鈴木喜一建築計画工房 BACK/INDEX/NEXT |
|
|||||||||||||||
|
||||||||||||||||
|
||||||||||||||||
明治後期に商家として建てられたこの家は旧川越街道に面していた。 便宜的な小改造が随所に見られたが、その全体的な姿は、外部も内部も実に堂々として、建築としての壮年期を生きているという感じだった。 鈴木棟梁に連れられて、この家をはじめて見た時、ずっしりと胸に伝わってくるものがあった。大黒柱の欅は一尺一寸角、正面出入口の柱は八寸角である。差し鴨居も梁も素晴らしい。神棚もいい。 奥の座敷に入って、さらに胸は高なった。床の間、書院、欄間、源氏 、縁側と見事なしつらえである。先人たちの心のこもった仕事に感動するとともに、これに恥じない現在の仕事を、というのが棟梁と私に交わされた無言の約束であった。 それからまもなく、製図板とT定規を持ち込んで実測を始めた。民家の冬は寒いと身をもって感じたが、それ以上に身が引き締まる思いもあった。この実測作業の中で、多くの伝言をこの建築から、いや、明治の工人たちから聞いたからだった。それが実測図というものを書く本当の意味なのだということも知った。 この部分はこうして直すのだ、この部分を補強してくれ、この壁は抜けるぞ、ここはこのまま……。 一週間、遠い過去と静かに話をした。実測が終わる時、もう構想の骨格はできあがっていた。大切なことは過去を現在に正しく生かすことだ。 工事は一期(一階公的部分)、二期(奥座敷、縁側部分)、三期(外構、庭)に分けて計画され、息子さん夫婦の同居を待って二階部分の改装を予定することになった。改築というより、むしろ改修、あるいは修復といった部分が多かった。 ご主人は私の地味にも思える計画案にうなづいてくれたし、奥さんや娘さんとも仲良くなった。工事は土台、基礎を慎重に点検することから始められた。 |