
VOL.25(つづき)
ENDING INTERVIEW photo and sketch by Kiichi Suzuki
ENDING INTERVIEW
|
《旅と日常》 ――旅をしてスケッチをして、なおかつ平行して日常の設計業務が行われているんだよね。うまくいってるの? ●旅を始めた最初のころは、旅と実際につくる建築はやはり別のことだという印象があった。それが徐々に一体化しつつある。いや一体化したいということかな。旅をしている時も、日常の仕事をしている時も、自分が生きていることに変わりないものね。 旅の中ではどんどん対象を受容していくよね。その中で自分が鋭敏になったり、変化したり、解体していくわけなんだ。日常の仕事の中では、旅で無意識に受容したものをベースにして自分の世界が漠然とでも出せたらと思うんだ。ただ日常の仕事にも旅的なところがあっておもしろいんだよね。 ――その旅的なところっていうのは? ●最近、わりに古い建物を直すというような仕事が多いんだけど、物理的な移動の旅ではなく、時間軸を通じて旅ができる。つまり旅というものが、風景とか人に出会っていく、あるいは自分というものに出会っていくという作業であるとすれば、古い建物と格闘しながら、その技術や痕跡を見ながら、こんなふうにやっていたんだとか、こんな思いで生きていたんだとか過去の人の動きがわかる。そのことで新しい自分にも出会える。 ――なるほど、ヤモリの棲む家(1995)、横寺の家(1995)がそうだったね。じゃあ、新築としてつくる場合は旅的な感じにはならないのかな? ●そういう意味でいえば、旅立つことのできる建築をつくりたい。新築であっても長い時間軸を想定した建築だね。未来に向けてストックになるような建築がいいよね。中野の家(1988)なんかはだいぶ味がでてきたよ。 ――あなたは、その土地土地の風土に根ざした様々な建築や集落に出会っているよね。とくに美しいと思った場所はどこ? ●貴州省の西江古鎮の集落にはるばるたどりついた時はオーッていう感じだったね。もう興奮しちゃうんですよ。カメラのシャッターがバシャバシャバシャ、いつのまにかスケッチブックを広げている。ビルマのマンダレーもそうだった。ニアス島のジャングルの中の楽園もそうだったなあ。 ――それらの場所の素晴らしいところはいったいなんだろう? ●けっして快適ではないんだよね。ぼくたちからしたらものすごく不便な暮らしだよ。水だって川まで汲みにいく。井戸から汲みあげる。でも、ああ生きているなっていうことを感じる。助けあってやってるなということもわかる。労働と生産の一貫性が見える。割れたガラスの中から小学校の教室をのぞいたりすると子供たちのきれいな目にうたれる。やっぱりこれだよなって、ぼくは勇気づけられる。人が生まれたとか、死んだとか、そういうことも大切にする。しかも、それをごくあたりまえのこととしてとらえている。 集落の全体の形はとても自然的なものなんだ。そこではANONYMOUS(無名な)、VERNACULER(風土的)、SPONTANEOUS(自然発生的)、INDIGENOUS(土着的)、RULAL(田園的)といった言葉でたとえたいような風景が生き物のように呼吸していて、つくづく人が本当に生きている場所は、町も建築も道も生きていると感じる。 生活感覚や宗教、思考形式、労働形態そのすべてが自然と直結した世界。人間の心の中の本能と自然が反応している世界……。 ――そのことが日常の仕事にどんな影響を与えているんだろう? ●ぼくが感じたこと、自然の深みに触れたこと、それをできるだけストレートに伝えたい、表現していきたいということがある。が、世の中の流れはそうでもないよね。どんどんケミカルで表面だけのつるつるの世界になっていく。生活感もなくなっているし、物質文明がすごい勢いで侵食している。どんどん世界が壊れていく。時代の趨勢で止めようがないところまできている。アジアを10年以上旅しているとそれがよくわかるよ。だからぼくはこれはまずいなと思っているわけ。正直に言えば、自分の無力さも感じるし、やりきれない葛藤も日常の中にはある。でもせっかくいいもの見せてもらったんだから、そういう正しいベクトルでできるだけのことをやっていきたいなって思う。 ――大学でシャングリラの旅の話をしてるんだよね。学生たちに伝えたいことはどういうこと? ●これが近代文明論という大袈裟な講義のタイトルで、ちょっと気恥ずかしいんだよ。もう少しやさしいタイトルにしてくれないかなあと言っているだけど……。まあ地球規模で遊んでみようやと、ぼくが見た世界を写真で紹介しながらね。話すのあまり得意じゃないから写真と音楽を組み合わせたりして、けっこう苦労している。いや楽しんでるかな。 地球上にはいろんな現在が表出しているでしょ、だから自分で歩いてみるとおもしろいよということ、行ってみてはじめてわかることがあるよということ、不思議な空間があるよということ、世界は謎に包まれているよということ。実際に体験すること、接近すること、遭遇することの大切さというようなことかな。
《シャングリラ第二幕へ》 |
目次に戻る