神楽坂建築塾 第四期 修了論文

日本人の土地所有意識と法制度の変遷について

  神楽坂建築塾第四期生 橋本雅永子

目次

1.はじめに

3.世界の土地所有意識と制度との比較

2.日本の土地所有意識と制度

4.おわりに

  

1.はじめに

 今期の建築塾のフィールドワークで、再開発を行っている月島や所沢を訪れた。しかし、そこで再開発の名のもとに行われていたのは、町の歴史の破壊とコミュニティの破壊ではないかと思った。地域の文脈から切れ、取ってつけたように住居用の高層ビルが突如現れる。そうして生まれた町はどこかよそよそしい。

 建築のスクラップアンドビルドがあちこちで進む病理の根源は、土地がお金になる資産と言う認識と、自分の土地は自分の好きにして良いという日本人の土地所有意識にあるのではないか。

 土地は商品ではない。個人の財産である前に人が生きていく基盤となる国土であり、土地の面積は限られ、その場所は動かせるものではないのだから、個人や企業の利潤のためだけに全く自由にしていいものではない筈だ。いつから各自の所有物として勝手に処分されるようになったのか、それ以前はどうだったのか、何がターニングポイントだったのか、他の国でも同じような所有意識というのはあるのか、そんなことを考えつつ、土地所有意識と法制度の変遷を見ていきたい。

 

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2.日本の土地所有意識と制度

2−1.土地の所有のはじまり

 一般の個人に土地の所有という概念が初めて与えられたのは、豊臣秀吉の太閤検地だという。江戸時代になると、農民に年貢を納めさせるために、農地に対して「相続可能な永代の家督」という権利が与えられるが、これがその他の土地についても「先祖代々の土地」という意識が浸透していったらしい。

 しかし、明治の初め頃までは土地を持つことに対する意識は今とはずいぶん違っていたという。現在の日本における土地所有は、その土地を自分の意思で自由に利用・処分することができるという考えが一般的と思われるが、当時は自分が耕作・利用している田畑であっても村の皆の物であり、自分の勝手で処分する権利はないというものだった。

 村全体として領主に年貢を払うという仕組みであったことも影響があるのだろうが、耕作を怠けるものからは土地を取り上げ村有地とし、他のものに耕作させるが、元の所有者が年貢分の働きをすれば土地を返す等ということが行われていた。村・部落によって生活の中で作られてきた暗黙のルール(部落法)があり、土地は村全体で管理されていたので、個人が利用している土地はあくまで村という共同体の土地の一部であり、個人の勝手に処分する性質の物ではなかった。


2−2.明治維新のもたらしたもの

 しかし、その意識を変えたのが明治維新であった。

 太閤検地で決定された年貢の石高はその後改正されることがなく、農業の生産力が上がっても低いままに据え置かれていた。幕藩体制のまま明治政府にもその税収基盤が引き継がれたため、政府は土地一筆毎の地価を耕地なら生産力(収量)に応じて算定し、その地価の3割を徴収するという税制の改革を行った。これが地租改正である。これは、以前の領地に対する石高という村全体にかかるものではなく、土地一筆ごとの所有者にかかるものである。そのため、土地の所有者と納税の義務を記した地券を発行し、所有者をはっきりさせる必要があった。

 明治の民法の中に採用された所有法は、西洋から輸入されたローマ法にもとづいており、所有は、排他的な個人の持ち分権(私的所有権)を前提としてとらえられ、ある主体にとって所有権があるかないかという二分法によって表現されるようになったのである。

 地租改正は、このような二分法に基づいて登記が行われ、決まった人がつねに働きかけていた居住地や耕地は、その人の私有地として認められたが、村で共同利用されていた山林・原野などの入会地は、容易に法の体系の中に組み込むことができなかったという。それは、法律が規定する「私人」「公」「法人」のどれにも当てはまらない概念だったためである。

 地租改正は、江戸時代末期に比べ地主の負担は軽減したが、小作の負担が増加し、地租を払えなくなった小作は土地を手放し、都市への人口集中と土地所有の集中を引き起こすこととなった。

 

