鈴木喜一建築計画工房
[新築] File no.02

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中野白鷺の家

■所在地/東京都
■種別/新築
■構造・規模/木造2階一部ロフト
■設計/鈴木喜一
■施工/青木工務店
■1987年竣工

photo/ アトリエR



▲外観

[Photo]竣工写真


▲庭


▲玄関


▲居間

▲玄関から居間を見る。囲炉裏と暖炉が見える。

▲居間から玄関を見る

▲寝室

▲子供部屋

▲二階廊下

▲書斎

▲洗面室とサウナ

▲軸組模型

▲外観


[棟上げ 池田邸建築記念日]


  1987年3月18日、前日の雨が嘘のように晴れあがった春の一日だった。庭の杏子の花が白くさわやかに咲いている。待ち望んでいた一期工事の棟上げの日だった。
 青空の下に忽然と新しい骨格があらわれてくる。頑の景気のいい掛け声で、刻まれた木が大勢の聴方によって、次々に組み立てられていく。
まだ工事の始まらない職方たちも全員顔を揃え、協力して柱を立て、梁をわたしていく。墨み付けをした大工の赤板さんが一番緊張しているようだ。棟梁も上棟式の準備をしながら、時々、上に登って指示している。一段と気合が高まっている。梁で繋いだ大黒柱と小黒柱を皆で少しずつ持ち上げていくという力仕事が始まった。家の中心部である居間、食堂、台所のオープンスペースを支えるこの二つの丸柱は構造的にも一番重要な柱だ。径八寸の大黒柱のほぞ穴には、建立年月と工人名が墨書きされている.
 この池田邸の工事は二期に分けて行われることになった。旧家屋を半分壊して、そこに新しい家の半分を建て、引っ越しをしてから、残りの半分を壊し、新たに接続するという工事方針である。おじいちゃんの体の具合が心配だったし、作家である地主の仕事場は継続して使いたかった。そして何より、自分たちの家がつくられていく過程を身近に見ておきたかったということがある。その残り半分の旧家の中では祝宴の準備に忙しい。池田家の親戚や友人たちも応援に駆けつけて手伝っている。
 施主の池田夫妻は、数年来、老若男女一同に集って、楽しく語りあえる家を夢みてきた。人が生きているという刺激、人とのコミュニケーションを強調し、人と触れ合う場所を大切につくりたい、これがこの建築の大きなテーマだといった。「長生きできる家を」という要望を最初に聞いた時、なるほどと思った。人間はもっと生きたいということのために家をつくるのだろうし、仲間と共に生きていくことが生きのびていくことかもしれない。
 この話しを聞いたのは、ちょうど一年前であった。家に対する施主の思いを机上のエスキースに移し変えながら、現代の民家といったようなものをつくりたいと思った。大黒柱、小黒柱、土間、イロリ、縁側といった日本の住宅の歴史の中でいまや後退していった要素を再構成しながら、生きのびていく空間をつくってみたかった。そこには、施主の希望である暖炉も欠かせないと思った。三つの庭を囲んだ原案は意外に早く出たものの、実施設計が終わってみると10ケ月が過ぎていた。          
 少し冷えこんできた夕方、最頂部に棟が上がった。破魔弓が立てられ、上棟式となった。家にいよいよ魂が入るという儀式である。屋下に祭場を設け、皆でこの家の成就を願う。棟梁が米、塩、酒を持って四隅に献じた。祝宴となり、施主が挨拶をする。「私どもが、家の改築を思い立ったのは、うまい酒を飲み、うまいものを食い、楽しい団欒が過ごせる、そんな家をつくりたいということが始まりでした。今日はその記念すべき第一ページです。新しい家の前途を賑やかに祝ってやっていただきたいと思います」
 棟梁は職方たちの労をねぎらったあと、これから一つ一つ丹念に仕上げていく覚悟でおりますので協力してほしい、と結んで乾杯の音頭をとった。酒宴は夜遅くまで続いた。施主、設計者、棟梁……それぞれに構想していた家というものが、一つの形として現実となった一日だった。【鈴木喜一】


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