馬宿夢幻第三幕
| ●リアリズム/【人間に生きる】/雪が降る、見たことのない懐しい風景、漂う旅人、建築家、馬宿、夢の女、生き生きとした対話、せめぎあい、命の緊張、尊厳をもって、勇気、成長、豊かさ、睡眠、 ●夢三夜・冬/三つのイズムの統合/陶酔/過去の中に感情の自由を獲得し/未来の中に意志の自由を主張する | |
| 【雪が静かに降っている】 | |
| (夕暮れ。旧日光街道。 冷たい川の流れる音や、林を抜ける北風のささやき、 旅人登場。小さなリュックを背負っている。 ショルダーバッグも肩にかけている。そのバッグには不細工な袋が縫い付けてあり、スケッチブックが入っている。 そして何処かで冬鳥たちが甲高く鳴いている) | |
| ★ | |
| 旅人 | (空を見上げて)高く高く、飛ぶ……か。 |
| ★ | |
| 旅人 | (旅人は絵を描こうとしている。土蔵の近くにあった石を見つけ、 構図を考えながら、それをどこに置こうか考えている。 雪の降り具合も考慮しているようである。 描く場所は決まった。 スケッチブックを開く。 まず鉛筆を取り出してあたりをつけている。 水彩絵の具を取り出す。 雪のなか、一心不乱に絵を描いている旅人。小一時間の夢中である。 旅人は歩き回った一日の中でどうしても一枚の絵が描きたい体質の人間である。その一日を絵の中に封じ込めたいと切に思うからである) |
| (旅人は絵を描き始めると川の音や風の音がより敏感に聴こえる。 光の微妙な強弱さえも生き物の呼吸のように感じるのだ。 冷たい空気が凍っていく音。絵の画面もジャリジャリと凍っている) | |
| ★《旅人に徐々にスポットライト》 | |
| (いつからか、夢の女が現れる。傘を持っている) (雪が静かに降っている) (女は遠くで絵を描いている旅人を、見つめていたが、 女は旅人の近くに静かに歩みより、そっと傘をさしだす。 まったく気づかない旅人) | |
| ★ | |
| (着彩を終えて、ようやく女の存在に気づく旅人) | |
| 旅人 | あっ、どうも、ありがとう。……あなた、ずっとここで傘を……。 |
| 夢の女 | (微笑んで)ええ、ずっと……。見せていただけますか? (旅人、そっとスケッチブックを女にさしだす。画面にはまだ雪が残っている) 画面が大分濡れてしまいましたわね? |
| 旅人 | いや、これでいいんです。……雪は雪が描いてくれる。 |
| 夢の女 | (うなづく夢の女)……。 (絵をのぞきながら)ほんとうね、絵の中で雪が雪になるのね。 |
| 旅人 | 結局、自然と融合するから気分がでるのです。 |
| 夢の女 | でもどうして、この場所を……。 |
| 旅人 | ここはちよっと小高くなっているでしょう。今泉の村があって、遠くにあそこの……。 |
| 夢の女 | 古内の集落ね。 |
| 旅人 | 見えますね。草屋根が群として並んでいる。さらに七ケ岳も遠望できる。ここから見た風景は美しいと思いました。 |
| ★ | |
| 旅人 | でも…………。 |
| 夢の女 | でも? |
| でも……、どうも、それだけではないような気がするんです。 | |
| 夢の女 | (微笑)? |
| 旅人 | だれかに描かされているような……。 |
| 夢の女 | だれかに? ……いつも絵を描く時というのはそうなんですか? |
| 旅人 | そう……(軽く首をかしげる)、それは、……確かにあるんですが、これほどの気配を意識したことはないんです。 |
| 夢の女 | (微笑)? |
| ★ | |
| (絵を描いていた時、あれほど動いていた旅人の手が動かなくなってる。硬直している。それを見て、夢の女はやさしく旅人の手を包み込む) | |
| 旅人 | 大丈夫ですよ。 (しばらくして夢の女ゆっくりと動きながら)/td> |
| 夢の女 | ……ここは、季節によって、さまざまな姿を持ち合わせていますが、でも在り続けるものの姿をあまり変えることはありません。 |
