神楽坂建築塾 第三期 修了論文

architekton

  神楽坂建築塾第三期研究生 志村房恵

目次

1. 最近ふと考えたこと。

6.それに対応していくには

2. 過去と現在の建築を取り巻く状況の違い

7.住環境の見直し

3. 現代の建築の質的影響

8.建築空間の形態

4. なぜこのような状況になっているのか

9.実用性から様式へ

5. これからどうすればよいか

10.まとめ

  

1. 最近ふと考えたこと。

 私が描いている図面・それは建設業者によって施工され、建築物としてこの世に存在するようになる。その建物に一体どれだけの人が接触していくのだろう、実際にその建物に出入りする人、外からその外観を見る人、多分私が考える以上の人がなんらかの形でその建物に接触するだろう。そのことによってどれだけの人に影響を及ぼしていくのだろうか、「人間性を誤った建築家の仕事は多くの人間を長い間苦しませる」その言葉が不意に思い出されて、思わず手が止まった。
 何時からなのだろう時間に追われることがあたりまえになってしまったのは、そしてそんな毎日のなかで大切な何かを社会という大きな渦の中に消しさってしまいそうになる自分がいる。それをかろうじて止めているのは旅行先での体験、過去の遺産と言われる建築物との出会いと、それらの建築物とのまるで意識が空間に溶けていくかのような一体感ともいえる感覚である。
 現代建築のなかでこんな感覚に陥った建築はいまのところ存在しない(まだ出会っていないだけかもしれないが)、近い感覚のものはいくつかあったがなぜだろうそこに小さな虚無のようなものを感じてしまう。過去多種多様な様式が創りあげられてきたように現代建築も何時の日にか様式となっているのだろうか。
 これを機会に過去と現代の建築について少し考えて見ることにした。

 

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2.過去と現在の建築を取り巻く状況の違い

1 人口の増加

 多くの人が家のない状態、つまり量的要求が満たされていない。
(昔に比べてその全体に対する要求率が増えていること)

2 経済上の発展

 所得の増加により経済的な余裕が生まれた結果、誰もがより良い建築を要求するようになった。住宅はもちろん公共施設まで。

3 社会化

 建築家の対象が王侯、僧侶等、裕福な人々から一般市民に移り、要求するものが記念碑的な意味あいの建築からより生活に近い位置にある建築へと移り変わっていった。付け加えて産業革命の政策が適切でなかったため大量の人口が都市に流入し、その結果多くの人に住宅が無い状態になる。しかも建築生産率が人口増加率を上回らない限り全ての人が家に住むことが出来ない。

4 機械化 

 特に自動車の導入は公共の場を道路や駐車場に変えてしまった、また機械のスケールは人のそれより大きいので、必然的に人から機械のスケールにとってかわった建物になる。大きいスケールは建築に高さと深さを与え、その複雑性から建築の手工芸的なものを追い出してしまう。

5 都市化

 急激な人口増加は都市のスケールを機械化し、都市に記念的性格を持たせていた建物の存在力を押さえ込んでしまう。これにより都市の象徴的機能は失われ、さらに住宅は郊外へスプロール的に広がっていく。郊外での建築は自然との接触をもたらす代わりにネガティリブな空間を創りがちである。

6 時間

 今まで緩やかだった時の流れが技術革新と共に急激に進むようになった。社会の中に無駄を省くことがより経済を発展に導くという神話が生まれ、時間の速度を静的状態から動的状態にした。しかしこれはある程度までは本当といえるが、全てに対して経済の発展が豊かさになるとは言い切れない。物が溢れるということは得てしてその物の存在する本当の意味を見失いがちになるからである。

        

