神楽坂建築塾 第三期 修了論文

神楽坂建築塾と旧入遠野製品事業所改修作業を通して

 神楽坂建築塾 第三期生 中川藍子

以前から「古いものは残さなければいけない」という考えを持っていた。
しかし、なぜその様に考えているのか自分ではよく分からなかった。
「古い」というだけでは、「残す」理由にはならないし、
価値もないのではないか。
それ以上の何かがあるから「残す」のではないか、
でもその「何か」が分からない・・・

そんな疑問を持った私に、2001年の春すてきな出会いがあった。
大学のゼミの活動として、
福島県いわき市遠野の旧入遠野製品事業所の改修作業に参加できたことだ。

目次

1.初めての遠野と改修に向けてのプラン作成

3.改修作業を終えて思ったこと

2.改修 (9月1日〜8日)

  


初めての遠野と改修に向けてのプラン作成

 福島県いわき市遠野は、以前、農具や包丁などをつくる野鍛冶や、手漉き和紙などの工芸が盛んな町だった。そんな町を住民は誇りに思い、愛している。しかし、今は鍛冶屋さんは二軒、和紙を漉く家は一軒になってしまった。

 

 このままではその町の伝統も歴史も消えてなくなってしまう。何とか生きたままの形で残していくことはできないか。幸い、遠野には桶や竹細工などの職人さんも健在であるし、大量生産の工業機械が入ってくる前に使っていた農具や、生活の道具が蔵に眠っていた。それらの町の財産を一番良い方法で残し、伝えてゆく方法を、町の人々は模索していた。そして、ものに触れることのできないガラスケースに展示する新たな資料館を造ることではなく、町に残る営林署の宿泊施設(旧入遠野製品事業所)を改修し、道具などを手にとって触れることができ、おじいさんおばあさんから、ちいさな子供達まで気軽に集える場を作ることを選んだ。

 



 旧入遠野製品事業所とは、昭和初期に立てられた、町の外から働きにきた人々が寝泊まりする営林署の施設だった。何度かの増改築を経たその平屋建ての建物は、五つの和室と台所、事務所からなり、もう何年も人に使われていなかった。周りを田んぼに囲われ、見晴らしのいいところに建っている。

 春、初めて遠野を訪れたとき、まず、町の人に遠野がどんなところかをダイジェストで連れて行ってもらった。野鍛冶の現場や紙漉の道具を見学し、農家も見せてもらった。小道には野生のミョウガがかおを出し、あちこちで緑が芽吹き、秋にはアケビや柿、柚子などが実をつけるときいた。とてもきれいなところだと思った。

 その後、旧入遠野製品事業所に向かった。実は初めてその建物を見たとき、少々不安におもった。改修しようとしている建物が、私が想像していたものとは違ったからだ。少なからず“古民家再生”などに興味があり、茅葺き屋根や土壁などに憧れてた。しかし目の前にした建物は、比較的“新しい”印象の建物で、私のイメージする「再生」に値する建物ではなかった。果たしてこの建物を町の人々が言うように、人々が集える場にすることができるのか。本当に最初は見当がつかなかった。




 しかし、建物の中をくまなく見学し、町の人と話し合いをする中で、“不安”そのものが異物なものとして思えてきた。私の中にあった「古い=残す」という考え方以外の理由がそこにはあるのだと思った。その理由はまだ分からないが、「できる」という気持ちにすっかり変わってしまったのである。

 なぜだろう、私は幼い頃のことを思い出した。私の育った町もいなかで自然がたくさん残っていた。小学校の担任の先生は、その自然の存在をしっかりと教えてくれた。春には、みんなで一日かけて七草を採りに行き、七草粥をみんなで作った。秋には、ドングリからお団子を作った。どの思い出も大切なものであり、今の私をつくった要素であると確信している。その様な経験ができる空間をここに作りたいと痛切に思った。

 

 改修にあたって遠野の人とゼミの学生とで共通した意見は、

1建物を「素」の状態へ
・ 床、天井を外し、遠野の光・風をふんだんに取り込む。
・ 壁を取り除き、大きく空間を使う。

2地元の素材で
・遠野で取れる「土」「木」「石」「竹」を使う。
・ 床は茶室以外、土間のたたきにする。
・ 地元の職人さん、ボランティア、みんなで協力して作業にあたる。

3みんなが集まる場所に
・展示品はそのものが持つ形を生かし、手にとりやすいよう展示する。
・展示する場ではなく、体験し遊べるような楽しい場にする。
・作法にこだわらず、遠野で取れる素材でもてなす茶室を造る。
・ 屋根の上に、遠くからでも見える「遠野のシンボル」を設置する。

以上のような方針を立てた。

 

 秋に実際の作業にはいるので、それまでお互いに意見を交換しながら準備を進めることになった。

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2.改修 (9月1日〜8日)

 七月末に床、天井、壁を取り払った旧入遠野製品事業所は“いわき遠野生活アートギャラリー”と名を変え改修を待っていた。

 ゼミのメンバー10人と先生、助手など計16人で、地元の人々の作業に合流した。大きく分けて仕事を、

・ 土間、土壁               

・ 泥団子による展示台の製作

・ 遠野の山で取れた杉の展示台の製作

・ 展示室に張る焼き杉板の製作

・ 部屋を仕切る竹編みの壁の製作

・ 近所で採れた竹、椿をそれぞれ積み重ねた展示台の製作

・ 実際に使われていた床板と土とを組み合わせた展示台の製作

に分類し、それぞれ、担当を分け大工さん、左官職人さん、竹細工職人さんなどについて作業をすることにした。

 