| 旅人 | うれしいですね。 |
| 夢の女 | あなたの絵、わたしはとても好きです。 |
| 旅人 | ありがとう。 ……でも、なぜあなたがここに? |
| 夢の女 | (微笑)だって、私はあなたが描いた絵の中に住んでいるんですもの。 |
| 旅人 | (うなづきながら)あぁ、そうだったんですか。 |
| 夢の女 | さあさあ、家であたたまって下さい。 |
| 旅人 | はい。 |
| (旅人と夢の女、絵の中の家に入っていく) | |
| 【馬宿の土間】 | |
| (ガラガラガラと引戸をゆっくりと開ける音。赤々と囲炉裏で火が燃えている。家の中にゆっくりと目をやる旅人。荒んでいると思っていた家の内部は凛とした生活感があって、懐しい匂いが流れている。空間に興奮している旅人……、馬屋柱に貼られた馬の貼リ絵をじっとみる。そして飼い葉を入れるフネも、小黒柱の脇にあるかまども。柱を慈しむように触れている。 旅人は五感で感じている。 ……待てよ、この空間の気分は、ひょっとしたらこの女がつくっているものかもしれない……、と思い、再び夢の女を見る。じっと見る。 | |
| 旅人 | あなたはいったい何者? |
| 夢の女 | (ただ、ほほえんでいる) |
| ★ | |
| 【対話1・ストレンジャー】 | |
| (馬宿の囲炉裏端。薪のはじける音……。 何ものかの胎内にいるような錯覚に陥っている旅人……。火を見つめている。ゆっくりと会話が進行する) | |
| ★ | |
| 夢の女 | あなたこそ、いったい何者? |
| 旅人 | 建築をやっているんです……。しかし、……建築をあまりしないで、 世界中をこの格好で歩 いています……。これか らも、ずっと歩き 続けていくと思います。 |
| 夢の女 | ……何かを探求するために遠くへ行くの? |
| 旅人 | …………。そんな、はっきりしたものでもないんです。わからない側へ一歩 踏み出していく感覚が好きなんです。危うい充実を好む質なのかもしれません……。 |
| 夢の女 | アドベンチャーなのね。 |
| 旅人 | いや、ちょっとちがいます。……そうですね、あえていえば、今、地球上の風景はあわただしく変貌している。ぼくはその変貌していく風景をこの目でしっかり見ておきたい。描きとめてたみたい。人間のつくりだしている風景はいったい何なのかじっくり考えたい。 ……そこから常に出発したいのです。) |
| 夢の女 | 見果てぬ夢の途中なのね。 |
| 旅人 | ええ、まあ……。 (薪のはじける音……) |
| 【対話2・馬宿に潜むもの】 | |
| 旅人 | (この心地良い空間はいったい何だろう、という思索をめぐらしながら……) この家は普通の民家とちょっとちがいますね? |
| 夢の女 | ここは昔、馬宿だったんですよ。 |
| 旅人 | 馬宿? |
| 夢の女 | 昔ね、物資を馬の背中に積んで輸送する人たちがたくさんいたの。 |
| 旅人 | 米とか塩なんかを積んで? |
| 夢の女 | そう、馬や馬方が泊まる馬宿……。ここは江戸時代から明治の中頃まで栄えたのだけれど、それ以後は輸送手段が変わって、泊まる客もなくなってしまったということね。 |
| 旅人 | その後は? |
| 夢の女 | 農家に戻った生活が地道に続いたわ。もちろん馬も一緒に暮らしていたの。 |
| 旅人 | そう。 |
| 夢の女 | …………馬は家族と一緒だから、長年、働いてくれた馬が病気で動けなくなっても死ぬまで家で看病したのよ。 この囲炉裏からは、いつも馬の様子が伺うことができるでしょう。 それでも馬が死んでしまうと、獣医が来て死亡診断書を書いていくの。 役場には人 間と同じように馬籍もあったのね。 |
| 旅人 | 馬の戸籍……ですか…… (薪のはじける音……) |
