鈴木喜一建築計画工房
[新築] File no.19

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猫の家

■所在地/東京都
■種別/改築・木造2階建ロフト付き
■設計/鈴木喜一建築計画工房
   (担当・鈴木喜一,渡邉義孝)
■施工/軽部商店
■1998年竣工
■屋根/カラーベストコロニアル葺き 外壁/アクリルリシン吹付け,乾式タイル貼り 内壁/タモ天然板張り,布クロス張り 床/フローリング厚12mm,カーペット敷き

■掲載雑誌/月刊『住宅建築』1999年3月号

上/北側外観
▲photo.by
アトリエR


 我が輩は猫である。新しい家に棲んでいる。といっても、新築ではない。
 何でも元は薄暗いじめじめした診療室を兼ねた医者の家だったと聞いている。我が輩はここで初めて建築家という人間を見、請負者という人間を見、職人という人間を見、そして主人の対応をとくと1年間拝見させてもらった。

 我が輩の、いや我が輩を筆頭に40匹の猫が棲む家をつくるにはどうもこの連中にまかしていいものが心配だった。工事の連中ときたら猫のことなどまるで知らない。どうにかなると思って引き受けたのだろうが、いやはや度胸のいいことだ。我が輩は「これは駄目だ」と思ったので最初から運を天に任せていた。
 我が輩の主人は聡明な法律家だ。我が輩は時々彼の書斎をこっそり覗いているが、本棚にはフロイト心理学の本がぎっしり詰まっている。しかも洋書の上製本である。主人は海外出張が多く、仕事でひどく神経を使うようなので、彼が書斎に籠もって勉強をしている以外は傍にいることにつとめている。主人が朝刊を読む時は必ず彼の膝の上に乗る。彼が昼寝をするときは必ずその背中に乗る。主人の細君は専業主婦である。ジャズダンスをやるらしく、一階の洋室の床は堅牢につくるよう注文をつけ、防音壁にもしたらしい。壁には大きな鏡が張ってあるらしいのだが、我が輩たちはこの部屋と主人の書斎と夫婦室に入ることは許可されていない。この細君にはいつも御馳走を食べさせてもらっている。人間としては稀に上等な種族で猫語にも通じている。いずれにせよ、主人も細君も根っから猫が好きなのである。粗末簡便にされたことは一度もない。

*

 1996年の夏のことである。主人は建築家に依頼する前に某ハウスメーカーを含めて他の建築会社にも相談していたが、「すべて断ってきた。是非、先生にお願いしたい」と言ってさっさと風采のあがらないその建築家に大金を払ってしまった。主人は物惜しみや蓄財という陰鬱なものからおよそ遠く、加えて指導力と思考力、それに決断力にすぐれている。その気風の良さと辣腕ぶりは組織内でも高く評価されたからどんどん出世した。そんな主人をみていると猫ながら低い鼻がちょっと高く感じられた。その主人がなぜあんな輩を建築家として採用したのか理解できなかったが、心奥を見る専門家のやることだから弛みないだろうと下駄をあずけていた。

*

 我が輩の予想に反して、その風采のあがらなぬ建築家は主人や細君のもろもろの要求を比較的忠実に手際よく形にしていった。建築家は楽天的な性格のようで法律のことなど気にもせずに、どんどん空間を拡大していくので我が輩たちの棲む場所もおもしろそうになってきた。1階に主人の書斎とダンス室、3階に夫婦室をつくったので、吹き抜けを含めて2階が全部我が輩たちのものになった。建築家は猫のことなど何も知らないくせに「猫の棲む家、これがコンセプトですね」などと宣う。この建築家はいつも若い書生の弟子を連れていて、高所から俯瞰するようにものを言う。だから、いつまでたっても我が輩たちを識別することさえできない。ヒゲの張り具合だとか、耳の立ち按配、尻尾の垂れ加減、器量、不器量、毛並み、足並み、目付き、鼻付きなどみようともしないで、遠くの空ばかり見上げている。その大雑把さと度胸の良さのおかげで我が輩達の空間は高く広くのびやかになったのだから、ともかく餅屋は餅屋、猫は猫ということか。

