神楽坂建築塾 第三期 修了論文

―生活空間の『音風景』―

  神楽坂建築塾第三期生 福富葉子

※提出物はパネル化されたもののため、ウエブでは展示できません。ここでは後書きのみ抜粋しています。   

制作を終えて

 現代において、音は認知されにくいものになってきた。AV機器が身近に普及し、BGMのある状態がリアルな空間となりつつある。このような状況に危機感をもたなくてよいのか、それが今回このテーマを扱ったきっかけである。
 音は目に見えず、時間の流れで変化し、しかも多方向に存在する。視覚と違い、平面処理ができず、把握する事が困難でもある。
 感覚器官の中で、唯一感覚を防げない。身体のつくりはそうである。聴覚の情報量は少ないけれども、何か大切な事を聴き取っているのではないだろうか。

 聴覚を頼りに風景を読み取る事において、受け取った情報をイメージするのは必須であり、意義がある。想像力を働かせる作業がかかせない。音を頼りに想像しイメージしたものが、見た目よりも魅力的で本物よりも本物らしいことも、ある。その方が印象的であるかもしれない。そのような可能性を秘めている。

 音風景と同時に、静けさにも関心があった。静けさとはどのような状態を言うのか。無音の状況を静けさとは言わないが、しっかりした定義は出廻っていない。

 空間内での音の柔軟性は、解り難くもするが、聴き手の意識次第で音風景を多様に読み解く事が出来る。1つの景観から、聴き手次第で無数の音風景がうまれる。
 静寂な空間にしても、そうだ。ただ、静けさを感じる為の意識作り、精神集中できる空間を作る事が必要となる事が分かった。

 音風景を作りだす事は、多くの場合不自然で人為的な空間演出になり易い。
 単純に音を追求するのではなく、風景の印象や状況作りが大切だと思う。

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