神楽坂建築塾 第四期 修了論文

建築的視点からの十日町再生

  神楽坂建築塾第四期生 阿部正義

目次

1.十日町の風土

2.十日町の歴史

3.十日町の現在と問題提起、今後の提案

  

1.十日町の風土

 信州の山々に端を発する千曲川が新潟県へ入って信濃川と名を変えた所に位置するのが十日町盆地である。盆地の中央を信濃川が横切り両岸には所によっては9段にものぼる見事な河岸段丘が広い台地を形成している。

 こうした盆地は独特の気象を生み出している。十日町市の気象には二つの特色がある。一つは北陸地方特有の冬季における多量の降雪でありもう一つは内陸盆地的気象である。年間降水量は2570@で全国平均の倍近い数値でありその約40%が降雪である。過去75年間の最大積雪量は昭和20年二月に記録した425Bで、新雪累計は2103Bにものぼり、根雪期間も平均128日を数える。積雪量が多いだけでなく盆地特有の気象として風が少ないことと多湿と気温の日較差が大きいことがあげられる。

 十日町盆地の基盤は魚沼層や河岸段丘堆積物で地下水が含有しやすい地質と、段丘を形成する魚沼層は信濃川に向かって傾斜する向背構造をしていて盆地底に地下水が流入しやすいため伏流水が多いなど好条件が重なって豊富な地下水に恵まれ、良質な織物や稲作が可能な自然環境となっている。

十日町観光協会

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2.十日町の歴史

 織物の街

「雪ありて織物あり」

 この地方では半年近い間深い雪に埋もれるため、冬期間は戸外の農作業がまったくできない。屋内での仕事に生活の糧を求めなければならない宿命をもつ農家の主婦たちの生業として織物に勝る仕事はなかった。

 雪国の女性たちは長い冬を黙々と堪え忍び、越後人特有の我慢強さと手先の器用さに加えて生来の勤勉さで親から子へ、子から孫へと、幾十世代にわたって織物を織り続けているうちに蓄積された高度の製機技術が脈々と伝えられてきた。

 糸や布を雪晒しによって漂白するのも雪の恵みである。雪晒しは、雪のオゾンが太陽光線にふれて酵素を分解するときに、酸化漂白作用の働きでものの表面を白くするのである。また、豪雪地の豊かな雪解け水は、地下深く魚沼層を透過するうちに良質な軟水になって、染色に素晴らしい発色効果を上げている。織りあがった製品は高価な割には軽量で、交通不便な山間豪雪地でも輸送には支障を来さないなど、織物は雪国にもっとも適した産業であった。

 厳しい自然環境に耐え、織物にしか生きる道を見いだすことのできなかった雪国の人々が、背水の陣で取り組み、しかも雪を敵としてではなく、恵みとして生かすために、血のにじむ努力をして生まれたのが十日町織物である。

 鈴木牧之が「北越雪譜」の中で「雪中に糸となし 雪中に織り 雪水に洒ぎ 雪上に晒す 雪ありて縮あり されば越後縮は、雪と人と気力相半ばして名産の名あり。魚沼郡の雪は縮の親というべし」と書いている。雪は織物の母である。

古民家の特徴と習俗

集落

 信濃川沿岸の十日町盆地および周辺の山地に点在する集落は、戸数数十戸の塊村として広がっている。河岸段丘の上と山地に立地する集落とではその違いはほとんど見られない。

中央部の市街地は、都市機能が備わった街並を形成している。

屋敷

 集落の屋敷は、主屋を中心として、背後に山か屋敷林を配し、正面に作業のできる空地をとって、わきにタナと呼ばれる池をしつらえている場合が多い。クラなどの付属屋が建ち、家によっては稲荷などの屋敷神を祀っている。隣家との境界は細い用水か下水用の川にしている。また、屋敷の際には杉などのハサギを並べてハッテバ(稲架場)にしている場合もある。屋敷裏の崖を利用して横穴を掘り、里芋や大根の貯蔵に当てている家も多い。

