神楽坂建築塾 第三期 修了論文

地域に風土性を取り戻す
―土地利用の視点からのまちづくりの考察―

  神楽坂建築塾第三期生 橋本雅永子

目次

1. 土地は個人のものか?

4. ドイツの建設管理計画に学ぶこと

2. かつての農村の土地利用

5. まちづくりと時間

3. 土地利用の秩序−建築自由・不自由の原則−

6. 地域に風土性を取り戻す

  

1. 土地は個人のものか?

 私は、都市整備公団の建てた新興住宅地のマンション群に20年以上住む一員なのだが、団地内に植栽が多く、また、家のベランダからは水田とその先に林を望むことができ、こどもの頃から遊び慣れ親しんだこの町に愛着がある。しかし、道路沿いの農地に接する場所がどんどん宅地や大規模店舗に変わり、農地が細切れに残され、ある日突然、見慣れた林がなくなってピンクの四角い箱の建物が出現したりする。宅地にはさまれた農地は、転用しても問題なしとして、さらに宅地用地や開発の波にさらされる。もうどうにでもしてくれ!と叫びたいような状況だ。

 そもそも、土地を個人で所有するというのがおかしいのではないか。個人所有にするから勝手気ままに作られた、周りと調和しない建築がはびこるのではないのか。所有にこだわらず、利用権があればよいのではないかと思う。しかし、それを人に話したら、そこまでするには民法から変えねばならないし、日本人の土地所有意識の強さから言って無理だろうと言われてしまった。

 確かに個人の自由、経済活動の自由など尊重されるべきものだが、義務と責任を伴わない権利や自由はないはずだ。戦後入ってきた「民主主義」は、日本においてはことさら「権利と自由」のみが強調され、欧米ではそのバックボーンとしてある筈の社会に対する「義務と責任」の部分が、日本人にはすっぽり抜け落ちてしまっているように感じる。戦後、それまでの日本にあったものを良い悪いにかかわらず、全ての価値観を否定してしまったことで、精神的拠りどころを失わせ、日本人のタガを外してしまったというと言いすぎだろうか。

 土地は商品のように扱われる性質のものではないと思う。個人や企業で所有するなら、もっと地域の人間のことや後の世代に続く人間のことを考えた、スパンの長い目で見た利用をする必要があるのではないだろうか。そのような視点からまちづくりを考えてみたい。

 

 頁はじめに戻る

2.かつての農村の土地利用

 明治初期に日本を訪れたイギリス人の旅行作家イザベラバードは、当時の農村を見て『「鋤で耕したと言うより鉛筆で描かれたように」美しい……実り豊かに微笑する大地であり、アジアのアルカディア(桃源郷)である。自力で栄えるこの肥沃な大地は、すべて、それを耕作している人々の所有するところのものである。……美しさ、勤勉、安楽さに満ちた魅惑的な地域だ。』と著している。それは人間の作り出した土地利用が地域の自然と無理なく融合し、安定した環境だったからだろう。日本の稲作を中心とした文化は2000数百年になる。江戸時代も300年間安定的に推移した。それらの時間経過の間に淘汰され、培われたものが、美しさだったのではないか。

 農業を行うには土地の質や形状を読むことが必要で、必然的に土地利用は秩序をもったものとなる。その秩序について、守山弘の著作より要約すると以下のようなものである。

 集落をムラ、農地をノラ、肥料を取るための人工的な二次林をヤマと呼び、台地と沖積平野の境では、平野部の平坦地を優先的に水田(ノラ)とし、ヤマをムラの背後に配置した。古くからある台地上の平地農村の塊状集落ではムラ−ノラ−ヤマの同心円状配置となった。平地は土地の起伏が少ないので畑や林の位置や面積は自給に必要な量、労働力、労働生産性で決まっていた。また、その農地に必要な肥料の量も必要なヤマの面積も、農地から割り出されていた。これらの量は江戸時代には把握されていたので、新田開発の際にはこれらの秩序を利用し、道路に面してムラ、その裏にノラ、ノラの先にヤマを配置したという。

 現代は交通手段も発達して、必要なものは地球の裏側からでも調達できるし、自分が移動することも可能である。かつての農村のように土地の自然を読み、働きかけ、活かすといった土地利用の秩序を生む制限要因が見当たらない。だから日本の都市部は、地域内の資源量では到底成立し得ない人口を抱え、無秩序に肥大化している。このことが、ごみや下水や地域的な異常気象など様々な環境問題の一因ともなっている。

 

