神楽坂建築塾 第二期 修了論文

森から住宅を考える

AC−9924研  千葉弘幸

■その一 まずは森へ行こう!

〈どんじゃら探検隊がゆく!〉

プロローグ:
 森へ出かけた。仕事の都合である。
 私の会社は、朝日住まいづくり研究グループ 協同組合”匠の会”の会員であり、その匠の会が紀州和歌山”山長商店”との業務提携が行われたことが出かけた理由である。それまでは、建築(住宅・特に木造)を扱っているのにその素材に対しては、三寸五分であるとか、四寸であるとか、杉であるとか桧であるとか・・・何ら、一般の人々と変わらない知識しかなかった。しかしこれがきっかけで“木”とは?“山”とは?“自然”とは?を考えるようなった訳である。
 さてみなさんも森へ出かけましょう

 

第一章:森とは木とは?

 一言に森と言ってもその森にも種類があります。
 種類とは? 例えば、よく聞く言葉に原生林と言う言葉がありますが、原生林とは正確には人の手が一切入らず、植物自身、自分たちが生き抜く為に自然淘汰されていく、すると、生き抜く力が強い植物は生き残るし、そうでないものは衰退絶滅するこのような林を指します。
 次に天然林人工林があります。どちらも、人間の手が入ったものですが、天然林もまた天然林と天然生林の2種類に分かれ、天然林はその後の成長を考え伐採された林に対し、天然生林は、その後のことは考えずただ伐っている林のことを指す。
 最後に人工林だが、人工林にも植裁林と天然更新林に分かれます。
 植裁林は字のごとく、人の手で植えた林で天然更新林は人の手で苗木は植えていないが木を伐ってその後も種や若い木が育つように手入れをしていく林のことを指します。このように正確に森林を分ければ何種類かの林になるわけですが、私たちが森を見るときにはこのように人間の手の入った森を眺め“自然って良いな〜”と思い、自然ってすごい、自然って気持ちいい等と話をしているわけで・・・。

 去年の夏に大平宿(長野県飯田市)で行われた大平建築塾でのフォーラム中の会話で「この大平宿の今後、自然とどうつきあっていくべきか?」と言うテーマの話の中、「人間の視点でものを考えず、虫の視点で、鳥の視点でこの大平宿を見て自然がどうあるべきか、人間という存在を否定して自然をどう残していくかを考えるべきではないか?」と発言があった、そのとき私もその考えには何も思わず、そうだな〜、自然は人間をのぞいて考えた方がいいかも、等とも思った。しかし現在、森林を訪ね歩くことにより、「人間も自然の中の一つで、前記の発言のように人間を除いてものを考えると言うことは不可能なのでは。」という結論に達した。それは森林が人間の手によって作られていることはもちろん、人間もこの地球上に何千年と生息している訳だから、私たちの知っている“自然”とは、人間も含めた自然なのである。かなり森の話から脱線しましたが、森を知ることは自然の中での人間の位置を知ることになるような気がします。

 また、この森の中の木々も私たちの知らない自然の生存競争をしているのでした。
 木には針葉樹と広葉樹という2種類の樹がありますこの2種の違いは色々ありますが簡単に述べると針葉樹の方が構造的にシンプルで、太古の昔より生息しており、広葉樹は、その進化の過程によってより強く生きるためのものであった。
 アメリカの森林保護区であった話ですが、そこの保護区で突然シカが大量に死んでいるのが発見されました。これは何が起こったかというと、柵の中に入れられたシカたちは生きるために木の芽や皮を食べるわけですが、この一帯は森林保護区でシカの餌がそれ(木の芽や皮)しかなかったため木の方は自分たちが絶滅してはいけないと木の中の成分を変えてタンニンを大量に発生させた、このタンニンをシカは知らない内に食べていたわけで、これも実は人間が作り出した人災ではないかと考えました。
 この木は聞いた話なので何の種類かはわかりませんが、このように木たちも生き抜くために努力をしているのです。また、針葉樹 ヒノキ科のヒバなどは、樹液内にヒノキチオールと呼ばれる樹液を持っており、(国内の桧にはこのヒノキチオールが含まれていない)これは虫を寄せ付けない成分がある。少し前に実際にシロアリの巣の中に、ヒバ、杉、スプルス(米桧と呼ばれ集成材に多く使われている。和室の真壁柱などこのスプルスの集成材に桧のスライス〈厚い物で1.2m/mぐらい〉した物を貼ってこれぞ桧の柱です。といわんばかりに立っています。)を入れてしばらく様子を見ていると、杉は、赤身は硬くて食べられない様で、白太の部分は冬目をのぞききれいに食べてしまった。ヒバはシロアリが約2Bくらい放れたところから近くには寄ろうともしない。スプルスは、シロアリが縦横無尽好き勝手に食べ尽くしている。このようにヒバはそのヒノキチオールを発生させることによって害虫を寄せつけずにいる。

