VOL.23(つづき)
PLANET MOSAIC  photo aod sketch by Kiichi Suzuki

PLANET MOSAIC



▲ノート31/ダラートの町で


▲ノート31/父が日本人という僧侶、チャン


▲ノート36/楕円の家

●ノート12(エジプト−1981年春)
ナイル河、砂漠、ピラミッド、神殿、葬祭殿、月、太陽、ステラ、埃、熱風ナツメ椰子、人、馬、モスク……、様々なものが交錯し、とりとめもなく心が揺曳する旅のなか。/Egypt(ASWAN)

●ノート16(出しそびれたノートの中の手紙−1981年初夏)
一年の歳月が旅の中で溶けて流れていきました。今日は6月21日、昨年のこの日に成田を発ったのを思いだします。今日も同じように空から雨が降り、ビニールをリュックにかけて傘をさして歩いていました。
スカンジナビアの北部をウロウロとして、暮れていかない夜を繰り返しています。初春、晩冬といった肌に感じる季節感で、地球を縦に動いて季節をごちゃまぜにしたようです。ここ北欧の自然もよくて、冷風に揺らいでいる小さな白い花、青い花などきれいです。
約一カ月後には日本に帰って社会復帰しようと思っています。旅の心があっというまに何色かに染まってしまうのではないかと危惧していますが、とにかく、まじめに働こうと思っています。
人生の縮図のような旅の中で、何よりも自分と話しができたことをよかったと思っています。この長い旅という岬を回る必要があったのだと思っています。/Norway(HARSTAD)

●ノート18(コーラン・メッカ−1983年春)
「地上をあまりいい気持になって闊歩するでない。別におまえに大地を裂くほどの力があるわけでもなし、高い山々の頂まで登れるわけでもあるまい」/Pakistan(PESHAWAR)

●ノート27(すべて風景−1989年冬)
旅とは心を閉じにいくところ、そして次第に心を開いていくところ/Korea(YEOSU)

●ノート30(飲茶−1992年初夏)
生粋の香港人アラン・レイ(黎俊華)と、じっくり飲茶をしてしまった。そのアラン・レイの話には、ついつい耳を傾けてしまうピュアなパワーがあふれている。 「人はそれぞれディフィレンス、独自のスタイルを持っている。それを受け入れない限り、友だちになれない。話すことによってお互いの舞台がわかる。若い頃からぼくも旅が好きだった。旅をして、他の人の生き方、考え方をよく知り、友とそれをわかちあうことが大切だと思ったよ。でも日本人は嫌いだった。自分たちを一等国民だと思っていて、他のアジアは二等、三等という意識を持っていた。そういう冷たい人間が多かったな」
「香港人のスピリッツ? ……とにかく平和を愛している。国を愛しているけれども、清の時代からイギリスに支配され、抑圧されている。1997年の返還を前にカナダやオーストラリアに逃げる人もいるが、ぼくは中国人として生きていく。何もできないけれど、中国人のアイデンティティーに共鳴する。香港人は働き過ぎのへんな動物だっていわれるけれど……、でも我々は人には頼らない。たとえ掃除夫をしても、どんな汚い仕事をしても自活の道を見いだす。金持ちでも、貧しくても、それに甘んじて楽しみを見いだして生きていく。人生は短くても長くてもハッピー。ワーキング(働く)、エンジョイ(楽しむ)、レスト(休む)の循環だ」 「しょっちゅう落ち込むけれど、そんな時は、ビクトリア・ピークの山頂に登って空と話をする。エッセイを書いて海に流すこともある。流れ流れてそれがどこかに届くだろう。考えてみれば、落ち込みの材料は、現実の世界にいくつもころがっているじゃないか。でもぼくは賢いから大丈夫だよ」/香港(CHAIWAN)

●ノート31(ベトナムの僧侶−1992年秋)
サイゴンから車を飛ばして5〜6時間、ダラートという高原ののどかな避暑地がある。
町はずれにある霊山寺は、大乗仏教の寺で一見の価値のあるなかなかいい寺なのだが、なぜかその中に唯一の小乗僧がいる。僧侶の名は、チャン(TRANG)さん、1926年生まれ、僧名で悟西尾とも言う。境内にあるコーヒー園の中の小さな庵が彼の住まいである。猫のタケとともに穏やかな日々を過ごしている。庵の前に敷いたゴザの上でチャンさんの出生から現在に至るまでの非凡な半生を聞いてしまった。チャンさんの母親はハノイのベトナム人。その母親にニシオ、ニシオと呼ばれて育ったらしいことが僧名に由来している。父親は箱根出身の日本人。現在のベトナムが仏領インドシナであった時代は、日本人もノーヴィザで入りやすかったということなのかもしれないし、17世紀頃、ベトナムのホイアン港というトレーディングセンターに日本人町が形成されていたこともロマンを秘めてイメージされてくる。
つまり日系人のチャンさんは、少し古い日本語だけれど、かなりの会話が可能なのであった。彼は16歳の時、通訳として日本の軍隊に雇用されている。陸軍二等兵だったが、帯刀とピストルの所持が認めらたというから、現地事情のわかる通訳として破格の扱いだったことがわかる。第二次世界大戦で日本が敗戦した後は、36人の日本兵とともに山奥に逃げ、植林や植物栽培をして過ごした。その後サイゴンに出て、大工の見習いをしながら、夜間はフランス語、物理、化学などの勉強を進め、1959年にはサイゴン大学に入って哲学と英語を専攻した。以後、中学校、高等学校の教師を経て、1968年から現在まで仏門の道に入っているが、その間にベトナム戦争終結後の1975年から長期7年、ラディカルな反政府運動をしたかどで刑務所暮らしも挿入されている。
そんな重厚な半生が綴じ込められているチャンさんの顔艶はすこぶる若々しくてすがすがしい。コーヒーの樹々が風にゆらゆら揺れている中で、ヨガの逆立ちは一時間位できるのであった。/Vietnam(DALAT)

●ノート36(楕円の家−1993年夏)
グヌンシトリの郊外にある楕円の家には感心してしまった。ゆるやかな楕円形樽型の家で、中に入っていると本当に落ち着いてしまう。壁面の板が約10度位外に向かって傾いているのが効いているのかもしれない。それにジャングルの自然木を手斧で切り出した柱がうっとりするくらいみずみずしい。この家は高床式でココヤシの屋根も天を突いて高いので、箱舟に乗っている気分なのである。UFOに乗っている気分と言ってもいいかもしれない。/Indonesia(NIAS)

●ノート42(春雪好!−1994年春)
空はどんよりと曇ってきた。民家の入口の門には、
 春風吹開幸福門
 瑞雪鋪平富裕路
と達筆で書かれている。
春の風が吹いてきて、幸せの門が開かれる。みずみずしい雪が石畳にやさしく降りつもり、路上が豊かに広がっている、とでもいうのだろうか。
……ほのかに軽やかで美しい漢詩である。感心してうなづいていると、気まぐれな天の配剤というべきか、なんと春の瑞雪が降ってきた。思わず、春雪好!と空を見上げて独りごと。
ぼくは急いでこの町一番の高いビル 洋大 の屋上に駆けのぼり、いつのまにか調達している黒い傘をさしながらスケッチを始める。交差する運河といくつかの古い石橋が見える。狭い商店街の路地、にぎやかな屋台通り、木造アーケードの臨水街、小瓦の屋根群……、明代につくられたという融光橋には、傘をさした人々が行き交っている。鳥蓬船がそのアーチの下を潜っている。
今、柯橋古鎮に春の美しい雪が降っている。/China(柯橋古鎮)

 


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