AYUMI GALLERY |
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1998.4.24 fri. 〜4.29 wed. 岡村多佳夫企画「 |
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佐野陽一
(さのよういち) |
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「透明な写真」 結局のところ、写真はそれ自身を見られることがなく、言ってみれば透きとおったガラスの様にあるいは鏡の様なモノとして存在しているのではないか? 私が写真を表現方法として発表してきた中で最も多い質問はつぎの二つである。 1は被写体となったモノや場所を特定し、そこの写された大正を問題にする。2は撮影の方法を問題とし、どのようにして写すかということを問題にする。 |
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絵画がキャンバスの上に塗り重ねられた被膜としての絵画という強固なマテリアルを持つ一方、写真のマテリアルは限りなくゼロに近いと言える。その物質感の欠如は、絵画の表層へと見る者の視線を誘い、漂わせるのに対して、視線の透過として、写真の透明性としてあらわれている。 肉がメスで切られるとき、能動はメスとその運動であり、受動は肉とその状態である。だが、〈切る〉こと、〈切る〉という動詞の不定法で表される出来事それじたいは、どこにあるのか。それは、メスの能動にも、肉の受動にもなく、質も深さもない「表層の効果」としてあるだけだ(前田英樹「言語の存在論的基礎」について)。 |
▲展示風景 |
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