中国・江南水郷を巡る旅

1999 神楽坂建築塾 番外講座ツアー報告

水を臨む小さなまちを歩く
ルート/上海→ロ直→朱家角→紹興→八字橋→安昌→柯橋
文・特記なき写真/鈴木喜一


↑浦江飯店内部の様子

1999年12月15日から6日間、神楽坂建築塾の海外番外講座として「江南水郷を巡る旅」が上海・紹興近郊の古鎮を中心に実施された。本拠地は上海居留地時代の面影が色濃く残る浦江飯店

 一行は写真家の大橋富夫氏と私を含め15名だったが、道先案内人の王超鷹氏( PAOS・中国設計網絡主宰)や馬放南氏をはじめ現地中国側からも建築家・写真家・デザイナーが入れかわり立ちかわりツアーに加わり、終始なごやかな日中友好水郷ツアーとなった。
 彼らに歴史的な水辺の空間を案内してもらい、その生活感溢れる日常風景を目の当たりにしたわけだが、その一方で痛切な発言や壊されてゆく民家の現状を目撃することも多かった。

【浦江飯店】1907年に建てられたネオ・バロック様式のホテル。ネオ・バロック様式とはヨーロッパの一九世紀後半期に見られる流動感豊かな芸術表現。バロックは「歪んだ真珠」の意味を持つ。浦江飯店はかつてリチャードホテルとも呼ばれていた。

 
「強力に進む改革開放政策のもとで、昔から続いている中国のまちなみや生活風景が変化しています。上海の里弄住宅だけではありません。臨水の家々も次々に壊されていきます」(張少俊)
「確かに住みにくく痛んではいるのですが、ごらんのように捨てがたい空間的な魅力を持っています。伝統を守りながら水辺空間の再生を計るにはいったいどうすればいいのか、これは中国の問題だけでなく21世紀の重要な課題だと思います」(王超鷹)
「この屋上から見えるまちですが、つい最近、川を挟んで半分はごそっと更地になってしまいました。壊されたまちはここで生きていた人の記憶の中にしかありません」(★建成)
 ……こんな話を聞きながら、我が神楽坂建築塾の面々は、古い水郷のまちをとにかくひたすら歩き続けた。その場所でしか味わうことのできないまちや村の様々なモノと建物と人間の生活実感をつかむために……。

 私が最初に中国を訪れたのは1985年の暑い夏だった。香港から深センに入り、ぎゅうぎゅう詰めの広州行きの火車に飛び乗った。西安、蘭州、シルクロードと火車でひた走り、ウルムチからは砂漠のバスでカシュガルに向かった。辿りつくのに半月以上もかかってしまった。そこには根強い大地の風景があったかに見えた。
 あれからもうすでに15年が経ったことになる。最近は拙著『中国民家探訪事典』(東京堂出版)の取材をかねて中国辺境への旅が多かったのだが、幾たび中国の旅を重ねたことだろう。
 この間、中国のまちはどんどん変貌してゆく。新しい都市の出現、そして消えるまちなみ……。底の深い風景も徐々にケミカルで表面的な世界に侵食されていった。
 ここでは1999年12月の水郷風景を大橋富夫氏の写真構成で紹介する。この小さな水郷のまちの周囲には、ひたひたと生活感のないあざとい風景が押し寄せていることも報告しておかなければならない。

【江南水郷】江蘇省、浙江省等、長江南のデルタ地域一帯を呼ぶ。大小様々な水生都市が点在している水の風土である。長江支流と太湖をはじめとするいくつもの湖、さらには随の煬帝が開鑿した京杭大運河(1794km)を主軸に、無数に近いクリーク群が張りめぐらされている。

【里弄住宅】租界内に大量に流入した中国人のために西欧人が、中国の伝統的住居を改良してつくった都市住宅。木造とレンガ造の混構造の連続住宅である。里は住戸の集まり、弄は路地の意味がありる。近代住宅のモデルとして中国各地に広まっていく。

ロ直・古い家に住むゆとり 

 水郷のまちと言えば、蘇州であり杭州であり紹興なのだが、今回、私たちが訪れた場所はそれらの都市の周辺にちりばめられた古鎮、つまり小さな古い運河のまちであった。

 まず宋代からつくられたまち周庄を訪れるつもりだったのだが、王超鷹氏は「みなさんが希望していた周庄はすでに相当に観光地化されています」ということで、まだ静かな日常の佇まいと暮しぶりを見せているというロ直と朱家角に向かった。
←ロ直のまちなみ

