神楽坂建築塾 第四期 修了論文

時間をとりもどすこと。古時計の修理

  神楽坂建築塾第四期生 さかいきみこ

目次

1.『経緯・出会いと悪戦苦闘』

2.『全然違う話のようだけど、つまりそういうこと』

  

1.『経緯・出会いと悪戦苦闘』

 

二月の始め、家庭教師先に向かう途中の古道具屋で、埃だらけになった時計をみつける。

壊れているのか、動かないらしい。
なんだか放っておけなくなり、譲ってもらう。

後日、隣の駅の時計屋さんに持ち込む。
ゼンマイ式のものは現在では扱っていないらしい。
時計は昭和30年くらいのものではないかとのこと。
古いものであるから、調子が悪いのは当然、ということで、基本的な調整方法を教えてもらう。解体→清掃→油→復元
ゼンマイの山が悪くなっていたところは金槌ですこし金属を延ばして修理した。

一日がかりで、なんとか動くようになる。
感動。

でも、すぐ止まる。。
(現在も調整中)

 

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2.『全然違う話のようだけど、つまりそういうこと』

 話は全く違うようだが、つい先日、厚生労働省の官僚がイタリアを視察した。
目当ては「スローフード」
日本でも本格的にスローフードを考えていこう。ということらしい。

スローフード。ファーストフードの反対語として捉えられている。
イメージとしては、「手間をかけて調理しよう」とか「ゆっくり食べよう」とか「無農薬野菜を使おう」というようなところだろうか。
しかし、スローフード運動は、地元にファーストフードの店ができたのに危機感を持った農家のおじさんから始まった。
現に、イタリアではハンバーガーショップなどはあまり繁盛していないようだし、現地の人もあまり入っていない。隣のイタリア料理店は大繁盛。こういうことはイタリアだけに限ったことではなく、ヨーロッパの国々全体に感じる。
たぶん、生理的にアメリカ的なものが嫌いなのではないだろうか。つまり、彼らはイタリア的なものが愛おしいのだ。誇りがある。彼らにとってスローフードはイタリアに対する強烈な愛着であり自国の文化に対する強烈な愛着の現れなのだろう。

結局、何が言いたいのかというと、日本でのスローフードを考えるのに、イタリアに視察に行ってもしかたがない、ということだ。
日本の“スローフード”は日本文化の中にあるのだから。
イタリア人のように自国の文化に誇りと愛着を持つ。そのためなら多少の不便と手間を惜しまない。いきすぎた便利で伝統の文化を壊さない。

日本で言ったら、朝からごはんをちゃんと炊くとか、桃の節句には桜餅をいただくとか、冬至は柚子湯に入って温まるとか、十五夜には月を見上げてみるとか。

例えば毎朝時計の螺子を巻いてみるとか。
きっとそんなことが大切なことなんだと、思う。

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