神楽坂建築塾修了制作展 論文 |
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時森幹郎(静岡県・建築設計)
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#01: |
神楽坂建築塾は光照寺にて平良塾長の基調講演でスタートした。 建築は、「時間」「空間」といった普遍的なものの上に成立するとし、均質な建築、世界中どこでも成立する建築を目指したインターナショナルスタイルなどに代表されるモダニズムが主流となり、どこにいっても同じような町並みができてしまった。建築はある特定の場所に建てられるものであるにも拘わらず、その「場所性」が欠如していた事が問題であると指摘し、「場所性」を取り入れた理論で風景、景観を造ることが大事だ。と主張されていた。そうして雑誌『造景』を創刊されたという事であった。 講演の後は場所を変えてちょっと離れたアユミギャラリーで懇親会だそうだ。 それによって装飾や様式はその本来の意味を失ったのである。ポストモダンは「場所性」を伴っていたものをも場所から切り離されてしまった。現在の町並みはモダニズムによって記憶喪失となってしまい、ポストモダンでさらにその病状が悪化してしまったように思える。 アユミギャラリーに着いた時には既に懇親会は始まっていた。 こういう場合うなぎパイの場所性はどうなるんだろう? でも、これはそもそも「おみやげ」としての物だからこうして外の人に食べてもらった方がいいのだろう。そうでないと商売あがったりだ。 と言う事で、僕はポテトチップスを食べることにした。ポテトチップスを食べながら思う。ポテトチップスはもう日本のどこにでもあるものだが、そもそもはアメリカものらしい。日本の日常も随分アメリカ化してしまっている。 アメリカの歴史は200年ほどなのに、今や世界を牛耳っている。その当初は、広大な荒野に、ヨーロッパでないところにヨーロッパを造ろうとしたのであるが、その土壌がないところでの創造なので、それを否定するのにもさほど抵抗は無かったのだろう。この変化に対する抵抗の無さ、それまでのものへの執着のなさは、歴史の無さ故なのかも知れない。 最近DNAにはロングタイプとショートタイプ2種類のタイプがある事が分かったと言う。ロングタイプは革新的で先進的。ショートタイプは保守的で安定的なのだそうで日本人の約70%はショートタイプに対してアメリカ人の約50%はロングタイプなのだそうだ。考えてみれば、どんなところかも分からない未知の大陸に移住しようなど考える人の集まりなのだから当然とも言える。そうすると最も革新的な集団は西の果てまで行った事になるが、今世界を支配するコンピューター産業が西海岸にあるのは偶然であろうか? そうしたアメリカの土壌、つまりフロンティア精神や自由主義が後のモダニズムそしてポストモダンへの変化を生み出したのではないだろうか?そしてそれを強力に推進したのが経済だったのだ。むしろ、近年は−ismといった思想の影は薄く、単なる経済主義によっていると感じるのは僕だけだろうか? 「場所性」の喪失はアメリカによるところが大きい。アメリカは自国の理論を主張し正論化し世界の盟主たらんと走りつづけた。約半世紀に渡って冷戦によって対立してきたソ連もしかり。しかし、ソ連は崩壊し、世界の覇権を勝ち取ったアメリカはやや傾きながらも強引に勝ち続けている。 |
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#02:5月9日(日) |
快晴。気持ちのいい朝だった。 「辺境」とは中央に対する地方、都市に対する田舎を指すのだろう。それを地方や田舎と言わずにことさら「辺境」と言うあたりが事態の深刻さを物語っている。経済至上主義による支配は極僅かを残しほとんどを制圧しているのである。日本は今、全人口の半分が3大都市圏に、さらにその内の半分は東京を含む首都圏内に集中している。今後、人口は減少に転じ必然的にそれは辺境から始まり、全人口に対する都市部の占める割合はさらに大きくなるのである。 「辺境」には、経済至上主義の魔の手から今のところ逃れているものがある。その辺境的なるものをこの東京の真ん中神楽坂で見つけようというのである。 神楽坂通りから裏に入り路地を散策する。たしかに、広くて真っ直ぐな道よりも、こういった狭くて曲がりくねった道の方が歩いていく度にその風景は変化していって面白い。「辺境」はそれでもまだ捜せば有るものであった。そして、何故かそこには不思議と決まったように猫がいて、毛繕いをしていたり、昼寝をしていたりしていた。 「場所性」を論ずる時にしばしばゲニウス・ロキというラテン語が登場する。日本語では一般的に「地霊」と訳されるようであるが、いまひとつ分かりにくい。ふと、急にある思い付きが頭をかすめた。ひょっとして猫はゲニウス・ロキの化身ではあるまいか? 猫はわがままで気まぐれであるから居心地の悪い所には行かないし、夜になれば集会を開いたりして地域のコミュニティーを形成していると言う。「ゲニウス・ロキ」は姿、形を変えて現れる事としよう。「場所性」の有るものに「ゲニウス・ロキの化身」有り。思い付きにしては当らずとも遠からずであろう。これから、こういう猫を「ゲニウス・ネコ」と呼ぼう。 |
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#03:6月12日(土) |
登録文化財制度は1996年に始まった制度で、このねらいは「登録」の数をどんどん増やしていって、その登録された文化財を手掛りとして点から線へ、線から面へと歴史的文化的美しい町並みを造っていこうという事である。だから、従来の「指定」文化財のように文化財となる事で持主が不自由なる事を避け、改修などは自由に出来て今まで通りに住む事、使う事が可能なゆるやかな制度としているのである。身近な歴史的なものを利用しながら後世に残し、まちづくりの核としていこういう訳だ。 |
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#04:6月13日(日) |
ここで、ある疑念が降って湧いてきた。登録文化財制度は、今現在は築50年以上の建造物がひとつの基準であるので、明治以降の日本における近代建築が主な対象となる事となる。その中には、それまでの日本にはその歴史がないヨーロッパ建築の様式を模倣した建築やインターナショナルスタイルによる建築が含まれているのである。 |
