芝居『馬宿夢幻』満員御礼!
1997.5.16/17/18

●芝居『馬宿夢幻』満員御礼!
 
おかげさまで、アユミギャラリーグローバルシアター第1回公演『馬宿夢幻』は、1997年5月18日、満員御礼のまま、千秋楽を迎えることが出来ました。一足早く、昨夜(17日夜)観劇を終えた仲間たちが集まって、鈴木喜一へのインタヴューが行われました。その内容をアップいたします。なお、本日の公演でグローバルシアターは終了し、明日からは通常の写真展『会津田島の馬宿と生活』に戻ります。【Y】


ゲネプロ、初日、中日上演を終えてのインタヴューより

●すごく短期間にできあがったと聞きましたが。
 そうですね。この芝居の出発は3月16日、パリに向かう飛行機の中でしたから……。どうなんでしょう。いったいシナリオというものがどのくらいかかるのかも全然わからない。今も、早かったのか遅かったのかわからない。
 パリから帰国したのが4月半ば、すぐ椎木クンと広野クンに来てもらって打合せを開始しました。それからは僕の日常の仕事の約半分の時間が使われました。ディスカッションに次ぐディスカッションを続けました。お互いに共通の基盤をつくるための作業でした。
役者たちは自発的に現地踏査に行って僕の予想をはるかに上回る収穫を得てきました。これはうれしかったです。最終的に脚本らしきものが出来上がって、みんなでよしこれでいこう、というのは5月10日でした。本当に早かったのか遅かったのか、自分ではわからないんですよ。

●パリ、東京、南会津とかなり離れていますが、無理はなかったのですか。
 1997年春、パリ・東京・南会津……、馬宿をめぐるぼくの回想が始まる。
 というのが最初に出てきた僕のフレーズなんですね。何しろその時、僕はパリに向かって飛んでいるんですから。かえって距離感が出ておもしろいんじゃないのかなって、ワイン飲みながら考えていました。僕はこの南会津の物語を、地球という星の物語にしたかったのです。
 パリと南会津が入り交じる、馬と人が入り交じる、過去と未来が入り交じる、夢と現実が入り交じる、旅と日常が入り交じる、建築と生活が入り交じる、という次ぎの発想もわりとさらさらと出てきました。

●構成のビジョンというのはいったいどういうものだったんですか。
 シナリオを書くからといって、肩の力を入れるということはありませんでした。今、自分の動いている状態、考えている状態、生きている状態を素直に入り交ぜていこうと思いました。それをビジョンというのか、どうかわかりませんが……。
 役者たちに僕はこんなことを言いました。
一、旅には(人生には)あらかじめ用意したストーリーというものなどない。
二、脚本から徐々に芝居というものが成立するのではなく、対象にぶつかった作者と役者のはじけかた、それに構成力が芝居を成立させる。
三、この芝居ではモラルも教訓も示唆しない。
四、偶然のように生み出されるささやかで詩的で美しいもの。
五、役を表現すると同時に、本当の自分自身を表現する。芝居の中に自分が存在する。

●パリから始まって、夢一夜、夢二夜、夢三夜と続いていますが、一つ一つを別々に考えていたの。
 確かに短編夢小説が別個に三つ挿入されています。だが全体の中の三つであって僕は全体の一部と考えています。あるいはパリの序章と終章を入れて五つですね。この芝居は五つの章から成り立っています。つながっていないようで、微妙に有機的につながっているように意識しました。

●シナリオを書くきっかけは。
 これは単純です。椎木クンと久しぶりに神楽坂で飲んでいたら、どういうわけか話が気持ち良くどんどん進んでしまいました。躊躇することはまったくありませんでした。まさか自分が演劇にこんな形で参加できるとは思いませんでしたね。
 もっともだいぶ昔の話ですが、僕も建築事務所に勤務しながら、夜は芝居をしたりしていたという時代がありましたから、その潜在的な欲求というか、静かに眠っていたモノをうまーく刺激されたのかもしれません。

●役者やスタッフとの関係はどうだったんですか。
 それは本当に素晴らしいものでした。僕はいろいろ教えられることが多すぎました。彼らは決して器用な役者とは思いませんが、真摯な気持ちを持っている人たちです。自分自身で確信がつかめなければ一歩も進まないというタイプです。そして、大もとのところで大切にしなければならないものを持っているんですね。照明で日夜がんばってくれた森浦クンの屈託のない笑顔も僕は大好きでした。そのほか、大勢のスタッフが本当よく動いてくれました。
 このところね、大学の授業でも脱線ばかり、この芝居の話ばかりしています。

●三つの夢物語の構想については。
 馬宿の建築復原を担当した当時に、建築の話だけではなく、ずいぶん民俗的な興味深い話を地元の方から聞いたんですよ。会津の方言が強いものですから、録音させていただき、その一部をテープ起こしして活字にしておいたんです。その中から、夢一夜は広野リツさんの聞き書きをベースにして、椎木クンに組み立ててもらいました。夢二夜は屋根屋の広野仙吉さんをモデルにして広野クンに組み立ててもらいました。その他にも膨大な資料に僕の理念とキーワードを与えて、僕は彼らにまかせきりました。役の中で彼らに生きてもらいたかったからです。夢三夜は僕が馬宿の中で実際に生きてみたいと思いました。

●あなたはこの芝居を役者本位に考えていませんか。
 僕は当初から三人でこの芝居をつくろうと思っていましたから、すべてを自分でやろうとはもうとう考えていませんでした。役者が生き生きとしてくることが最大の関心事でした。制作プロセスが生きているかどうか、絶えず考えながらやってきたつもりです。そう、今という瞬間のリズム……、これは芝居のセリフにも出てきますが……。

●夢の女の演技に感動したのですが、あなたは彼女とどのような研究をしてあのキャラクターをつくりあげたんですか。
 彼女との最初の出会いを確認しただけです。もちろん、雪の中でも、旅の中でもありません。

【文責/アユミギャラリー】