VOL.24(つづき)
SINGAPORE●MALAYSIA●INDONESIA  photo and sketch by Kiichi Suzuki

SINGAPORE●MALAYSIA●INDONESIA



▲プキティンギの朝焼け


▲ジョホール・バルの夕暮れ


▲ノート49(コラージュされた旅日記の表紙)

02 May/Borobudur Yogyakarta
●「うちにおいでよ。音楽があるから」
ブチの一家は音楽一家。ジョグジャカルタの駅近くの裏長屋に住んでいる。ブチはドラムを叩いていた。奥さんはガムランをやっていた。長男のディアスはジョグジャのボブ・マリーと言われている。次男のウィボウはバイオリンを弾く。ウィボウのお嫁さんはギターを抱えて五輪真弓の歌を五輪真弓よりも魅力的に歌ってしまう。意味も知らずに日本語の言葉を追う歌い方だが、その不思議な歌声に心を揺り動かされてしまった。ブチはそんなぼくの様子を静かな笑みを湛えて見つめている。狭い路地裏がいつも彼らのステージで、夕暮れになるといつのまにか近所の人たちが集まってなごやかに聴いている。

03 May/Merak Tanjungkarang
●ジャワ島からスマトラへ
ローカル列車の車窓はのどかな田園風景がずっと続いていた。地図を眺めて、ジャカルタからメラッという港まではせいぜい2時間ぐらいだろうと思っていたらのろのろと4時間以上もかかってしまった。待ち構えていた出航間際の船に飛び乗ってスマトラへ。
海風に吹かれてスケッチをしてから、乗組員に連れられて船長室。気さくな船長となごやかに雑談そして記念撮影。その後で、例によって出来立てのスケッチにスタンプを捺してもらった。KMP.NUSA MULIA という船らしい。
一時間半ほどでスマトラに着いた。港から乗合タクシーでタンジュンカランの町へ向かう。そこで乗り合わせたメマウルがいろいろ話かけてくる。睡魔に襲われていたぼくには少しうっとおしい。うとうとと2時間。タクシーはタンジュンカランの町を走って、豪華なホテルのエントランスで停車した。メマウルがおまえはここで降りろというのだが、こんなホテルに泊まりたくない。とにかくバス・ステーションに行ってくれとメマウルに頼む。ドライバーは英語がさっぱりわからない。メマウルがたよりなのである。
「スズキはストレンジャー、バス・ステーションに降ろすわけにはいかないよ。すごく危険だ」
「デインジャー?」
「そう、悪い人間がいるからね。スズキはいいカモだ。殺られるよ」と言って右手で首を撥ね、肩をすぼめておどけた。
結局、メマウルに軟禁される状態で彼の家を訪問。金欠で腹ぺこを訴え、彼の妹に食事をつくってもらった。その後、メマウルと銀行やホテルをグルグル回ったが、この町で日本円の両替はダメだった。(やっぱりドルが強いようですね)
「スズキ、ルピアがなくて大丈夫かな。今夜は家に泊まっていけよ」
「テレマカシー、でもなんとかなるよ」
すっかり友達になってしまった。スマトラ南端の港から6時間、もう彼とずっと一緒だったことになる。メマウルは30才。はるかスラバヤまで出稼ぎにいく。二カ月の労働の後、一週間の休暇。ぼくと出会ったのはスラバヤからたっぷり2日をかけて帰ってくる途中だった。メマウル家は12人の大家族。その中には彼の奥さんと小さな子供がいる。そしてもうすぐ二人目の子供が生まれる。 19時。メマウルにパダン行の夜行バスに放りこんでもらった。次の目的地としたパダンまでの一番安いバスの代金が34,000ルピア(約1,700円)。これを払ったらもう手持ちのルピアはほとんどなかった。パダンまでは28時間。1.5リットルの水とビスケットだけでスマトラ縦断湿熱断食旅行となった。バスの中には目付きの悪い男がチラホラ。のんびり眠るわけにはいかない。この暑さではなかなか眠れないけれど。