 以上から人は合理化と機械化を自ら望み、機械の支配下で生活する環境を豊かさと思い、次第に生命感を失って行くであろう大都市で生活しなければない状況にあるといえる。
 さらにそんな環境に疑問を持たない人々が大多数であること、自らより良い住環境を望んでいるのにそれに対する探究心は薄いという態度が浮き彫りにされている。その様な環境下で人の心も機械化していかないという保障はどこにも無い。私が現代建築で感じる虚無感や現代人の抱えるストレス・心の病などは、案外ここに原因があるのではないかと考える。環境が人に与える影響は計り知れない。建築(都市)が人に与える影響をどれだけ社会が考えているのだろうか。
 一体建築とはなんなのか、またその影響力が現在どれだけあるのか、簡単に整理にてみた。

現代における建築の分類

1  自然的建築(住民自身、棟梁などによって造られた建物)

2  大学等の教育機関による建築

3  上述の中間にある雑種的建築

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3. 現代の建築の質的影響

1  全体から見て建築家の創る建築が少ない。(建築家という職業が、その分野の活動範囲からみても非常に小さい部分にしか影響を与えていない事)

2  質の高い建築でも周囲の建築の中で影が薄くなる。(ここから建築が周囲に放射するものであるということがうかがえる)

3  建築家自身どの方向に行きたいのかわからない質のものが多い。

 付け加えておけば建築上の新しい概念を生み出し、より良い建築の創造に貢献した建築や、建築空間を創造した群の建築がまったく無いわけではない。ただ世界中の建築家の行動を正当化するには足りないだけである。しかし明確に方向づけのできていない建築家が多かったとは事実で、その結果を生み出しているのは建築の教育機関と社会情勢にあると思われる。

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4.なぜこのような状況になっているのか

 昔の建築は円錐形の底辺で造られ、地方的な条件が共同体ごとに違っていたので色々の水準で変化に富んだ建築表現が見られ、それが適者生存の法則にしたがってふるいにかけられ、高い水準となっていったと思われる。同時にそれはその時代最高の技術と精神の表現であった。
 今日の建築家は既に円錐形の頂点に置かれているので、自己の影響力を行使しようとすれば踏み段を降りなくてはならない、また建築現場から建築家の姿が消えてしまったので実際の建築作業との交渉する機会を失った(現場で空間創造することがなくなった)。ここで昔の建築家は工人であり棟梁でもあったと言える。
 また建築が経済、社会、政治、行政、技術、美学、工学等、色々な面から規制を受けるようになったにもかかわらず、いまの時点ではお互いが無関係ともいえる位置関係を保っていてお互いに協力するということがない。無論建築教育の中でこの事に触れることは皆無に等しい状況といえる、これが一番の混乱の原因と言えるだろう。
 しかし、逆を言えば建築を建築の創造に関与するあらゆる力の表現としても定義できる、とすれば今も昔も建築はその時代最高の技術と精神の表現方法であると言えることになる。

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5.これからどうすればよいか

1  都市と住居群を相手に建築創造を行わなければならなくなったことを認識し、記念的建築物から一般市民の求める生活に密着した建築と空間に視点を変えることである。

2  人間社会において大多数の民衆のため、より良い生活のために設けられた広範な目標にかなうように自らの建築を適応させること。

3  現代的問題を探求し、新しい建築創造の必要性を説き正しい動機のために戦うこと。

4  所得が増大した民衆により良いサービスで答えられるよう準備すること。

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6.それに対応していくには

1  局地的環境(建築に関係するあらゆる分野と地方・郷土的風土の2つの意味合いを含む)の理解と、統合調整機能としての建築の役割を理解すること。

2  建築教育の中心で、建築に関するあらゆる分野のエネルギーを総合し、建築創造の各分野に総合的調整作用が働くようにすること。

3  1つの建物を造るのに着想・設計・建設をより組織的に統合すること。(昔に比べて現代では1つのコミュニティを造りあげるのに膨大な数の人の手を必要とするので)