2−3.入会権の解体

 山林・原野の共同利用については「入会慣行」が定着していたため、明治民法制定時に「入会権」として「所有権」の章に取り入れられた。民法では、入会権は各地方の慣習に従うほか、所有権のなかの共有や地役権の規定も適用するとされた。しかし慣習から見た入会権の本質は、「総有」、「利用権」の性質にあり、各人が勝手に分割請求したり処分できない、転出すると権利を失うなど、共有や地役権よりも環境保全に適っていた。

 明治6年の地租改正以来、明治後期の「部落有林野統一事業」(旧村に属する林野を市町村(公有)へ移す事業)など、入会地を国有・公有・私有に区分・整理する国の政策が推進された。1966年には「入会林野近代化法」が制定され、入会権を近代的所有権に切り替える政策が取られた。その過程で、入会地の多くは生産森林組合や個人の所有・経営にまとめられたり、決着が付かず官有化されたりしてきたが、実際には入会慣行が存続していたり、村人の間で意識されているという。


2−4.戦後の土地所有

 現在の日本国憲法には、国土や土地という文言は一言もないという。それにもかかわらず、土地の所有は、29条の財産権の保障の中に含まれているように思いこまれ、まず土地の所有権が保障され、第二に、公共の福祉に抵触する場合のみ例外的に権利が制限されると思われている。だが、現29条部分のマッカーサー原案では、土地は財産である前に国土の一部であり、所有には義務が伴うということを、以下の3条により明記していた。

 

<第27条>財産を所有する権利はこれをおかしてはならない。ただし財産権の内容は、公共の福祉に合致するように、法律をもってこれを定める。

<第28条>土地およびすべての天然資源に対する究極的な財産権は、国民の総代表としての国に存する。土地および天然資源は、その維持、開発、利用、統制を確保し、改良する目的をもって、正当な補償のもとに、国がこれを収用することができる。

<第29条>財産の所有は義務を課する。財産は公共の福祉の範囲内においてこれを利用しなければならない。私有財産は、正当なる補償のもとに公共のように供するため国がこれを収用することができる。

 

 上記3条は欧米のように土地の社会的義務を課すものだったが、当時の日本側関係者はこの原案を見て、ソ連のような土地国有化を連想し、断固反対して修正を迫ったという。

 しかし、このことが、戦後においてもなお、明治維新後の土地所有問題を解決できず、戦後の日本が戦前の「国家優先」から「公共」と言う中間の概念をとびこえ、逆側の「私人優先」まで振り子を振り切り、特に土地の所有や利用という点について、権利だけを主張し、社会的義務を果たさない日本人を野放しにしたのではないかと悔やまれる。 

 マッカーサーの考えは、土地は利用されるべきもので、単に財産保持として所有されてはならない、利用するものに分配されるものという欧米の認識を踏襲するものだった。マッカーサーは戦後の日本で、日本の支配者層に根強く流れていた地主尊重主義、土地財産絶対主義の思想を排除するつもりであった。明治時代の選挙権が認められたのは、特権階級や地主という一部の人間に限られていたからだ。農地についてはマッカーサーの理念通りに、実際に土地利用をしない地主から耕作を行う小作人へ、農地を分配する農地解放が行われた。

 

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3.世界の土地所有意識と制度との比較

3−1.絶対的土地所有権と相対的土地所有権

 フランスやドイツは、封建君主に対する市民革命等の成果として、身分や地位によって財産権を規定されない、土地に対しても使用・収益・処分がまったくの自由である絶対的土地所有権という立場を取っている。日本はドイツを参考として、明治憲法が作られているので、この立場を踏襲している。

 これに対し、相対的土地所有権の立場を取るイギリス、アメリカにおいては、土地所有権の使用・収益・処分の自由の内、使用の自由(=建築の自由)が否定されている。土地所有権は外から権利が制限されるのではなく、内在的に義務を同時にもっているとされる。

 相対的土地所有権の国の土地の所有と利用は、フリーホールドとリースホールドに分けられ、特に香港、シンガポールでは土地は国有で、それを個人に100年程度の長期にわたりリース契約をする形を取っている。このため、土地が個人だけでなく国民のものという概念が受け入れられるのであろう。