 頁はじめに戻る

3. 土地利用の秩序−建築自由・不自由の原則−

 なぜ、日本では土地や家屋が投機の対象となり、無秩序な開発がなされたのか。高度経済成長時に、有効な土地利用政策がとられなかったことが重大な失敗だろう。

 土地利用のあり方として、日本では農地以外は建築自由、ドイツをはじめとするヨーロッパ各国では、全ての地域において建築不自由の原則をとっているという。ここが決定的に違う。

 日本の場合、都市部は地域の用途を指定する都市計画法があり、単体の建築には建築基準法があるが、農村部において都市計画法はなく、都市計画法のような用途指定がなされているのは農地法による農地のみである。種々の規制はあるものの、建築自由の原則から何処を開発するかは開発側が勝手に選定を行う。何処でも自由に建築してよいなら、道路や鉄道などの開発が見込まれ、将来値上がりする沿線の安い土地が狙われる。一体的に残されていた農地や林、水源を涵養する斜面林も何もお構いなしである。開発側は基本的に地元同意が得られれば許可が下りる。行政上の観点から開発を禁止しようとする場合、禁止しようとする側で、なぜ開発してはいけないのかを立証しなければならず、禁止する側に過大な負担となる。

 農地を宅地や商用地に転用する場合、農地法(農地のスプロール開発や農業上の利益の確保、土地投機を防止するための法律)に基づいてなされるが、農地法は現況主義をとっており、周りが開発されると挟まれた飛び地についても転用しても支障ないと判断されることが一般的で、どんどん農地は後退する。現況主義という弱い立場の上、次から次へと開発要請にたえず応戦しなければならない苦戦を強いられている。

 これに対して原則不自由の国は、建築もしくは開発を行う都市の側に、なぜこの建築をこの場所に立てるのかの立証責任がある。開発側に説明責任が求められ、不要不急の建築などは認められず、開発側の自己規制につながっている。

 日本の建築や開発が個人の嗜好に偏っても平然としているのは、建築自由の原則に立って開発側に説明責任がないのだから、当然のような気がする。

 

 頁はじめに戻る

4.ドイツの建設管理計画に学ぶこと

 
4−1.地域を総合的に見る

 日本の行政は国も県も、各セクションの専門性の中でしか地域を考えていない、というのが個人的な実感だ。それを調整する部署はもちろんあるが、国からの補助事業が絡んだりすると各セクションの利便性が最大となるようにしか、計画が行われないことが往々にしてある。人間としてその地域で暮らしてみてどうなのか、地域の人にとって何が大切なことなのか、そういう視点が欠けているように思う。

 市町村単位の計画が総合的におこなわれていればよいが、やはり縦割りのまま、ということも少なくない。単一目標を達成するためには同じ職能をもつ集団によるものづくりの仕組みは効率的だが、地域の総合的な整備のためには視野が狭くなってしまう。 

 その点、ドイツは市町村が都市計画の権限を持ち、地域の土地利用計画(Fプラン)は日本の都市計画図とは違って、農地の指定と森林の指定、環境保全地域も同時に指定され、土地利用計画はすべて一枚の図面に落とされるという。ただしドイツにおいても農地として残す地区は、州レベルで判断されるという縛りがある。

 地域を一つのまとまりとして総合的に計画するという点を、日本の行政も見習ってほしいと思う。いきなり国の法律は変われないかもしれないが、実際に地域の整備に携わる県レベル、市町村レベルでは、関係各課や部を超えて取り組んでいかなければならない。

 

4−2.詳細な管理計画

 ここで、ドイツの土地利用計画を簡単に説明すると、州レベルには「国土開発計画」があり、アウトバーンや一級国道、一定地域をカバーするエネルギー供給施設や廃棄物処理施設の規模と位置が明示され、これは官庁に対し拘束力をもつ。

 市町村レベルには「建設管理計画(FプランとBプラン)」がある。このうち、「土地利用計画」であるFプランは、市町村が自分の市町村のエリアを対象に将来の土地利用の方向付けを行うプランで、10〜20年後の将来像を図面上に落とすものである。行政内部に対してのみ拘束力を持ち、私人に対しては直接の拘束力はもたないという。

 Fプランをベースとし、個々の開発地域について「地区詳細計画(Bプラン)」がつくられ、これが地域内に住居を作ろうとする私人に拘束力をもつ。その内容は、土地の一区画毎に容積率、建蔽率、建築物の高さ、屋根の角度など詳細なものとなっている。一区画毎に建物の外観を規制できる点が、日本と決定的に違う。