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7.住環境の見直し

 以上述べて来たようにこれからの建築家の領分は生活に密着した空間の創造に大部分を占められることになるであろう。しかし世界が国際化を目指す限り機械化の波を止めることは出来ない。
 では、機械化された区域と有機的な区域で区分した都市の形成はどうであろう。つまり、インターナショナルな性格をもつ区域(ブロック)と人間的尺度の区域(ブロック)を分けた都市にするという考え方である。ここでいう人間的尺度の地域とは人の歩行距離を基準にした地域と置き換えることが出来る(人が主人公の区域=住居地域)。インターナショナルなブロックが機械的な方向に向くのは仕方がないとして、住居地域はあくまで人のスケールで統一することが重要である。それにより空間の人間的有機性の強調を図ることが出来るからである。
 人を魅了するもの、そこには生命力に似たある種の潜在的な力が存在すると考えられる。1つの家族が創る住居(有機的コアと置き換える)、それぞれが空間的に相互に関連結合して全体として1つの総合体をなすとき、そのコアひとつひとつが内蔵する生命を内から外へと成長させるような住居地域が出来上がると考える。
 建築は機械に仕えるものではないし、まして一定の裕福な人々に仕えるものでもない、建築は人に仕えるものであり、その心が現実となったとき永久性のある都市が生まれのではないか。

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8.建築空間の形態

建築空間の形態
 この世で最初に建築的要素の空間として現れたのは住居であると考える、そしてそれは当初球状に近いものであった、多分自然に近い形をそのまま利用していたからであろう。
 それはしだいに直線的に表現されるようになってきた、つまり空間においては直線的な方が利用しやすく、円形の利用は限られた範囲のみで象徴的に使うことが長い時間の中で明確にされてきたのである。都市計画においても同じことが言える、古代ギリシャのオリンピアのアルティスは多数の直角的建物に円形建物が加わった伝統的な例である。そしてこの先もこの傾向かくつがえされることは無いだろう。

集落
 集落とは最も人の尺度に近い住居地域の姿ではなかろうか、歴史的な様式に流されず自然と土地の歴史を重視し、それに人の生活環境が適応した建築的総合体の形だと思うからだ。そしてその姿はまるで大地に根をおろしたかのような風景といえるものであり、人々をとても懐かしい気分にさせる。
 人が自然の一部である限り一番無理なく生活出来る環境、またそこから生まれる建築の姿やその総合体である景色も自然と一体に見えるのが本当の姿なのかもしれないと考える。

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9.実用性から様式へ

 人は基本的に同じであるから万人のものとなるためには最も単純な方法で建築をとらえなければならない、その過程を通せば世界的、地球的表現を導きだせるはずである。また人と人の社会的接触度が高まると形のまねでなく、たくさんのものからの斬新的取捨選択が始まり、その過程を通して現実的細部における高度の解答を導きだすことが出来ると思う。流行を追うことを避け本質に注目し理念を明確にする心を忘れなければ、何時の日にかある種の基本的伝統的な形態へと回帰して行くであろう。それが様式と呼ばれるものであると考える。

住空間の重要な要素
1  実効的・美的側面での人間的尺度

2  空間利用上の経済

3  最適の局部気候

4  機能上・保全上の経済

地域性
 様式がある地域一定の趣味の枠内で、無数に建てられた建築の斬新的取捨選択の末に現れたものだと仮定するなら、地域性が消えることが無い限り現代建築も何時の日にか自然的必然的な様式に回帰するであろう。それにはどれだけの時間がかかるかわからないが、建築も人と同じように時間の中で生きているものであり、建築的魅力が増していくためには人と同じように時間的経験が必要だとおもわれる。

時間
 歴史的な時間は魅力となるが、目の前にある建築において時間は主として動きとして表現される、つまり人は建築という総合体の内部を歩き、感じ、そしてその建築と一体となることが出来る。近代になり時間の流れは速くなっているが、だからこそ時間に対する重要性をより感じるべきであろう。

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10.まとめ

 我々は実用建築からはじめることに努力を集中しなければならない、そこから自然に記念的建築が芽を吹くように、空間を創造し、建設し、自分自身の生き方を求める。
 そしてそのために社会と戦うことを臆さないこと。
 建築はそこから生まれるものであることを忘れてはならない。

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