鈴木喜一建築計画工房
[保存・再生] File no.23

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染屋復元

■所在地/静岡県
■種別/保存・再生
■構造・規模/木造1階
■設計/鈴木喜一
■施工/大桃建設工業
■1986年竣工

photo/ アトリエR


▲茅葺き屋根詳細

[Photo]竣工写真

▲南側外観

▲小屋正面外観

▲北東側外観

▲小屋裏詳細

▲トンボロまわり外観

▲馬屋まわり部分

▲カッテよりデド、座敷を見る

▲土間よりトンボロを見る

▲主屋平面図


 
 通称「塩沢の染屋」といわれた杉原家の家屋は、直屋型の平屋であり、梁間五間、桁行十間半の51.75坪を基本形にして、簡易な増築部分が加わっているものであった。間取りの基本尺度は、柱芯々六尺三寸(約190cm)を一間とする本間でつくられている。北側には渡り廊下があり、14.45坪の小屋に接続していた。家の中は土間を広くとり、藍甕(あいがめ)が写真のように設置されていた。大型が11個、小型が1個、計12個が並んでいた。藍甕は石をくり抜いてつくったもので、土間に九分通り埋められていた。この石は、白河石(安山岩)でないかといわれている。当地に窯場がなく、焼物が入手しがたい条件であったことが石の甕になった大きな理由である。この石製の甕は、温度調節には具合がよかったといわれている。トンボロ(入口)を入ると、下(右手)に馬屋跡があり、柱にはマセン棒や蔀戸の痕跡が見られた。土間の東側には幅一間の下屋が出してあり、壁面は連続した明かりとりの格子窓(障子貼り)になっていて、三間の作業台がしつらえてある。これは、型染めの作業台で、長さは反物半反、幅は反物の並幅になっている。この土間のことは、入土間とも型場とも呼ばれていて、染屋としての最初期の増築部分でないかと思われる。
 土間に隣接して、解放された下のユルイがあり、その上(左手)にカッテ、デド、座敷、ヘヤ、奥のヘヤの各室がある。この部屋の配置は、この地方に見られる一般的な間取りであるが、カッテとデドの差鴨居には折れ釘が見られ、染めた布を土間からカッテまで通して乾かしたという染屋の住まいの特徴があらわれている。
 杉原家新築にともない、1987年4月に解体されたこの染屋は、田島町に寄贈され、1988年12月、田島町野外博物館構想に基づく二つ目の民家として、先の馬宿の隣に移築復元された。【鈴木喜一 1989 7月号住宅建築から 】

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