VOL.23
PLANET MOSAIC  photo and sketch by Kiichi Suzuki

PLANET MOSAIC


●PLANET MOSAIC(ノート48)
ぼくの机の下には、B5判の大学ノートがうず高く積まれている。そのノートの表紙には太いマジックで番号がふってある。一番新しいものが48。つまりこれまで48回の外国旅行をしたというわけだ。最初のノートがパリに遊学した時のものだから、1980年がふりだし。それ以前にも3回ほど旅行しているので、それをプラスすると51回ということになる。いったい通算でどれだけの日数を海外で過ごしたのだろうか……。
ノート48……、ここには地球というプラネットを舞台に旅を続けるぼくのささやかな記録がモザイクのようにつまっている。


▲当時使っていたリュックサック


▲ノート4/有島武郎の札幌の家


▲ノート10/タンジールの男たち

●ノート1(たよりない出発−1980年初夏)
ボンベイの空港で、搭乗時に預けたリュックがなぜか香港にあることを知らされた。ガーン……、いきなりか……、まあ仕方がない。香港から直接ローマに送ってくれと依頼したのだが……、果たしてリュックを受け取ることができるのはいつのことやら。
真夜中のローマは終着駅で名高いテルミニ駅。バングラディシュのヴィアという青年と知り合いになり、二人でココナツのクッキーを一緒に食べながら、旅の始まりにしてスリリングな一夜を駅のベンチでやり過ごす。これから一年以上も旅をしようというのに、ぼくは初日にしてボヘミアン。すでにボヘミアンのヴィアは寡黙だがとてもフレンドリー、さわやかなエナジーが漂っている。/Italy(ROMA)

●ノート3(大理石の悲しみ Pieta Rondanini−1980年夏)
くずれ落ちるようなキリストをマリアが支えている。が、ともにくずれ落ちるような気もする。未完の荒々しいノミの跡がみられる。ミケランジェロ自身の死をも重ねあわせた、キリストの死に対するマリアの深い悲しみと不安が表現されている。マリアの目はいったいどこをみつめているのか……、うつろだ。……白い大理石の悲しみ。/Italy(MILANO)

●ノート4(有島武郎の足跡を辿って−1980年初秋)
1906年9月、有島武郎は弟の生馬と欧州歴遊の途に入った。それはナポリから始まって、ローマ、アッシジと続いていく。この旅日記をぼくは国会図書館のマイクロフィルムから写しとり、74年の歳月を経て、同じように溯ってみようと考えていた。それは文学者として、また旅する心として、建築や都市に対する率直な感想が記されていて興味深いものだったからである。
有島は聖ダミアノ尼院についてこう評している。
「何という素朴さ、何という清らかさ。胸毛に首を埋めた鳩のように、この寺は山の斜面に巣くっている」
また聖マリア・デリ・アンジェリのボルチウンクラについては、
「小さなアッシジの町、その一端にある小龕ボルチウンクラ、是こそは歴史を動かす槓杆の尊い支点の一つであるのだ。アッシジ聖フランシス、聖キアラ、そう数えてくると、今でも美しい印象が頭に浮かぶ。私達の生涯が、古蹟訪問によって変化に出会うことが何時か必ずあるだろう」と印象深い記述を残している。/Italy(NAPOLI→ROMA→ASSISI)

●ノート6(シトー派修道院建築を訪ねて−1980年秋)
Abbaye de Fontenay という12世紀の修道院がフランスのブルゴーニュ地方にある。Montbard という小さな駅から約7キロの道を歩いていく。清浄な空気、緑の野草、地を這う様々な枯葉、虫や鳥、荷車を押してきた子供たち、素朴な村々の風景……、その風景が小さな雨にうたれ、風に揺らいでいる。
建築に向かう旅は歩かねばならない。一人歩きながら建築に対面する素直な心を宿さねばならない……。
ヴァナキュラーな建築の質朴さに、聖ベルナールの精神を挿入し、一つの建築として空間化させたものにシトー派建築というものがある。このフォントネー修道院やノアラック修道院はその代表的なものである。それらは何の変哲もない、驚かしもないファサードと空間を持っている。攻めも守りもなく、自然と外界に対して実に楽に生きている建築であり、のどかな建築なのである。教会内部は固く踏みつめた土。その土間は天光によってゆるやかに波打っている。身廊は高くなく低くなく、やや尖りをみせる円筒ヴォールト。側廊は窓からの光を呼び込む横断アーチ。シンプルで清楚なステンドグラスはガラスそのものの透明な、はかない美しさをみせている。こうした何の虚飾も権威づけもない、農家あるいは倉庫の延長線上にあるような空間をもつシトー派建築は、神の家の華麗な美しさを求めていった大聖堂建築に対して、神に対する人間の祈りの空間を実現したともいえるだろう。/France(FONTENAY)

●ノート9(旅の空−1981年冬)
どうなるのかわからない自分の人生を旅の空に聞くこともある。
車窓には遠く喬木がまばらに立っている。人の世にある悲哀のように。/Spain(OVIEDO)

●ノート10(タンジール−1981年冬)
モロッコの最北端にタンジールという港町がある。
町を歩いていると執ように旅行者を困らせる男たちがいる。ハッシッシを買わないかなどと取り囲んでくる男たちに「ノン」を発し続けていたら、彼らは強引に腕を引っ張りながら「ポリスに行こう。おまえはハッシッシを持っている」と凄まれる。
ぼくは振り切って宿に戻る。しばらくして、宿を出て夕暮れ時のカスバを歩く。相変わらず男たちがしつこく声をかけてくる。
いつもの食堂に入って、チキンとポテトフリッツ、そして玉ねぎとケチャップを混ぜたようなものを食べる。ここにくれば一安心。
ところが一転して、夕食の途中で停電。カスバは全くの闇となった。奇声と怒声が渦を巻いた。これ幸いと食い逃げをした男たちが狭い道を走っている。店のものをつかんでいるものもいるだろう。レジも混乱している。
……小さなろうそくが闇にともりはじめる。あっけにとられたぼくは、モロッコティーを飲みながら点灯を待つが、闇はなかなかあけようとしない。道行く人のかすかなろうそくの灯りを追って、宿への道を捜さなければならなかった。闇の中で複雑な迷路を歩き続け、やっと宿に辿りついて、扉を性急に何回も叩いた。ろうそくを持った主人が戸口にあらわれた時、ぼくはほっと胸をなでおろした。/Maroc(TANGER)
<つぎのページへつづく>

 


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