 久し振りに訪れたロ直古鎮。私がこのまちを歩くのは3回目のことになる。確かに周庄に比べればまだ観光客は少ないのかもしれないが、水郷鎮を取り巻くようにリゾート開発が進行している。
 水辺に沿って懐かしい石畳の道を歩いていく。カラフルな洗濯物が竹竿に乾されて揺れている。戸口に置かれた椅子で気持ちよさそうに昼寝をする老人。馬桶(マートン)を川で洗う女たち。赤子を抱き上げている母親。時折、食料や物資を満載して沈みそうな舟がゆく。こうした水路や狭い路地にはまだまだゆっくりとした人間の時間が流れている。
 家の中を少しのぞかせてもらう。穏やかそうな表情の人たちだが、その簡素で毅然とした暮らしぶりを見るにつけ、この人たちは古い家に住むというある種のゆとりがあるのだなと思えた。不便を楽しむ豊かさといったらいいのだろうか。ここで営々と生きてきた根の深い生活の基盤のようなものを感じとることができる。

↑マートンを洗う人。

 久し振りに訪れたロ直古鎮。私がこのまちを歩くのは3回目のことになる。確かに周庄に比べればまだ観光客は少ないのかもしれないが、水郷鎮を取り巻くようにリゾート開発が進行している。

 水辺に沿って懐かしい石畳の道を歩いていく。カラフルな洗濯物が竹竿に乾されて揺れている。戸口に置かれた椅子で気持ちよさそうに昼寝をする老人。馬桶(マートン)を川で洗う女たち。赤子を抱き上げている母親。時折、食料や物資を満載して沈みそうな舟がゆく。こうした水路や狭い路地にはまだまだゆっくりとした人間の時間が流れている。

 家の中を少しのぞかせてもらう。穏やかそうな表情の人たちだが、その簡素で毅然とした暮らしぶりを見るにつけ、この人たちは古い家に住むというある種のゆとりがあるのだなと思えた。不便を楽しむ豊かさといったらいいのだろうか。ここで営々と生きてきた根の深い生活の基盤のようなものを感じとることができる。

朱家角・橋のある空間 

 朱家角東井街の小路を歩き続けていくとスケールの大きな橋に出会った。急に視界が開けてため息をつく。橋をゆっくりと行き交う人々。運河と橋……、やっぱり水郷と橋は切っても切れない関係にある。
 1600年前後に架けられたというこの放生橋の上でしばらく集落を眺め続ける。ほとんど平屋建てか二階建てだが、一部三階建てのノッポな木造真壁民家も見られる。青灰瓦の屋根と時を重ねた白壁の家々がリズミカルに連続している。そして運河に平行して狭い街路を持っているというまちの構造も確認できる。
 商店街と住宅が帯状に渾然一体となった水郷のまち。一つの家の間口は比較的狭く、奥はかなり深い。しばらくして石段を一つずつ降りて行く。降りるにつれ、まちの風景は微妙にちがった表情を見せる。空間のシークエンス(sequence)効果というのだろうか。場面の一連の流れが心地よい。
 橋を降りたらもっと低い位置でまちを見たくなって橋詰めで小舟に飛び乗った。
「水面から撮る写真がいいんだよ」と同乗の大橋氏。
 舟から見る水郷のまちはさすが視線が低く、歩いている時とはまた別の風景があらわれる。明清時代のなごりをとどめた朱家角の運河沿い。そろそろ絶好の夕暮れである。水草がゆらゆら揺れている。


↑三味書屋。魯迅ゆかりの地。


八字橋・夕暮れの古鎮
 

 早朝、上海火車駅から硬座(二等車)に乗って紹興に向かった。約四時間。紹興駅ではミニバスを用意して小燕子芸術培訓中心の★建成氏が待っていてくれた。
 紹興飯店で地元の写真家たちと交流昼食会。その後、紹興市内と蘭亭を見学してから夕暮れの古鎮八字橋に向かった。
 八字橋は紹興で現存する最も古い橋(1265年)である。つまり700年あまり前の南宋時代に建てられた橋である。全長45メートル。高さ5メートル。幅3.2メートル。橋の床面は切石敷きでゆるやかな曲面を描いている。