 このように、木や林や森は、人間を含めた、いや人間が含まれた自然界で生息しているのです。ここで一つ言葉遊びをしましょう。木偏の漢字はいっぱいありますが、“木”が一本ならただの“き”木が二本立てば林(はやし)そして三本になれば森(もり)そして4本になればジャングル?はないが、5本になれば実は森林(しんりん)になります。また、漢字では樹(樹木のじゅと書いて“き”)と読む場合もありこれはどこに入るかというと、木と林の間ではないかと思います。じゅという字は、木のグループを表しているのではないかと思うからです。

すると

森林 → 森 → 林 → 樹 → 木

という順番ではないかなと勝手に決めてみました。

 ※おまけの話ですが、これは山で仕事を実際している林業家の方が言っていたのですが、森の字は上に木が一つでしたに木が二つ、それをずらして三角状にして表しているがこれは実は植林するときに植える苗木の位置を表しているのではないかと思っているそうです。なるほど、って感じですね。

 今度は反対に木を建築材料の“木”にしていくとどうなるのか?初めは当然立木の“木”です。次に倒させて丸太の原木状態が、木材(もくざい)ではないかと思います。さらに街に運ばれ、(昔は街に運ぶのには川を筏にして流したり、木材で溝を造り木材をくくってその上をそり状にして運んだり、馬や牛に運ばせたりかなり苦労をしていたようですが、現在では、林道も整備させ車で木材が運べる状況です。この林道も造るのに相当お金がかかります。聞いた話に寄ると1m作るのにうん千万円かかるそうです。)製材工場に運ばれ、丸い状態から四角い状態へ形態変化をさせた頃から、この木材は材木(ざいもく)に変わるのではないでしょうか。

そうするとさっきの図は、

森林→ 森 → 林 → 樹 → 木 → 木材 →材木

ということになるのではと思います。(すごく勝手な論法ですが・・・)

 また、森林(しんりん)という言葉は元々日本では使われておらず、ドイツ語を日本語に直訳して訓読みをしただけで確かに、“森”に“林”で森林というのは何?と確かに思うこともあります。また他にも言葉ではあまり知られていないのですが、“エリート”という言葉があります。これは実は林業の専門用語で、精英樹【英elite独Elite】からきているそうです。エリートとは“まわりの木よりとび抜けてよい木”として認定を受け、よい種子やよい穂木をとるための親木のことをいう。つまり林木育種上の専門用語なのだが、それが人間社会においても使われるのは植物も人間も生き物で似ているという意味にもとれ、興味深いことです。このように実際の森の中には人間社会とのつながりが強くあります。

 

第二章:山に出かけよう!

 さて森の事情を少しわかった上で山に出かけましょう。やはり最初に言ったとおり、せっかく材木をつかった木造住宅を建てているのだから、もっと山の中に入ってそこで街を、家を考えましょう。

 最近ではかなりの数の設計士さんたちが“木”を使う住宅の設計を行っていますが、そのほとんどが(生意気言ってすみません)山の事情は無視した設計又は木使いになっており、また山にいったといっている設計の方でもそのほとんどが、山の麓に行き山にきたといっている。それはあくまでも山の側面を見ただけで山の中に入って山の事情を知ったとは言えないのではないでしょうか?確かに現在の林業はかなりの衰退をしているように見受けられます。それはなぜか?山の事情をのぞいてみましょう。

 山の事情とはその時代背景が大きく関わっています。
 それは戦後材木の流通の問題から始まったと思います。
 一つには戦争中大量に失っていった日本の山林を戦後の国の政策により杉を多く植林したことに始まり九州、宮城などの木材(建築材ではなく船材や樽、桶等の材に元々使用していた物)までが35年から40年程度で4寸角の柱材がとれるぐらい大きくなる(これは山の特徴により木の育ち方がまったく違うために起こる:紀州の山々は傾斜が険しくまた最終的に木材として伐採される木は植林時の10分の一という過酷な生存競争を勝ち抜いた木に対して九州や宮城〔※くりこま材〕は山はなだらかで確かに間伐はされているものの木の生存競争は紀州ほど険しくない、木がおおらかにすくすくと育つのです)これらを材の強度や材の性質等に分けずに節があるかないかだけで木材の価値を決めてしまったこと(これには山側だけではなく消費側、流通〔問屋〕などの責任もありますが・・・)によって節があっても丈夫な木材の価値を下げきれいな節のない材のみがもてはやされ国産材は高いイメージにつながっていくのではないかと思います。
 また一方では山林労働者の賃金が昭和30年代に比べると数十倍になっており、伐採の後に植林をするという、日本では数世代にわたって行われてきた循環的な林業が、経済的にできない危機状況になってきています。しかもそこに世界各地から外材の輸入がされ、材の単価を落とすか、材に付加価値をつけ外材と差別をして高く(というよりも正当な価値で)売りたいことになります。当然安くする=再植林の費用がなくなる、という公式が成り立ち国産材は悪循環の中にはいていってしまう。
 では国産材を使っていくには街の人間はどうしたらよいのでしょうか? もう一度山の事情を考えてみましょう。