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#05:7月3日(土)#06:7月4日(日) |
日本における建築の「場所性」とは何かを考えるには、まずその原点に回帰する事であろう。 |
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#07:8月14日(土) |
ところで、いつもながら講師の方々の情熱には頭が下がる。今回の講師である中村さんはいろいろな和紙をわざわざ持ってきて下さった。なかでもコンニャクで水に強くしたという紙と紙布は印象深かった。 |
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#08:8月15日(日) |
「風の魔術師」高田さんは彫刻家であるから今回の講師陣の中にあっては最も芸術肌が強い。芸術家というのは、作品の独自性が肝要であるから自分の作家性、作品性を強調し、主張する事となるが、ともすれば独善的で排他的になりがちである。そうなっては回りと繋がる事はおぼつかなくなり「場所性」は途絶える。しかし、その作風の所為なのかそんなところは感じられない。むしろ、回りとの調和に絶えず気を配っているようだ。その作風とは建築と共にあって景観を形成していること。そこに来る人々との関係に依って成り立つ人の傍らに生きる彫刻である事である。 |
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#09:9月11日(土)#10:9月12日(日) |
丹呉さんと山辺さんの話は、とても身近なそして局所的なことが、直接に地球規模のことと包括的に繋がっている。 |
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#11:10月9日(土) |
淵辺さんは首都高速道路都心環状線をモチーフにしていろいろなポイントから見た環状線をスケッチされていて、そのポイントは環状線を一巡していた。 |
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#12:10月10日(日) |
品川のまちを歩く。この辺りは武蔵野台地が海岸に最も近づいているところで江戸時代から現代までの急激な変化が圧縮された地である。旧東海道から南の路地に入る。神楽坂同様に狭い入組んだ路地には生活感がある。路地を貫けるとそこは海。のはずが、埋立てられた、スケールアウトした現代が突然現れた。さらに天王州アイルまで歩く。何も無い埋立地から建築されたのでそれなりに計画されている。ここまで来ると、先程までのショックはどこへやら妙にキレイになってしまって味気無さはあるものの段々違和感を感じなくなっているのを覚える。 |
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#13:11月13日(土) |
吉田さんは、まちづくりにおいては、立場を捨てる事が大事だと説いておられた。これは登録文化財においても、丹呉さんの建築と林業の関係などにおいても同様で「場所性」を獲得する為に必要不可欠な視点のようだ。古河のまちでの小学校から外構が繋がって歴史博物館に至る景観などはそういった視点がなければ実現しないであろう。 |
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#15:12月11日(土) |
平倉さんの作品はいろいろな「繋ぐ」を意識されていることが分かる。ウチとソトを繋ぐ。個人と住宅を繋ぐ。住宅と社会を繋ぐ。そしてミクロからマクロまで連続することを念頭においている。住宅という個人的ものに関わりながら、社会を見渡す視点は丹呉さんにも共通するのではないかと思われる。 |
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#16:12月12日(日) |
平良さんと立松さんの対談は50年代を焦点としていて東京オリンピックまでで終わっている。それ以後の高度経済成長の話をしなかったのは多分、その話をすれば、いろいろものを失った話、破壊の話になって問題提起はできるが今さらするに及ばずというところでもあるし、お先真っ暗で重苦しい空気が漂うのは目に見えているからであろう。初日の立松さんの言葉「おもしろくないと長続きしないからおもしろくやろう。」が思い起こされる。どうやら50年代は戦後復興の中で、どうあるべきかをみんなで考えようという気運に満ちた時代であったようだ。 |
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#17:2月12日(土) |
民家の美しさは心地いい。この感覚は大橋さんの写真の所為だろうか?民家は自然に則しているからなのだろう。屋根のいろいろな造形は自然物そのものと言っても過言ではない。 |
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#18:2月13日(日) |
戸張さん、伊郷さんと、川崎市立日本民家園にて民家を実際に見る。控え目で真摯な職人さんの手仕事に触れた。中村さんの和紙の時と同じ感覚が蘇る。 |
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国際日本文化研究センター教授の川勝平太氏は海洋史観を唱えている。海から陸を見返すという歴史観だそうである。「日本は島国であるということは誰もが認識しているところであるが、本州や北海道で生まれた人は自分が島の出身であるとは思わないであろう。地球は青かったはガガーリンの言葉であるが、地球は水の惑星であり水が生命の源である。大陸と言えども小さく見えるようにみんな島だ。地球は海と多くの島でできている。」と言っている。 |
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場所性の復活には極めて身近な事を見ながら、地球規模までに至る繋がりを意識する事ではないだろうか?「ゲニウス・ロキの化身」をちりばめて繋いでいこうと思う今日このごろであった。 |
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神楽坂建築塾は |
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