*

 その年の秋、密かに上棟式をやった。新築ではないのだから上棟式というのもおかしいが、改造工事のつもりで蓋を開けてみたら、使える柱が極端に少なかったということで、思い切ってどんどん新しい柱に差し替えていったらしい。ついでに屋根もどんどん上に膨らめていったから、ますます我が輩たちの居場所は拡大する一方だった。そして一応の骨格が付いたというお目出度い日が上棟式ということである。窃かにというのは役所の無許可で工事をやっていたので何となく後ろめたさが工事関係者にあったらいい。後ろめたさがなかったのは申請代理人の楽天建築家で無頓着なことに「建築基準法通りにやったことはかつて何回あっただろう」と指折り数えていた。
 密かに工事は進められたが、やっぱり区役所の建築監察係がやって来て通知書をおいていった。「近日中に出頭せよ」という指令である。慌てて書生建築家と請負人とそういうことに迂遠な細君までが出頭して諸般の事情と私情を並べ立てると、予想外に監察係は友好的だったという。この狭い東京で人間も猫も仲良く暮らしていくためには区役所の監察係といえども適当なところで相槌を打たねばならぬと思うと気の毒だ。
 無許可で浸行していた工事は、結局役所の指示に従うことにより、胸のつかえがとれた状態になった。何とも強運な人間連中である。これまで鷹揚に黙然と構えていた主人だったが、仕上げの段階に入ってくると気になる。楽天建築家とは育った境遇が違えば、好みも違う。かたや正統派のエリート法律家、かたや呑気な風来坊。まして猫の本質に関してはこの建築家は門外漢である。ただ箱だけつくっただけである。
「英国カントリー風と山小屋の区別がついとらん」と主人が厳しく厳命するのも当然である。壁の杉穴板は途中からすべてタモの堅板に張り替えとなった。「我々も誇りを持って仕事をやっているんだ。そこんとこ判ってもらいたいな」と大工の棟梁がぼそっと呟いていたので細君が丁寧に対応していたが、こんな建築家の元で動かなくてはならない請負人や職人も割り切れない煩悶があるのではなからろうか。我が輩が「これはも駄目だ」といった予感がとうとうあたってしまった。「すべての動物は直感的に物事の適不適を予知す」という心理である。
 これ以降、猫の家のことどとく仕上げ材料や細部のおさまり具合は主人の了解無しには進行しないことになったのである。工事関係者は建築家の不明を嘆き、困難な未知なる猫の家の工程にさしかかっていくのである。「すべての安楽は困苦を通過せざるべからず」という心理である。

*

 結果的に猫の家はまるまる一年を有して落成した。建築家という人間を見、請負者という人間を見、職人という人間を見、その中で主人の活眼を見ていた一年間はハラハラドキドキの無闇に慌ただしい日々だった。
 いま我が輩をはじめ40匹の猫たちは、勝手な場所に巣くって勝手に落ち着いて暮らしている。天気の良い日にはベランダで日向ぼっこをしながら寝ている。主人と細君は我が輩たちを以前にもまして可愛がってくれるものだから、相変わらずのらくらして新しい家に起臥しているのである。
 運を天に任せていたこの家が無事にできあがった。この点については深く主人の恩を感謝すると同時に、細君の心労に敬意を表するに躊躇しないつもりである。我が輩たちは生涯この法律家の庇護を受けのんびり暮らすつもりである。


[Photo]竣工写真 クリックすると大きな画像にリンクします 


上左/ベランダをみる
上中/吹抜けのある居間
上右/居間から台所をみる

左/2階の台所
右/梁の上

下左/1階の書斎
下右/ロフトの主寝室

photo.by アトリエR



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