 アマンブチ(雨縁)という軒から雨だれが落ちてつくった地面の窪みが、家の周りにできているが、ここは神聖な部分であり、ここで小便をすると陰部が腫れると言われてきた。

 主屋のことをこの地域ではホンヤと呼んでいる。ホンヤは主屋の本体をなす主棟と前中門・後中門とを合わせた部分をいい主棟のみを示す場合もある。

 主棟の小屋組は叉首組である。周囲の側周り(外回り)より三尺分内側の入側に、他の柱より太い上屋柱を立てている。入側の上部には上屋桁をまわし、叉首からの荷重を支えている。

 二階に当たる小屋裏は、ソラまたはテッチョと呼んでいる。さらに三層をしつらえた場合にはオオソラと呼んでいる。四層の家も稀にあるがその場合は二階からからシタソラ、ソラ、オオソラと呼び分けている。

 敷居上端から鴨居下端までは五尺八寸が多い。

 柱太さは四寸から四寸五分。上屋柱は五寸八分から七寸八分。差鴨居の成は一尺を超えるものが多い。

イヌキ

イヌキとは既に人が住まなくなった民家に新たに移り住むことを言う。過疎化で住居を街場に移す場合が多く、それに伴って現在住んでいる家よりも良質の民家があればそこに移り住む習俗である。特に新しい民家でもなく、古い民家においてもイヌキが行われる。

百年祭

 ホンヤ建築後100年経過したことを祝って百年祭を催す家がある。この地域では古くから普請帳が広く普及しているため建築年は比較的容易に判別できるが必ずしもそれらを根拠にしているとも限らないようだ。

屋根

 茅葺屋根はクズヤともよばれ、材質はカヤであり、麦藁や稲藁はほとんど使われなかった。茅葺屋根の主屋は寄棟型である。前中門や後中門の屋根は現在切妻トタン葺きが多い。古くは木羽葺きだった。

 前中門には、主棟と一体となった茅葺の屋根型が少数だが現存する。この場合は、破風造りと呼んでいる入母屋型か、入母屋兜造りまたは寄棟系兜造りの形態になっている。

 中門と主棟の結合部分の屋根は谷状になっており、これはダキと呼ばれて雪がたまり、傷みのひどい箇所でもある。

 病人が死にそうなとき、家族が棟に昇って枡の底をたたきながら「モドレ、モドレ」と大声をあげる習俗があった。一般に「魂呼び」と呼ばれた。

雪と民家

ユキガコイ

 ユキガコイはカヤで12〜15Bの束を造り家の周りを隙間なく囲んだものである。これは土壁の保護のためのものである。現在は鉤状の金物に板を渡すのが一般的である。

フユミズ

 湧水などを主屋の周りや前の道路に引き込み雪を消すことをフユミズをかけるといい、現在でも広く行われている。

ガンギ

 縁のことをガンギと呼んでいる。主屋のわきに三尺ほどのガンギをしつらえている。床はあったりなかったり。冬場はオトシカケ、オトシイタと呼ばれる板で囲って雪除けや野菜収納とした。

雁木通り

 雁木通りは、町なかの商店街に見られた屋根付歩道であったが市内には現存していない。建物と道路の間に庇を出して、それをつないで通路としていた。積雪時に雪道を通らずに通行できる便利さがあった。道路に雪が高く積まれると暗くなるため、雁木先端の上部に横長の明かりとりの障子をもうけた。除雪や融雪設備の整備に伴いその用途はなくなった。

間取り形態

この地域の間取りは大きく分けて数種類あり、一つは「二間取り型」である。土間であったニワを除いて、居室が二室しかないものである。その二室ともに表から裏まで梁間いっぱいにとって並んでいる。下手はチャノマ、上手はザシキと呼ぶ場合が多い。「魚沼型」間取りは、下手側に表から裏まで通ったチャノマを配し、上手の表と裏に二室を配した形態である。一般的には広間型と呼ばれたりするが、宮沢智士は「越後の民家」の中で魚沼地方に多いことから魚沼型と命名した。その他の間取りは下手と上手の居室を二室ずつに分けた四間取り型も見られる。