伐採の風景『住宅建築』2000年7月号より。
撮影/畑 亮

 材木というのは最初、当然山から立木を伐るところから始めるわけですがこの立木を伐るにも用意がいります。
 まず運び出すこと、紀州でいえば紀州の山々は険しく運び出すのが容易ではない、現在では山と山の間にワイヤーを張り(ただここでワイヤーを山と山の間に張るといっても容易な作業ではありません、人間が細いワイヤーを担いで山に登っていくのです。)そこに木材をつり土場と呼ばれるところまでおろしてきます、この土場ではプロセッサーと呼ばれる機械がおろされてきた木材の枝を払い定尺(3・4・6m等)に玉切りします。ここである程度の材の選定(木の太さ・節・材の通直具合をみて用途に合わせて切断する)も行っています。

 実はつい最近当社の施主と山に行き、実際その施主の自宅の大黒柱の選定にいったのですがこの材を選ぶのが難しく、また、玉切りするのもかなりの緊張がありました。しかし施主と山に行き実際に施主も納得した上でその木を切って無駄な部分(今回は平屋構造の棟持ち柱として使用したため材の長さを6.5mで切ってもらった、通常は定尺で切るためこの長さでは切らない)を出さずにできたのは産直ならではのシステムだと思います。次に木材は運搬され製材されていくわけですが、木材の流れは後で追うことにして、切り終わった山の方を少しみてみましょう。

 当然初めは植林で苗木を植える訳ですが一口に苗木といっても挿し木(枝を挿して育てる)もあれば実生(種から育てる)もあります。紀州では当然実生の木にこだわっているわけですが、挿し木と実生では根の張り方が違うらしくやはり実生の方が材的な強度の時もかなり違ってくるそうです。植林をしたら次に木を育てなければなりません。植林後の苗木は周りの草木よりも成長が遅く草刈りをしてあげないと太陽の光が届きません、ので初めは下草刈りから始まり次いで枝払い・間伐へと進んでいくのです。この間伐された材が実は山にまた経済的に圧迫している部分でもあるのです。それは、少し前であれば間伐された間伐材も立派な商品だったのですが(たとえば足場丸太・杭など)現在ではそれは商品ではなくただの劣等生でしかないのです、当然今まではその間伐材で得た収入は山の木を育てる費用になっていたのですが現在ではその収入はい。これで国産材が高い(?)のでしょうか? 

 では次に木材の方を追ってみましょう。
 これは一つには紀州山長商店、もう一方では宮城県の栗駒山の杉等を使っているくりこま杉協同組合です。
 初めに紀州の方を追ってみると、土場から出された木材は、貯木場と呼ばれる材料置き場に運ばれます。ここでもある程度の選別がされるのですが山長商店の場合、自社の貯木場に入れるのと、一般流通の貯木場に入れるのと二通りありまして、自社に入れられたのは初めの頃に書いたように、自社の製材所にて製材されさらに乾燥機にかけ、ランク別に分けられていくことになります。また一般流ルートに乗った木材は、他の材と混ぜられ通常のルートを得て、製材所・問屋・材木屋・工務店・現場へと流れていきます。やはりこの過程を経ていくとそれぞれに経費がかかり施主のお宅につく頃には山を下りたばかりの木材がそこそこの値段になってしまうのは理解いただけると思います。

伐採の風景『住宅建築』2000年7月号より。
撮影/畑 亮


 このようなことで現在日本の各地の林業組合がいかに買ってもらえるかを考えているのではないかと思います。(実際この夏とある東北の林業組合に会長が呼ばれそれに同席させていただいたのですが立派な貯木場があり製材機械も用意されているのですが木材は山積みになっておりこれからこれらを売るのにどうしたらよいかを相談されました。本当にどのようにすればよいかを考えさせられました。)