 Bプランがないところには建築は認められず、もしなければBプランを作ることからはじめなければならない。既存市街地にBプランはないが、やはり詳細な規制がかかるという。Bプラン地区と既成市街地以外は、建築が許されない地区で、例外的に認められるのは農業用の倉庫などに限られ、市町村内の建築許可数の5〜6%に過ぎない。

 ドイツでは不動産屋もデベロッパーも存在するが、厳しい規制の中でそれに見合う建物を作ることにしのぎを削っているという。まだドイツではデベロッパーより日本で言う都市整備公団のような第3セクターのほうが多いという。

 また、ドイツの都市計画は、規制を強化する代わりに、住民が計画から参加するという手法がとられている。日本においても農村整備のサイドでは、平成13年の土地改良法の改正により環境との調和に配慮することと並んで、住民参加がうたわれている。住人が日々暮らしていく地域なのだから、お仕着せやお任せではなく、計画から参加して自分達の地域に責任をもつことも重要なのだ。

 

頁はじめに戻る

5.まちづくりと時間

 土地利用やまちづくりを考えるとき、空間的な秩序も大事だが、時間的なものにも配慮する必要があるだろう。最近、河川や農地、水路で生態系に配慮した工事が行われるが、その中に、初めから完成形のものをつくるのではなく、試しに一度つくってみて、生き物の定着具合を見ながら徐々に手を加えていくという工法がある。人間も生き物だから、土地や建築に順応してしっくり来るまでには時間がかかる。

 イタリアに「景観十年・風景百年・風土千年」という言葉があり、景観は十年にしてなるが、風景は百年を要し、風土ともなれば千年を要す、という意味だと言う。ヨーロッパはおおむね冷涼乾燥地で温度も湿度も低いため、物が腐りにくく、新しい建築や構造物が風化作用をうけて土地になじむまでに時間がかかる。しかし日本の場合高温多湿で物が腐りやすく、草木が生い茂るスピードも速い。木で言えば、ドイツは木材として切り出すまでに150年くらいかかるのに対し、日本のそれは50年くらいで約3分の1である。日本における実感は「景観三年・風景三十年・風土三百年」だという。

 風土とは、気候や地勢など自然環境のみならず、人間が手入れをした農地や林、町並み、土地の産物、地域の行事である祭り、食べ物、話す言葉までも、風土の一要素となる。風土というものは、自然と人間の営みとの総和ということができる。それらの個々の要素がその土地の個性であり、住む人たちのアイデンティティとなるのだという。

 この話を読んで、そうか、と個人的な体験に納得した。私は自分が根無し草のように感じていた。できて20年ちょっとの新興住宅地は、従来の地域の風土との必然的な関係性が薄い。住宅地内の祭りや神輿も、何かムリをしてとってつけた感じがして、どうもしっくりとこなかった。風土から切り離された人間は、自分以外の拠りどころがなく、不安定な存在だ。祭りだの神輿だの、表層のそんな真似事ではなく、もっと根本的なところからステップを踏まねばならないように思う。

また個人的な経験談になってしまうが、子供の頃、夏休みになると毎年のように母の実家の神戸と、父の実家の淡路島に帰省していた。神戸の家は2mほどの狭い砂利道の路地を挟んで、隣家との隙間も殆どない木造の家が連なっていた。でも、それが震災で一変してしまった。全壊は免れたものの、立て直した家は多く、家の外面は各家庭の思いのままにタイル張りなどで自己主張し、何だかよそよそしくなった気がした。路地は舗装され、ちょっとカビた感じの地面の匂いがなくなった。そこでの思い出が、一辺に失われた気がしたのだった。

ある日、ぽっかりと建物がなくなるということは、過ごした風景がなくなり、人の心の拠りどころまでも奪ってしまうように感じた。

 他方、昔住んでいたアパートを15年ぶりに訪れた時、その家の前の路地や周囲の緑や建物が残っていたのには、騒いでよく向かいのおじさんに怒鳴られたことなど思い出し、何故だかほっとしたのだった。

変わらない風景があるというのは、人の心を安定させる。変わるにしても、突然ではなく、ゆるやかな変化が望ましい。単体の建築工事などは始まればあっという間に物はできるが、それが周囲となじむような配慮をしなければならないだろう。

  頁はじめに戻る

6.地域に風土性を取り戻す

6−1.個人としてできること

 土地利用計画というもっぱら行政サイドの話ばかり書いてきたが、個人として風土性をもったまちづくりに貢献する手だてはないのだろうか?

