鈴木喜一建築計画工房
[新築] File no.11

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高尾邸(新ヤモリの家)

■所在地/東京都
■種別/新築・木造2階建ロフト付き
■設計/鈴木喜一建築計画工房
   (担当・鈴木喜一,渡邉義孝,酒井哲)
■施工/佐藤工務店
■1997年竣工
■屋根/カラーベストコロニアル葺き 外壁/アクリルリシン吹付け 内壁/布クロス張り 床/フローリング厚12mm,畳敷き

■掲載雑誌/月刊『住宅建築』1999年3月号

▲photo.by アトリエR

上/北側外観


 みなさんお元気ですか。僕たちは2年前、「ボロ家の大改造」(『住宅建築』第253号/1996年4月号)に登場した雑司ヶ谷のヤモリです。覚えていますか。
 あれから僕たちは結構人気者になってしまいました。ちょっとくすぐったい気持でいたところ、高尾さんがまた事務所(COMPUTER GRAPHICS PRODUCTION)を広げておまけに住むところまでつくってしまいました。今度はボロ家じゃなくて、新築工事だから僕たちも得意なんですが、なんだか高尾さん自身はとても複雑な気持ちだったみたいです。僕たちの棲んでいる路地を歩きながら、高尾さんがいつもブツブツ呟いていたことを、まずみなさんに聞いてもらおうと思います。

*

「なあ、ヤモリ。日本、とくに東京で家を建てるのは難しい。難問が多過ぎて、本質的なことが見えにくいんだ。
 う〜ん、大正生まれのボロ家をついに壊してしまったよ。壊して新しい家を建てる選択が100%良いとは思えない。むしろ壊さないで使い続けることが理想的だったかもしれない。子供の頃、周りの大人から、『ものを大切に』とよく教えられたが、あの教えはいまでも正しいと思う。そんな大切なことが守れなかった、という悔いが残るんだ。守れなかった自分は今後どうしたらよいのか?ここで試行錯誤しているのだが、なかなか良い答えが見つからない。だが、私個人の視点から見ると家を建て直すということは、自分の生活環境を変えていく必要があるからだと思っているんだ。つまり、自分の意識の再構築が必要と思えるから、住環境である家を建て直す、と考えた方が自然なんだ。自分の意識の変革なしに家を建て直してはならない。そうだろう。
 しかし、どうも日本国に生活しているとこんな発想は育たない。土地、資金、法律といった現実に意識を吸収される。そして一般の価値観は全然違うところにある。今回、家を建て始めて『ものを大切にしない人』というご批判をまだ一度も受けたことがない。住んでいる家を自ら壊すことは、家との関係を壊すことだよな。だから、簡単に壊しては行けないはずだ。……ただ『自分の意識の変換がどうしても必要』と思うなら壊して、次に進むしかないのだよ」

*

 高尾さんはどこか次のところに行こうとして、自分の意識の再構築をしたかったみたいだね。でも結構古い家は好きだったし未練たっぷりだった。そして新しい「家」との関係をつくっていくことも難しいようだった。隣りの家に住むご両親とも一緒に住みたい気持ちが十分にあったしね。
「自分の住む『家』との関係を考えることが自己確認になるんだ」っていつも真剣に言っていた。思ったより家の影響っていうのは大きいものだからね。それは僕らヤモリにもよくわかるんだ。まして、新築にしようとなると余計そうなんじゃないかな。高尾さんは一見、明るくて便利な文明住宅が嫌いだからね。「なんか勘違いしてんじゃないの」って近所にできた最近の建物を見てブツブツ言っているよ。
 高尾さんは新築ということに決めて、スズキキイチさんに協力を依頼した。スズキさんは古い建物が好きな人だから、本当は直して僕らが棲む壁と同じように、つまり2年前と同じように、直したかったんじゃないのかな。高尾さんは新築にする理由をいろいろ説明していたよ。スズキさんが来ると高尾さんは必ず一緒にお昼を食べるんだけど、哲学的な自己再構築の話をいつもしていた。スズキさんは、わかったようなわからないような感じでウンウンウンといつもうなずきながら聞いていて、自転車に乗ってふらふらとアトリエに帰ってゆく。
 そのうち図面と模型ができてきた。高尾さんは設計担当の渡邉さんがつくった軸組模型を見て「かっこいいねえ」を連発していたよ。ロフトのホコラ状空間が気にいったらしく「僕はこの柱に抱きついてうずくまって暮らすのだ」って言ってた。そうしたら、「トップライトを開けて、雨に打たれて暮らすのだ」ってスズキさんは言った。
 現場が始まるとオートバイで風のように渡邉さんと酒井さん(元鈴木喜一建築計画工房)が代わる代わるやってきて、佐藤棟梁や大工の栗城さんと熱心に打ち合わせをしていたよ。高尾さんはのぞきこみながら、いつも渡邉さんたちに抱きつくんだ。コミュニケーションはスキンシップが原点なんだって。デジタル活動をしていると生身のものに抱きつきたくなるんだって。