ジロ

 この地域では炉のことをジロと呼んでいる。その大きさは三尺から三尺八寸程度の大きさであり、その枠木はロエンとかロインとかよんで桜、ナシ、柿など火に強い堅木で造られている。トントムカシはジロの周りで語られる昔話である。ジロを前にして語り部が聞き手に対して昔話を語るのは夜間のみで、ヒルムカシは語らないのが普通であった。ジロの周りを一月十四日の夜に夫婦が全裸で四つん這いになり廻ったりと様々な地区の特徴ある習俗が伝えられており神聖視されていたことが分かる。

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3.十日町の現在と問題提起、今後の提案

 新潟県の南部に位置する山間都市。全国有数の豪雪地帯として知られており、人口密集地域としての積雪量は世界一とも言われている。かつては織物の町として、「明石ちぢみ」や「十日町絣(かすり)」などの特産で栄えていたが、近年は外国製品の流入や景気の低迷の影響もあり今後の方向を模索しているところである。

 積雪量は温暖化の影響もあってか年々減少の傾向にあるようだがそれでもまだまだ2から3メートルは降雪する地域であるためやはり雪の対策は必然である。

 現在新築する家は「高床式」と呼ばれる三階建もしくは二階建融雪屋根住宅でありその両方を組み合わせた形式の住宅も見られる。

三階建住宅

 三階建てはその構造的規制や多雪地域であること。駐車スペースを確保しなければならないことなどから一階部分をRC造もしくはS造とする場合がほとんどである。また、耐雪住宅なるものがあり、3メートルの積雪とコスト面のバランスから安易に総鉄骨構造とする住宅も多く、鉄骨住宅のシェアは県内随一である。三階建住宅は車庫スペースが確保でき、また高い居住空間を確保することで冬明るく、屋根から落とした雪でも暗くならない利点を持つ。融雪装置によるランニングコストもかからず敷地に余裕がある場合は殆どこのタイプに決まってしまう。ただ街並、景観、コミュニティのことを考えると閉鎖的な街並形成しかなされず、将来的観点から今もっとも問題視すべき住宅である。

二階建て住宅

 冬の自然積雪が二メートルを超えるため必ず一階部分は雪に埋まる。そのため今建てられる殆どの二階建て住宅は融雪装置を備えることになる。それはロードヒーティングであったり、屋根融雪装置であったりするがランニングコストや設備費がネックである。

市街地

 かつて雪国の特徴でもあった雁木通りは姿を消し、無国籍なスチール製の「アーケード」?と呼ばれる庇が中心部を覆っている。しかもそれが傷んだと言うことで数年前から改修工事が始まってしまった。施政を疑う珍事としか考えようがない。数万人の全国からの機織り女工達でにぎわい女性に触れずに街を歩けなかったと言われた町なかは、今は週末でも閑散としておりその面影さえもない。庇を鉄製アーケードに変え便利さだけを目的にした景観無視の改修は次回訪れるであろう改修時期を数十年待たなければならない。その間あの無愛想なアーケードが街の顔になるのかと思うと悲しさと共に絶望感さえおぼえる。「山あいの機織りの街、着物の街」に期待して訪れる人はこの街並にさぞや落胆するだろう。記念碑的に部分で強調するのではなく街全体でもっと市民にも来訪者にも愛着のもてる「かっこいい」街づくりはできないものだろうかと一納税者として悔しい思いでいっぱいになる。このままでは若者が振り返ったときに帰りたいと思う街ではなくなってしまうのではないか。友人を呼んだときここが自分の育った街だと胸を張れるだろうか?

 街は記憶である。記憶はよりどころである。それはつまりアイデンティティーである。離れてこそ故郷の存在が大きくなるのは自分の生きた存在証明がそこに見いだせるから。街を良くするといってピカピカの建物につくり替えてしまう暴挙がまかり通っている。都会にしろ田舎にしろそこに生活する人間がいる限り簡単に街並を変えては行けない。人々の記憶を消し去る行為は人をも消し去る行為に等しい。後には空虚さだけが残る。場所性を無視、地域の特性を「ダサイ」と勘違いしガラス、鉄、コンクリート、都会にあるもので街づくりすれば都会のような賑やかな街になるという大勘違いの田舎根性。そんな認識しか感じさせない街づくりは日本では滅びるしかない。

 十日町には誇れる文化も歴史も自然もある。まだ余力のあるうちに日本一の景観作りを進めてはどうだろうか?