 人の身体感覚で捕らえられる空間、住んでいる人が手入れをする空間が、現代、特に都市部では失われているように思う。だが、都市部においても住居周りにはちょっとした土の地面や庭木が案外残っているものだ。野外で季節を楽しんだり、家の外に花の鉢を飾ってみたり、外に開いた暮らし方が、道行く人の心に残る風景となる。井戸端会議が出来るような空間があれば、風土をつくる第一歩の足がかりとなる。

 新たに家を建てるとき、あるいは住み替えるときに、個人が日本の在来工法の木造建築を選ぶことも手だての一つだ。コンクリート造のマンションに比較して、通気が良く、夏の湿気を逃がしてくれる。腐ったところを補修していけば、百年単位で持つ。

 木の強度を縦軸に、経過年数を横軸にとると、そのグラフは上向きに凸な緩い円弧を描く。正確な数字を覚えていなくて恐縮だが、乾燥と共に強度は年々上がり、ある年数をこえると徐々に強度は落ちる。コンクリート構造物の様に、作った後は強度が下がる一方で、壊すときに大変な労力と廃棄物を出すことを考えれば、個人の住む家に関して言えば木造の方が優れているのではないかと思う。

 高校の頃の旧校舎が大正14年に造られた鉄筋コンクリート造で、管理が悪かったこともあるが築70年あまりで壁の鉄筋の被り部分が剥がれ落ち、危険だと取り壊されたのだった。木造であれば、壁を壊して柱だけにして修理し、また再利用が可能であるのに、コンクリートの建築は駄目になったら壊す以外に方法がないのではないか。

 また、同じ木造でも、最近のツーバイフォー工法で建てられた家は、柱を壁で覆い、壁と柱が一体ものとして固定されており、柱だけ残して修理することは出来ない。柱が隠れていることで、柱の呼吸を阻害するため乾燥しにくく、家の短命化を早めているという指摘もある。このことは、吉田桂二氏の著作に詳しい。

 

6−2.環境面から考える

 木は光合成のために二酸化炭素を吸収するが、呼吸のため二酸化炭素の排出も行っている。若い内は幹を太らせるため大量に二酸化炭素を消費するが、老いてくると吐き出す二酸化炭素の方が増えると習ったように思う。地域の木を一定のサイクルで伐採し利用すれば、ある程度、空気中の二酸化炭素を木材の中に固定し、空気の浄化が期待できる。地域にまとまった緑地帯や農地があることで、植物の葉から蒸散する水分で、地域の気候は緩和される。都市のヒートアイランド、もしくは砂漠化、集中豪雨は、こうした緑地帯が極端に減少していることも一因である。これらの土地の確保が、これからの都市部に必要なことだ。安くなったとはいえ、まだまだ高い都市部の地価を考えると、個人ではなかなか難しいが、NGOやNPOなら出来なくはない。時には行政も巻き込んでいくことが必要だ。

 

6−3.賢い住み手が地域をつくる

 日本は温帯でほうっておけば森林になる国なのに、木材の自給率は2割という低さだという。食料自給率は問題にされるのに、こちらはあまり話題にならない。やれ北欧のパイン材とか、東南アジアのラワンだとかを安いとか需要がある等と言って買いあさるのでなく、自分たちの国の材をもっと使わなければならない。地域のものを最大限地域で利用していくことは、自分たちの地域の風土を守り育てるだけでなく、他の国の環境や風土をも守ることにつながると思うのだ。

 農産物においても、グローバリゼーションに対抗して、地産地消やスローフードという動きがある。住まいや地域の暮らしについても、個人はもっと賢くならなければいけないと思う。生活する場に風土性を取り戻すというのは、地域のめぐみに感謝し、それをとことん利用し、人間の「いきもの」としての感覚も大事にした暮らしと、地域のコミュニティを築くことではないだろうか。そうした下地があって初めて、行政側の土地利用計画も命が吹き込まれ、住む人、訪れる人にとって、魅力ある町ができあがるのだと思う。

 

<参考文献>

2.かつての農村の土地利用
「むらの自然をいかす」守山弘 著/1997/岩波書店
3.土地利用の秩序−建築自由・不自由の原則− 及び 
4.ドイツの建設管理計画に学ぶこと
 「農業情報」No.527 2002.2/農業情報研究所
(ドイツにおける土地利用計画制度−農地の計画的保全を中心として−/高橋寿一)
「地域資源の保全と創造−景観をつくるとはどういうことか−」
   今村奈良臣,向井清史,千賀裕太郎,佐藤常雄 著/1995/農山漁村文化協会
5.まちづくりと時間
「保存と創造を結ぶ」吉田桂二 著/1997/建築資料研究所

 頁はじめに戻る

←BACK