まず一日目は、以前あった床の高さに土間の高さを上げるため、その下に砂利と砂を交互に敷いていった。慣れない力仕事でみんな疲れたが、地元の人ともたくさん話ができて楽しかったし、どれだけこの遠野のことが好きかも分かった気がした。遠野の人はみんな仲がよくて、素直に生きている気がした。

 

 二日目からは担当に分かれ、私は土間と土壁の作業に入った。土間をたたくときに使う道具も鉈や鋸を使ってつくり、職人さんの見よう見まねでやってみたがうまくゆかない。四層に分けて仕上げるのだが、下の層ができたと思って土を盛ると、はがれてしまって叩くこともできない。土の水分が多かったことなどにも依るが、次の日になってもいっこうに固くなる気配がない。しかし原因もよく分からないのでがむしゃらに叩くことしかできない。土壁もその時は職人さんがいなかったので、イメージだけを頼りに塗り始めた。木舞もしっかり組めず、土と水と藁の分量もよいものがなかなかできなかったが、小さいときに手伝ったことがあるという地元の人にヒントをもらい、何とか塗ることができた。

 

 焼き杉板を作るチームも、過去に経験した学生が一人いたが、記憶をたどっても、本を参考にしてもなかなか均等に焼けず、ガスバーナーで根気よくあぶることに。

 杉の展示台も、重たい12B角の角材を凸凹させず、つなげることに苦労し、蜂に刺されたりしながら黙々と作業を続けていた。

 床板と土の展示台は床板の棘と格闘し、竹、椿の展示台は大量に材料が必要なため、何度も山に採りに行っていた。

 泥団子による展示台も、土をこねるところから始めなくてはいけないので、土や水を運んだり、二種類の土をブレンドしたり、藁を混ぜてみたり、使える形になるまで思った以上の時間がかかった。

 どの作業も大変だが、みんなで楽しく騒ぎながらこの様な試行錯誤をするのは、日常にない経験で新鮮だった。

 そして、誰も使わなくなった“入遠野製品事業所”は、町を愛する人々によって“いわき遠野生活アートギャラリー”という、遠野という地域で採れる素材をふんだんに使った建物として、改修されていった。

 私たちは、改修作業には一週間しか参加できなかったが、町の人々は仕事が休みの日などに作業を続け、11月に“いわき遠野生活アートギャラリー”は完成した。

 11月10日の完成披露パーティーに招かれ、二ヶ月ぶりに訪れると、想像以上の空間が広がっていた。遠野の素材でつくられた展示台は、蔵に眠っていた農具や、生活の道具を生き生きとさせ、遠野の美しい風景が見渡せる茶室では、紅葉した柿の葉でお菓子が振る舞われていた。作業中にあった見慣れた人々が、みな家族を連れて遊びに来ている。外では、柚子や新鮮な野菜をおばちゃん達が売っている。野鍛冶や竹細工、桶、藁草履などの職人さんが誇らしげに仕事を見せている。左官職人さんが用意した木舞に、器用に土壁を塗っていく将来大工志望の男の子、はがきサイズの手漉き和紙に落ち葉を上手に入れる女の子。みんな楽しそうに過ごしていた。
 すてきなことだと思った。町の人々が願ったように、幸せな顔がそこにはたくさんあった。

 地元の人々と作業を続けていく上で、頭からずっと離れなかった言葉がある。

“ヴァナキュラー”という言葉だ。

 

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3.改修作業を終えて思ったこと

 “ヴァナキュラー”という言葉を知ったのは大学三年の時の授業でだった。その意味を先生は、“土着的な、その地方で採れる素材を使った”といった言葉で表現した。私はその言葉に魅力を感じたが、私には触れることのできない過去の出来事の様な気がして、それ以上踏み込んで考えることができなかった。

 そして今年の建築塾で“ヴァナキュラー”という言葉に再び出会った。

 “土着的”なものは流通のしっかり行き届いた世では、逆に見つけづらい。身の回りを大量生産の工業製品に囲まれ、もしかしたら、これが土着的なもの?と勘違いしてしまうかもしれない、そんな時代にいるのだとおもっていた。だから、“ヴァナキュラー”とは、過去を表す言葉に過ぎないのではないかと思っていた。

 しかし、遠野での改修作業に参加し、言葉では簡単に理解することのできない“ヴァナキュラー”を体験した気がした。“素材”だけに着目して考えていたところが私にはあった。木や、土、藁など天然素材を使えばそれが“ヴァナキュラー”と思っていたのだ。それだけではない、人だ、と思った。まだ明確に表現することはできないけれど、私の中で長年の疑問だった「“古いものは残さなければいけない”のはなぜか」まで、解けそうな気がした。

 今の時代、自分の住む町を大切に思う気持ちや、周りの人々と幸せに暮らすことを願う気持ちを、表現する場がない。そのことにも気づかないで、生活を送っている人もたくさんいるはずだ。

 私が携わったのは、町の伝統や工芸を展示し体験し、人が集える場をつくるというものだった。そこには、町を愛する人の力が大きくはたらいていた。完成したら、かわいい孫を連れてくると言って一緒に作業していたおじいちゃん、子供が幼稚園に行っている間だけといって泥団子を作っていたお母さん・・・自分の好きな町の姿を大切な子供達にも残し、伝えてあげたい、そんな気持ちが垣間見えた。

 昔の左官職人がそんなことを考えて土壁を塗っていたとは思わない。しかし、これからは放っておいたら、どんどん新しいものに変わっていってしまう時代。古いものだけがいいというのではない。今、手元にある美しいものや、大切なものも十分知って、伝えていかなければいけない。

 私は、人が“自然の中で、素直に生きられる建築”をつくる人になりたい。

 

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