*

 高尾さんはやっぱり難しい言い方をする人で、「人の協力なしに家は建たないとは思わないが、今回のこの家は人の協力があったからこそ建った家である」と言っていた。工事中もスズキさんとは相変わらず自己再構築の話ばかりだったけど、それに比べるといろんな職人さんたちとのコミュニケーションはわりあい自然だった。現場が少しずつできあがっていくのが楽しそうで、嬉しそうだったよ。「本当にぜいたくなことだ」とも言っていた。これは理屈抜きなんだね。「設計のセンセイは変なオカシイ人だが、こういう職人さんたちと一緒に仕事ができるのは幸せです」だって。
 工事が順調に進行するにつれ、対極的に2人の先人のことをよく語っていた。
 「この家は、前の事務所部分が、私の伯父の残したもの。後ろの事務所、住居部分は、奥さんの父親が残したもので建ったといえる。この2人の亡くなった男達は、前者は『精神』を人生で最も重視し、後者は『お金』を最も重視した対極の価値観の持ち主だが、共通点は周囲の理解を得られなかった点である。そんな男達の残したものからいったい何ができるのか?」

*

工事が終わる頃になっても高尾さんはこんなことばかり話していたよ。
「やはり、楽しちゃいけないと思うのね。自分を甘やかしちゃいけない。いま日本国において、安定の原則(幻想)というのがあって、まず、安定した職場で働く。これが最近、安定の原則として一番社会的認知を受けている。そして結婚すること。そして自分の家を持つことも安全の原則となる。でも、安定の原則ばかりつかむとヤバイと思うのね、私の場合。自分のやりたいことを明確にするには、安定しててはダメで、危ないギリギリで見つけ、前へ進むことが必要だよね。そのバランスのとりかたがなかなか難しい」
 スズキさんはやっぱり、わかったようなわからないような感じでウンウンウンといつもうなずきながら聞いている。

*

 工期がすっかり終わって11月15日に竣工パーティをした。高尾さん家族、工事関係者、新しい人たちが集まって楽しい夜の宴となった。高尾さんはみんなにしみじみとした挨拶をしていい感じだったけれど、最後にまたまた難しい話をした。
「ここでどんな内容(生活)を構成するのか?これは使う者の精神が反映される。1997年秋に家は完成したのだが、締めくくりができない。締めくくりは死ぬときまでできないのかしら?自分の住む『家』はできたが、そこでいったい何ができるだろう」
というような話だから、意識の再構築というのはなかなか難しいんだろうね。とにかく高尾さん一家も僕たちヤモリも相変わらずに元気に暮らしていますので、気が向いたらぜひ遊びに来てください。僕たちの棲んでいる壁は相変わらず古い板のまんまです。ではこの報告はこれでおしまい。みんなも元気でね。

[Photo]竣工写真 クリックすると大きな画像にリンクします 


上左/北側から住宅と事務所をみる
上中/2階の居間
上右/ロフト部分

左/住宅側から事務所をみる

photo.by アトリエR

 


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