 

提言1

 「住宅にデザイン(材料)コントロールを」

 かつて雪と戦いまた利用しながら生活をしてきた。しかし縄文人も認める豊かな地域。

それが十日町市である。もっと地場を見直した家造りができないだろうか?かつては大きな機屋さんや大地主の邸宅に多く見られた「せがいづくり」。出し桁で深い軒を形成して雪に対処した。それがこの地方の一つのステイタスとなっており、「いつかはオレもセイガイの家を・・・」一時代前の男の勲章であった。立派で風格のあるたたずまいは確かにこの地域の特徴であり、誇れる街並に寄与できると考える。新建材偏重は今すぐすっぱりと止めなければならない。処分不能の建材がそこかしこにあふれ立ちゆかなくなるのは目に見えているではないか。家を建てる個人の夢は、豊かな地域環境があるからこそではないのか?家の隣がゴミ捨て場でいいのか?建物は確かに個人のものであるけれどその外観やそこに住まうと言うことは公的な意味においてコントロールされるべきものである。

 周辺には豊かな山があるではないか。木材を地域で循環させ林業と共に地域が発展しなければ十日町の、いや、日本の未来はあり得ない。空き缶やたばこのポイ捨てには敏感になってきたけれどもっと大きな視点でモノを見て、市民の意識レベルで変えていかなければならない。かつてあった下見板外壁の美しくも良き街並。サイディングの外観は雨風雪だけでなく人の心もはじいてしまう。

 こんなにも素晴らしい地域なのに都会の建物よろしく同じように閉鎖的で、イヤもっと悪い。高床式で相互のつながりすら断ち切ろうとしてしまっている。もっと低い床で暮らせる工夫を!

 

提言2

 「商店街の電線とスカイライン、ファサードの規制を」

 これほど見事にごちゃごちゃした市街地も珍しいのではないか。果たしてこの景観の悪さに気付いている人間が何人くらいいるのだろう?識者を呼んで市民シンポジウムの開催、今後の方向性の検討、商店主の意識改革などを行う必要がある。行政の手助けも必要だ。アーケードをかつての雁木通りの趣を残すデザインで再建築。商店入り口は木製の格子戸や看板。過度な装飾は排除し落ち着いた、しかし消して暗くない「なごみ」の空間をサポートする。バイパスを整備することで市街地へのトラックの進入を制限。安全性と静粛性を両立する。

蕎麦通り、着物通りなど通りに特産の専門店通りを形成することで外来者が利用しやすくも特徴を前面に出した街並を整えやすい配置とする。

 

提言3

 「豊富な伏流水を利用した水の街づくりを」

 豊かな地下水のおかげでおいしい米や着物が特産になっているが、もう一歩進んで町中に水を感じられるスポットを設ける。現在地下水は冬のことだけのために使われているがその水路を活用して厳しい夏の昼下がりに路地で涼を求められるような空間づくりをする。

流雪溝だけではもったいないし、雪だけを克服すれば十日町は素晴らしい街になるのか?そうではあるまい。両立してこそ未来がある。

 

提言4

 「木のDNA」

 日本人には木に対するDNAがあるのだそうだ。プラスチックの弁当箱にまで木の模様をプリントするのは日本人くらいだそうで、古代より木と共に暮らしてきた名残だという。

もっと森林資源を見直し、山と共に生きてきた森林大国日本を復活させなければならない。

何千年の歴史がある暮らし方を、ここ数十年で変えてしまったことの付けが顕われていると思う。反省しよう。計画伐採と森林の整備。地域循環型経済の復活と整備。山が栄えなければ森は、日本は死んでしまう。資本主義の誤りは正さなければならない。木の家を建てよう。木で街をつくろう。それは地域の必然であり未来でもある。

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