 ここで注意が必要なのは、フランスやドイツは絶対所有の立場であっても、「所有には義務が伴う」という基本精神が法律に定められており、土地所有権の使用・収益・処分のうち、所有と利用では利用が優先し、利用と計画では計画が優先、土地から生ずる利潤の独占と配分では配分が優先するとなっている。計画という厳しい規制が外からかけられているのである。日本のように野放図に、個人の権利だけが優遇されるものではない。


3−2.開発利益の還元

 先に見た欧米に対し、韓国は日本と同様、土地はもっとも自由な財産であり一部例外的規制はあっても最小に抑えられるべきと思われていた。また、韓国、台湾とも、日本と時を同じくして1980年代に地価の暴騰が起こったが、日本が実効性のある対処ができず土地バブルを突き進んだのに対し、それぞれ土地所有について次のような思想のもと、個人の土地所有権に踏み込んで改善が行われ、地価の暴騰を防いでいる。

 韓国では1990年から、土地所有権に対し厳しい規制を盛り込んだ3つの法律が施行された。一つ目は一世帯で所有する宅地を制限する「宅地所有上限に関する法律」、二つ目は開発を行う事業者に対し、その開発前後の地価の差額の50%の賦課金を課す「開発利益還収に関する法律」、三つ目は別荘用地、不在地主農地、都市計画区域内農地等について正常の値上がり益以上の値上がりがあったとき、その50%を徴収する「土地超過利得税」である。

 それらは「土地による不労所得を排除し、公平な再分配を実現して、国民の和合を図る」という「土地公概念」に基づいており、その概念は、@土地は所有権の対象である前に国土の一部である。A地価の上昇は「眠りながら享受する社会的創造価格」であるから公共のために還元されなければならない、B土地はほかの商品と異なり、国民の生活・生産のために不可欠な基盤であるから、公共の福祉のために最も効率的に利用されるよう適正な規制が図られなければならないというものである。

 台湾の「平均地権」は、孫文の三民主義(民族主義、民権主義、民生主義)の内、民生主義(経済的、社会的不平等の排除)から生まれたものだという。

 「私人の完全な土地所有権を認めず、土地所有権のうち支配管理権(上級所有権)を国家に、使用収益権(下級所有権)を個人に帰属させるものである。国家の支配管理権は個人を通して土地に達し、個人は土地に対して使用収益権を有するけれども、その使用及び収益は、国家の支配管理権の下において行われなければならない。土地が個人の投下する労使によって生じた利益は個人に属し、土地の『素地』部分の利益及び社会文明の結果発生した利益は個人を通じて国家に帰属する」というもの。

 平均地権は中華民国憲法の上位に属し、憲法の規定(143条)「中華民国の領土内の土地は、国民全体に帰属する。人民が方によって取得した土地所有権は、法律の保障と制限を受ける。雌雄の土地は地価に応じて納税しなければならず、政府は地価に照らして収買することができる。土地の価値は、労力と資本を施すことによって増加したものでなければならず、国家が土地増値税を徴収し、これを人民がともに享受するものに帰せしめねばならない。」を受けて、「平均地権条例」として具体化される。

 どちらの国においても、憲法で土地が国民全体ものであると明示され、その土地の不労所得(近隣の開発による地価の値上がり分)は個人のものではなく社会に還元される税制を敷いている。そのため、公共によるインフラ整備や民間の開発により周辺の地価が上がるのを見越した土地の売買などに対し抑止力を持ち、土地の暴騰を規制している。日本は1989年にこれらの国と同様な理念をうたう「土地基本法」を制定したが宣言法でしかなく、今までにある制度の中で対応できるとして、その理念を実現するための実効法が定められなかったため、未だ開発があれば地価が上がる状態で、個人の土地所有に対する意識も変わらない状態だ。

 

3−3.共有・共同利用の思想

 土地の個人所有を厳しく規制していくと、全ての土地の公有化するということも考えられる。しかし、費用の問題等もあり、その試みは何処の国でも余り成功していないと言われる。日本では、1億の人口のうち3割程度が土地所有権をもつといわれる。もし日本で全ての土地を国有化しリース制を敷こうとしても、所有が分散していることもあり、国有化には多大な労務と費用が必要となる。それよりも共同で土地を計画的に利用するというのが、各国でより成果を上げているという。

 イギリスでは、計画の策定・土地の利用・開発利益の吸収等の一切の権限が、土地所有権者等が形成するコミュニティに帰属するとされる。開発権(利用権)の社会化という。これは、かつて日本においても、村がそれぞれに慣行法をもって治められていたことと変わりがないのではないか?