| 夢の女 | でも、この馬宿には誰もいない空き家の時期があってね。何年空いていたものかしら。その頃、重太という呑気なおじいさんがいて、なんでも旅と魚釣りが好きだったらしいのよ。家を空けてばかり……、(笑)ひょっとしたら、あなたかしら……。(笑) |
| 旅人 | 七森重太がぼくってわけですか?(苦笑) では、あなたはいったい誰なんですか? |
| 夢の女 | ……そうね。誰かしら……。(微笑) |
| 【対話3・旅と日常】 | |
| 旅人 | あなたはずっとこの村に……。 |
| 夢の女 | ええ、遠くにいったことはないの。 |
| 旅人 | なにか大切にしているものがあるのですか? |
| 夢の女 | 私が大切にしているものは、……この村の星と月と風。 たぶん、あなたが、旅に出て大切にしているものと同じものでしょう。 (薪のはじける音……、しばらく沈黙) 女、少し唐突に、思いつめたように) |
| 夢の女 | あなたの旅の中には何があるの。 |
| 旅人 | 自然があり、普遍があり、永遠がある。 (夢の女、にっこり笑ってうなづく) (旅人、少し考えを巡らせて、陶酔するように) 中国の古い村とか、ビルマのマンダレーもそうだった。ニアス島のジャングルの中の楽園もそうだったなあ……。(虚空を見つめる) |
| 夢の女 | (好奇心の目で) それらの場所の楽しいところはいったい何? |
| 旅人 | けっして快適ではないんですよ。ぼくたちからしたらものすごく不便な暮らしです。水だって川まで汲みにいく。井戸から汲みあげる。でも、ああ生きているなっていうことを感じる。助けあってやってるなということもわかる。割れたガラスの中から小学校の教室をのぞいたりするとね、子供たちのきれいな目にうたれる。やっぱりこれだよなって、ぼくは勇気づけられる。人が生まれたとか、死んだとか、そういうことも大切にする。 |
| 夢の女 | それは、人間としての記憶を刺激されているのね |
| 旅人 | そう、だから、見たこともないのに懐しい……。 (女、旅人を見つめる) |
| 夢の女 | あなたの見ている世界は、……私の中の『記憶の 部屋』と直結しているみたい……。 (薪のはじける音……、しばらく沈黙) (旅人、女を見つめて、さあ旅へ、とでもいうように) |
| 旅人 | 翔くことか゛どんなに空しくても、……翔くことをやめてはならない。 |
| 夢の女 | (土地の呪縛を意識する女、わずかに否定の意味合いを込めて) 大いなる力は嵐の中にあるのではなく、やさしいそよかぜの中にあるのよ。 (薪のはじける音……、しばらく沈黙) |
| 旅人 | わかります。でも、世界は謎に包まれているよ。(じっと目を見る……) しかも、世界はどんどん壊れていく……。 |
| 夢の女 | そう、壊れているの……。(不安な顔、そしてある種の決意の表情) (薪のはじける音……、沈黙) |
| 旅人 | ここにこうしている。驚きだな。 |
| 夢の女 | そうね。……あなたが今、欲しいものを聞かせて? (ゆっくりと、かみしめるように) |
| 旅人 | ぼくが欲しいものですか。……ぼくが、欲しいものは、 ……静かに歌がうたえるような、ぼくの実在だけです。 (薪のはじける音……、沈黙) (飛び散る薪の火花を見て) |
| 夢の女 | つかのまのリズム、魂の旅のよう。 |
| 旅人 | 瞬間を怖れていない。 |
| 夢の女 | 旅に出ると自分が解体するのかしら。 |
| 旅人 | その通りです。 (薪のはじける音……、沈黙) それにしても、この馬宿は心地良い……、いったいどうしてなんだろう。 |
| 夢の女 | それは、この土地の命がたゆたっているから……。 (旅人、うとうととしはじめる……、次第に眠りに) |
| 夢の女 | 旅人よ、静かに眠りなさい。 (旅人、安らかに眠りにつく。女、立ち上がり) あなたひとりの旅人、世界があなたを友とした 自分の家を忘れた、だからあなたは旅人、だからあなたは旅人…… |
| 旅人 | …………(かすかな寝息) |