04 May/Padang
●アロウ君
今日はずっとスマトラ山中を走るバスの中。旅はハード。窓から熱風が入ってくる。それでも風はありがたい。停車するともわっと暑くてたまらない。
バスは激しく揺れる。派手なクラクションが響く。疲れきっている乗客たち。上り坂、下り坂のカーブが多く、床に落ちている大量のゴミがザザザー、ザザザーと右に左に。バナナの皮やら豆の殻やら汚い靴やらビニール袋やら、ザザザー、ザザザー。上のスチール棚からも時々荷物がゴロンと落ちてくる。
このバスの旅で印象的なのがアロウ君のなんともいえない笑顔。アロウ君は青年だが小人。このバスの雑用をあれこれと熱心にやっている。小人ゆえにみんなにからかわれているシーンも見かけるのだが、彼は決して怒らず、独特のスマイルでやり過ごしている。アロウ君はバスが休憩するたびに水場に向かい、ゴシゴシと石鹸で洗濯を始めて、さっぱりと着替えをする。
雨ニモマケズ、風ニモマケズ、スマトラノ暑サニモマケズ、イジメラレテモクジケズニ、イツモサワヤカニワラッテイル、そんな感じの青年だった。

05 May/Bukittinggi
●高原の町の夕暮れ(あるいは TEN YEARS AGO)
ブキティンギの10年前のことをぼくは知らないけれど、当時は丸石を敷いた狭い道が無数にあってカラフルな衣装を着た女たちが歩いていたそうだ。広場にはオランダ人のつくった古い時計塔が時を告げていた。舗道には70〜80年前につくられたレリーフをほどこしたかわいらしいバルコニーが張り出していた。日が暮れると点灯夫がケロシンの街灯をともして回っていた。町には馬のひづめの音が響きわたり、つましい庶民の生活の匂いが漂っていた。
ブキティンギの町に着いた時、期待が大きかったせいか、ぼくは少しがっかりしていた。坂の町だし、どこかダージリンとかイタリアの中世の町に似ているなというような風情もあった。そこここにかわいらしいオランダ風の建物があったり、どこからか聴こえてくる音楽にこの町の時間の流れのゆるさを感じた。しかし10年前とは大分ちがうようだ。さぞいい町だったろうなあ、と歩きながら考える。こんな高原の片田舎の町でも地球上の風景というのははあわただしく変貌していくのだ。
夕焼けを追いかけてパノラマ・パークに出た。この日のブキティンギの空は息をのむほどの美しさだった。

06 May/Bukittinggi
●ミナンカバウの家
ブキティンギからミニバスとベモを乗り継いでパガルユンへ。この乗り換えは少しやっかいだ。フォロー・ミーを連発する男にくっついてなんとかミナンカバウの家に到着。
午後3時15分。汗が流れる。ミナンカバウの王宮に入ると、タレンポンという真鍮の楽器で6人がのんびり生演奏をしていた。聴衆もぼくを含めて6人。<p> 07 May/Bukittinggi→Padang→Batam→Singapore→Johor Baru→Singapore
●ジョホール・バルの広場
今日は三つの国を渡り歩いた。早朝、ブキティンギからパダンに出て、メルパティ航空でバタム島へ。バタム島から船でシンガポール。そしてマレー鉄道に乗ってマレーシアのジョホール・バルへ、というコース。
いろんな乗り物を駆使してジグザグとがんばる旅になってしまった。夕暮れのジョホール・バルの広場は屋台が大にぎわい。旅の最後の夜にふさわしいアジアの風が吹いている。アジアの匂いが流れている。

08 May/Singapore
●UA890便
今、カリフォルニア赤ワインを飲んでほろ酔い状態である。さっきバドワイザーもあけてしまったし……。日記を繰りながら15日間の旅をふりかえる。そして、すでに懐かしいともいえる道をたどってみる。暑くて暑くて大分くたばっていたが、そのわりにはノンストップ・シャングリラという感じで、最後まで派手に動き回っていたものだ。つくづくトラブルがあってもいい状況の連続だったなあとも思う。そこをなんとか乗り越え、いろんな人に助けられ、今回もじわじわっとおもしろい旅になったようだ。不可視な旅をいつも完璧に仕上げてくれる大いなるものに感謝しつつ……、ぼくはまた一人ワインを傾ける。

 


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