 八字橋から北に向かって歩いて行く。静かな低い家並みの住宅地だが夕暮れ時のためか人通りはかなり多い。しばらくすると広寧橋に出会う。この橋も南宋時代の創建だが、明時代に再建されたものだという。全長は60メートルと八字橋よりスケールは大きい。
 この橋を歩きながら「浙江省特有の七辺形石橋」だと★建成氏が説明してくれる。筆談なので詳しくはわからないが流麗なアーチ橋に発展する前のどちかといえば剛直な形の橋である。
 水路沿いには白菜が乾されている。簡単な台所を兼ねた水場も外に出ていたりする。大きな舗石と白壁と路地というまちの構成はここでも変わらない。市場で鳥を買って帰宅するおばさんたちが笑顔を見せてくれる。冬の夕暮れは足早にやってくる。水郷鎮の背後には高層ビルがにょきにょきと立ち始めている。


↑周荘古鎮の運河と橋

安昌・河岸の賑わいが続く

 実は今回の旅はスケッチツアーでもあったのだが、塾生たちは絵を描かない。(誰かこっそり描いていたかな)
 理由はいくつかあげられる。まず、まちをくまなく見ることで好奇心がいっぱいだった。江南水郷といっても移動に結構時間がかかる。しかも訪れたいまちは無数にある。写真やメモを一生懸命とっていてスケッチまでは……。冬の夕暮れはつるべ落としで、それに比して昼食の時間が長かった。(みんなで食べる中国料理はおいしすぎる)

 見ることと描くことを天秤にかけてどちらが大切かということはなかなか難しい判断だ。
 だが、私はマイペースでスケッチをしていた。安昌のまちではかつて描いた同じ場所に腰をおろして絵筆をとりはじめた。安穹橋のたもとである。大橋氏が現地の画家のように僕の後ろ姿を撮ってくれた。安昌鎮は紹興の北西約20キロに位置する明代からの商人のまちである。まちの名の由来をさかのぼれば唐代ということになるらしい。河岸に商店街と民家が約1.6キロ細長く続いていまも賑わっている。橋の数は多く、様々な構造(アーチ橋・石板橋・コンクリート橋)と形状を持った橋が現在40橋あまりあるという。


↑スケッチをする著者【撮影・大貫英和】

 安昌の主な産物は綿花、布、米、食塩等。それらの色はすべて白いので「銀安昌」(インアンチャン)という美称で呼ばれているそうだが、白い物資と同時に黄色い糞尿や生ゴミを積んだ汚物船も運河を行き来している。

柯橋・冬の烏蓬船  

 最後に訪れたのは柯橋古鎮である。十字型に交叉した運河に古い橋が三つ架かっている。明代再建の石造アーチ橋といわれている融光橋、それに永豊橋と新柯橋である。ここが柯橋古鎮の心臓部である。橋の下を烏蓬船が絶えず行き交っている。
←烏蓬船と運河

【烏蓬船】巾一メートル、長さ六メートル。運河での日常交通手段。雨が降ると半円形の竹のシェルターがスライドして出現する。

 その行き交う船を眺めながら「南船北馬」という言葉を思い浮かべてしばし佇んでいた。じわじわっと静かな衝撃感がやってくる。長い歴史の中で重ねられ、鍛え上げられてきた生活の場が探訪者の心の奥底を刺激してくるからなのだろう。
 興奮状態の私はやや足早となり、心を空に時間を忘れてひたすら歩くことになる。冬の烏蓬船にも飛び乗ってしまった。男が櫂を漕ぐ。音もなくゆっくりと水面をすべる。烏逢船はいわゆる水上タクシーであるが、どうも住居のようでもあるらしい。鍋釜や毛布も置かれている。

 このまちにある橋は現在11橋。運河と橋を軸とした生活が連綿と続けられている。水際ではアヒルの解体をしている。洗濯もしている。散髪もしている。マージャンもしている。繁盛している路上の食堂が見える。「こういうウォーターフロントが楽しいよ」と言いながら大橋氏の撮影も楽しそう。
 まさしく河から眺める水郷生活劇場。河岸に連なる臨水街には同心円状に広がって水路に降りてゆく造形的な石段もあり、水と共に暮らす日常の営みを演出している。
 運河にアーケード、狭い商店街の迷路のような路地と家並み、これらを舞台にして生きている人々の放っている活気、そして人間臭さ、歴史的生活の厚み……、これらの要素は現代の都市再生の鍵を握っているのかもしれない。(すずききいち・建築家)

←橋の上のツアー一行【撮影・大貫英和】


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