 話を戻しますと山長商店で製材されランク別に別れた材はさらに自社のプレカットへと進むのですが、一口にプレカットといっても、賛否両論色々です。伝統的な工法にこだわる人々はプレカットを否定されますが、現代棟梁の田中文夫さんなどは、プレカットを否定はしていません、うまく共存させていくことはいいことだといってました。
 また、プレカット工場もそれぞれで、某メーカーの指定プレカット工場を見学させていただいたときなどは材木にただバーコードを張り、材の善し悪しましては上下など関係なく機械の中に入っていきました。そこの工場の方が自慢げに「うちのプレカットは登り梁が加工できる」といっていましたが登り梁などは、大工が加工すればいいことでそんなことは自慢にならないと当時私は感じました。しかし山長商店のプレカットは、図面をよみ、材の質をみて機械に材を入れるので構造的にも考えられています。たとえば梁材などもアテを利用して構造的に強度がでるようにしています。このように自社にて製材・プレカットまでこなしていただくと消して安くはないのですが、丈夫で安心できてかつ、リーズナブルなものが現場に届くのです。また一方宮城県の栗駒山麓のくりこま杉協同組合ですがこちらは栗駒で育った杉を集め、そこで製材し製材した木材をさらに板材に加工します。この板材に加工するときの方法が、木材をいっさい無駄にしないように基本材寸を決め、この組み合わせで羽柄材や仕上げ材(フローリングや羽目板)にしていきます。また仕上げ材の方ですが、無垢の材だけで構成するのではなく節などによって短くなってしまった材や薄くなってしまった材をジョイントして無垢の杉集成材を作っています。このとき使われる接着剤なども気にして強度はあまりでませんが科学物質の少ない物を選んでいます。さらに最近では燻煙乾燥機も導入しさらに仕上げに塗る自然塗料までも開発販売を始めました。先ほど無駄なく材を使うと書かせていただいたのですが、端材などは砕いてチップにして木酢液につけ燻煙乾燥をして「燻煙乾燥チップ材」としてガーデニング用に売り出しています。

 このように国産材を今まで通りに分業化して街に届けるのではなく、産地にて工夫し、二次加工をして街の人々のニーズや安心を得て、国産の材木を街に出しているのです。その材はけして高くも安くもなく、正当な満足を得られるような価格となっております。またこれらの産地で共通して言えるのは、若い人が考え工夫して働いているということだと思えます。(他の山とは活気が違う!)

 このような山の事情をふまえいざ実際に家を建てたらどうなるのかを次の章で検討しましょう。

 

第三章:木の家を造ろう!

  実際に家(貸家)を建てることになり、しかもコストを抑え尚かつ、無垢材の使用された家にしたいと施主からの申し出があった。何を隠そうこの施主こそ去年の建築塾の番外編で納屋の改装をみんなで手伝ってもらいながら改修した“山之内庵”の亭主栗原さんである。またしてもおもしろくかつ、難しい注文である。そこで思いついたのが、安藤邦廣先生の板倉の家ちょっと簡単バージョンである。何が簡単バージョンかと、安藤先生の板倉の家はすべての開口部の壁に約5寸の板を一枚一枚落とし込んでいき、上棟には一週間ほどかかるものでした。今回のものは、構造材を紀州山長商店の杉・ヒノキを使い、板壁部分にはくりこま杉協同組合の燻煙ボード(厚み一寸の大きさは3×6板)を使用した。構造体は至ってシンプルで、4間×4間でヒノキの5寸角、通し柱を12本配置して、その間に3.5寸角の杉材を間柱代わりに入れ込んでいる。梁桁材も、杉で構成してある。図面で示す様に外壁回りの柱はそれぞれをずらすことにより、初めから落とし壁をせずに後から取り付けられる様にしてある。それと壁に仕上がり材は、先ほどの燻煙ボードを落とし込むため、5寸を一枚一枚貼るよりは早く壁を作ることができる。このボードもなかなか使い道が有りそうなのでみんなで少し考えたいと思います。また、断面方向においては、梁桁材は出しっぱなし、天井兼床の杉の燻煙フローリング(厚み28m/m)すべてムキだし、どっかの木造打ちっ放し構造に似ているような気がしますが、あっちは合板、こっちは無垢材、決定的に違うのです。確かにむき出しの木を使うことは、気を使うことになるのですが、何も四面無地の材を使うのではないので緊張することはない。(四面無地などは一等材に比べ約10倍くらいの価格差が有ったりします)

 さて、結果はと言うと、だいたい価格は坪当たり45万から50万円ぐらいで収まり、工期も段取りをきちんと踏めば、さほどかからないと思います。(今回は試行錯誤でやったため工期もかかりましたが……)この後に実際つかった図面を添付しておきますが、これを基本に、実は次の家をプラン中です。また、構造材の強度の面を考えて、この場合どのような強さが認められるかを大学の方で実験してもらう予定です。間に合えば、この報告もこの後に記載する予定でしたが・・・

 最後に自分なりにまとめると、まずは“使う”こと、山の方ではこちらが試行錯誤している物にヒントやアドバイス、協力をしてくれます。自然と共に暮らすことはやはり山の木を使い

自然に気を使うことがとても大事ではないかと思います。来期も建築塾塾生として、また、どんじゃら探検隊として“山”を歩き、木と対話していきたいと思います。

←BACK