真g, h)

・ 設計 : 吉村篤一/建築環境研究所
・ 用途 : 店舗
・ 竣工 : 1991年
・ 所在 : 中京区夷川通麩屋町東入ル
・ 昭和初期に建てられた店舗のファザード、内装を一新した家具店。 当初から家具店として建てられていたために、広い間口と高い階高が取られており、この「商家」としての良さが生かされ、いわゆる「町屋」とは異なった意匠を持っています。設計者はこのような目立たないが古き趣のある木造建築(住宅や商家)に改造を加え、以前の建物の雰囲気や建築の基本的な形は変えずに、新しい感覚の空間に仕立て上げることにチャレンジしています。 こういう努力により、京都の町並みを守りながらも、新しさも加味し、より深みのある町を作っていくことを試みています。

e. 蕎麦ぼうろ店
 (写真i, j)

・ 用途 : 店舗
・ 所在 : 中京区
・ たまたま町を歩いていて通りがかった商店。 改装されていますが、特に2階部分のモルタル壁の質感、色など肩肘張った再生ではなく自然な感じで仕上がっており、好ましく感じられました。

f.中京の町屋
 (写真k, l)

・ 用途 : 店舗
・ 所在 : 中京区押小路通
・ 京都には本当に町の中心であっても、大通りから一歩入ればこのような町屋が残っています。 この町屋は高瀬川のすぐ横に建っておりますが、少し建物自体がくたびれてきていました。 観光名所に近いこともあり、どのような形での保存・再生がなされるのか興味の湧くところです。 町屋の後方に建設に際して論議が生じた京都ホテルが見えます。


3. 海外の保存・再生

 これまで三条通など動いている街で再生、活用されている建物について記してきましたが、京都にはもちろん社寺の建物など建築されたままの姿で全面保存されているものが数多くあります。 また、今回の私の訪問時にも岡崎公園一帯(京都府立図書館、京都市美術館など)、京都大学構内などの特別な地区内で本来の姿のまま、本来の目的に従って利用されている建物も見てきました。 京都の場合こういう全面保存されている建物のあいだに昔ながらの町並み(町屋、商家、あまり有名ではない近代建築などで構成されている)が広がっています。  全面保存されている建物はもちろんそのまま生き残っていくのでしょうが、その間にある古来からの町並みの急激な変化が今後も問題となっていきそうです。今後日本の町並みの保存・再生はどう進んでいくのでしょうか。 それを知るために、建物の保存が進んでいると聞く海外での現在の動きを知るのは意味があると考えます。 たとえば英国では建築ベースでみれば、既に新築より改修の方が圧倒的に多いとのこと。 建設市場にしめる改修工事への投資額を見ても、1993年の段階で49%。 日本でもリフォームへの関心が高まっていますが、97年の改修工への投資額は全体の17%に過ぎません。再利用が多いため建築家以上に、古い建物の診断から改修方法、運用についての相談を業務とするビルディングサーベイヤーが普及している状況にもあります。 またもともとの用途とは別の目的で再生を図る「転生建築」が頻繁に生まれていることも英国の特徴です。 転生建築は一般的な改修より新旧の変化が楽しめるだけでなく、時代遅れになった建物でも用途を見直すことで立派に再生できる良い方法だされています。 教会を住宅やオフィス、さらにはパブとして使うなど日本より変化の度合いは大きくなっているようです。 また都心の空きオフィスを住宅に転用することも、政策的なバックアップでかなり進んでいます。日本では、既存建物はそのまま保存して付け足し程度に手を加えたものが多いすが、英国の例を見ると、古い建物に新しい建物を大胆に組み合わせて、全面的に違うデザインに発展させる例が多くあります。 現在、重要文化財である大英博物館に対しても大胆な再生計画が進められています。 その背景には、個人の経験やセンスだけでなく、制度的に保存建物が指定され、どこを保存すべきでどこは自由に設計できるかを助言するシステムがきちんと整備されていることがあります。制度的なバックアップにより、大胆さも発揮できるのです。日本においては、私個人としてはそのまま保存された建物、例えば日本銀行 京都支店などの方が落ち着いて好ましく思え、逆に先述の日本生命 京都支店の部分保存および神戸地方・簡易裁判所や日本火災 横浜支店のファサード保存の事例には違和感を抱いているのですが、日本においても欧州のように再生の経験を重ねることによって、デザインを変更させても昔の建物のままよりもっとすばらしく、センスが感じられる事例がでてくることを期待しています。日本にも同様の制度はあり、英国と同じように適用はされていますが、欧州は日本より保存対象の範囲が広くまた数も圧倒的に多くなっています。 また、日本では近世以前の社寺建築の保存が多く、まだ近代建築に対する保存方法のノウハウが不足しており、また建築的な価値を認められていなくても、英国では大切に使い続けられている事実があります。


4.最後に

 99年年末より数度京都を訪れ、その時に見た保存・再生の実例につき気の向くままに記してみましたが、実例に接した絶対数がまだまだ少なく、またそこに居住している人や京都の町並み保存に努力している人の声も聞いたわけではないので、今後の京都の町並みや建物の保存がどの方向に向かって動いていくのかを判断することができませんが、昔よりは確かに保存に対して考えて行動する人が増えてきているのは事実のようです。 私自身も一層保存・再生の動きに注意を払い、国内、海外を問わず、より多くの実例につき見聞きしていきたく考えます。
                          2000年3月

<参考文献>
・ 近代建築ガイドブック[関西編]           鹿島出版会
・ 地模様としての建築     吉村篤一        学芸出版社
・ 建築MAP 京都       ギャラリー・間     TOTO出版
・ 歴史的遺産の保存・活用と   大河直  他      学芸出版社                    
            まちづくり
・<図説>近代建築の系譜    大川三雄 他      彰国社
・ 京都町屋 色と光と風のデザイン  吉岡幸雄     講談社
・ 日経アーキテクチュア 99.12.13          日経BP社


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