 ここ数年日本でも、第一次産業人口の減少に伴い、今まで通りの第一次産業従事者だけによる維持管理が不可能になってきたため、農業や森林、里山保全の分野で、トラスト制度など地域の人が共同で土地を管理する動きが見られる。これは、明治時代に政府が躍起となって解体を進めた入会権への再評価であるとも言えるのではないか。ここへきてやっと、人々の間にも土地は地域の皆のものという認識が戻ってきたように感じている。

 

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4.「昭和初期の家」の内実

 今回、他国の土地利用や住宅問題の文献をあたり、どんな国でも土地への投機の問題や住宅が手に入りにくいなどの問題、持ち家や土地所有へのこだわりは、程度の差はあれ、日本以外にも存在することが分かった。しかし、社会の成熟段階に応じて必然的に現れるものではなく、制度・政策にふりまわされている面が大きい。

 日本には国土交通省、農林水産省など土地に関わる部局がいくつもあり、それぞれが別々の規制や計画をもち、それらが網の目のように絡まっているという。その割に、実効性のある計画・規制が少ない。一度、土地は財産である前に国土であるという理念を頂点に、シンプルに再編する必要があるのではないか。でも、それを待っていては状況は悪くなる一方である。

 今回調べた中で面白いと思ったのは、トルコにおいて健康的な居住環境建設のため、住宅取得を望む市民による協同組合主導による、公園や緑地や娯楽施設まで含めたまちづくりが、地方自治体とともにプロジェクトとして行われていて、それが成功を収めているという事実だ。そこでは、個人の資本や力は零細だが、それが集合することにより、トップダウンの政策でない地域住民によるまちづくりとして成果を発揮しており、次の教訓が語られている。

第1 広い協同的、連帯的取り組み

第2 住居だけに限定されない全体的なアプローチ

第3 プロジェクトを遂行するためのノウハウや技術の習得・蓄積が大切

第4 それぞれの地域が持っている資源や人材に依拠すること

 このプロジェクトにより、国家だけが都市問題に取り組むことが出来る、或いはそうすべきと言う考えを捨て、ライフスタイルや生活条件に最終的に責任を持てるのはコミュニティとそこに暮らす諸個人であるといわれている。

 いくら政府や自治体の人間、地域住民にしてみればよそ者がよかれと思って作った計画や事業で、よくなることがあっても、その効き目は一時的なもので終わってしまう。住む当人たちの意見の反映と、その当人たちの地域社会への絶え間ない働きかけがなければ、地域のコミュニティは生き続けることはできないし、まして良い状態を保つことなど不可能である。

 土地を所有・利用することはその所有者だけの問題だけでなく、地域社会の一部をなすものであり、社会的責任がある。再開発地区でも、行政や企業、住民もそういう意識で当たっていって欲しいと思うのだ。その地域の人間が主役となれるようなまちづくりのために、自治会レベルの人々が共同して地域の利用を考え、実践する場や機会が今後もっと必要になってくるだろう。それらによって、日本人の土地の所有意識も変わっていくのではないだろうか。

 

<参考文献>
(1)「土地問題の起源−村の自然と明治維新−」丹羽邦男著 平凡社(1989)
(2)「コモンズの社会学 森・川・海の資源共同管理を考える シリーズ環境社会学2」井上真・宮内泰介編著 新曜社(2001)
(3)「検証土地基本法−特異な日本の土地所有権−」五十嵐敬喜著 三省堂(1990)
(4)「研究報告書 土地に対する基礎的研究−日本の土地はどうあるべきか、海外の事例に学ぶ−」総合研究開発機構(1993)
(5)「都市革命」清水馨八郎著 東洋経済新報社(1965)

 

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