VOL.24
SINGAPORE●MALAYSIA●INDONESIA  photo and sketch by Kiichi Suzuki

SINGAPORE●MALAYSIA●INDONESIA



▲マラッカの旧市街


▲メマウル一家


▲ジャワ島からスマトラへ

24 April/Singapore
●真夜中のシンガポール
UA897便の機内でたまたま隣り合わせたのがフリーライターの垣原豊さん。旅の話がはずんで彼のペースでカリフォルニア・ワインをグイグイ飲んでいる。バドワイザーも二缶あけてしまったし、もうすっかり酔っ払ってしまった。
チャンギ国際空港到着。真夜中のシンガポール。「スズキさん、酔った勢いで話をしたらいけませんよ」
「どうして?」「罰金らしいよ」
タクシーでベンクーレン・ストリートの安宿へ。二人でツインの部屋をシェアしてから、まだにぎわっている街角でビールでも飲もうということになった。 路上のインディアン・レストラン。ウェイターにビールを注文すると、午前一時を回ってしまったからもうダメ、売りません。まだ5分過ぎたばかりなのにと抗議しても、腕時計を指さして「一時過ぎてビール売ったら罰金なんだよお」と言い捨てて、プイッと行ってしまった。

25 April/Singapore
●シンガポールの罰金
ということで昨夜は、深夜のベンクーレンの古いバーでタイガー・ビールを飲んで逮捕される夢をみてしまった。
垣原さんと朝食。10時30分。朝から暑い。オーダーしたのはモルタバ・チキンというオムレツとカレー、それにチャイ。話はトーゼン、シンガポールの罰金談義。「空港で大声出したら罰金なんですよね」とぼく。
「そう、道路でツバを吐いたらトーゼン罰金」と垣原さん。などと言いつつ往来の風景を眺めている。走っている車はピカピカ、この暑いのに道行く人の身なりはかなりしっかりしている。
「車の掃除しなかったら罰金なのかな?」とぼく。
「そうとしか思えませんね。どうやら長髪も罰金でしょうね。よれよれのGパンも罰金。ミニスカートも罰金」
 そこにミニスカートの女性が歩いていく。
「うーん。あの長さはスレスレってところだな」
 シンガポールの罰金について詳しい垣原さんはさらに語る。
「クーラーの効いているレストランでタバコ吸ったら罰金」「フーン」
「車内でお菓子を食べたり食事をしてはいけない」「フーン、駅弁なんかダメっていうわけ」
「車内で行商してはいけない。トランプをしてはいけない」「うーん」
「切符を折りまげたり、はじいて音をたててはいけない」「うーん」
「車内や駅構内をブラブラ歩き回ってはいけない」「うーん、まいったな」
そして垣原さんは止めをさすように「スズキさんの場合は絵を描いていて、絵の具を道路に落としたら罰金!」
やれやれ、やってられないな。見解の相違というのがあるだろうけれど。
外気はむわーっとむし暑くなってきた。33度あるらしい。でも回りの人たちはみんな快適そうな表情をしてチャイを飲んでいるようだし、「今日のシンガポールはなかなか涼しいね」なんて言っているようにも思えてきた。

26 April/Melaka(Malacca)
●中華堂のチキンボール
ここはマレーシア最古の町マラッカ。スタダイス(紅色建築群)と呼ばれる一角を抜けてマラッカ川にかかる橋をわたり、しばらく歩いていくと中華堂(CHOP CHUNG WAH)がある。店は朝から地元のなじみ客で大繁盛。中華堂のメニューはチキンボールとチキン。チキンボールいうのはゴルフボール位に固めて蒸したチキンライスのことでごま味が香ばしい。このチキンボールが5個、それにゆでたチキンの小皿がついてワンセット。にんにくの効いたチリソースをつけて食べる。舌鼓をうちながらぼくは活気のある店の特徴を考えてみる。
・通りに面して開放的であり、人の出入りが多い。
・家庭的でおいしくて安い。
・笑顔の良い店主、もしくは店員がいる。
・店に生き生きとしたリズムがある。
といったところだろうか。マラッカに来たらぜひ中華堂のチキンボールをお忘れなく。

27 April/Melaka(Malacca)
●STRAITS OF MALACCA
マラッカ海峡に沈んでいく太陽はまぶしくてじっとみていられない。紅くたゆたうこの海はポルトガル、オランダ、イギリスなどの西欧列強支配に耐えた町の歴史を知っている。いにしえのマレー王国の繁栄も知っている。

28 April/Singapore
●夜のジャラン・ジャラン
13時35分、外は強い雨。その激しい雨足を写真に撮ったりする。小雨になったので傘もささずにぶらぶらとラッフルズ・シティー周辺を歩き回っている。まてよ、目的もなく歩いていると罰金!かもしれないと思い(思いませんが)、安宿に戻ってタイガー・ビールを飲んでとにかく昼寝。
目覚めたら19時30分になっていた。階下のチャイナ・レストランでミー・ゴレン(焼きそば)を食べてから夜の散歩(ジャラン・ジャラン)にでかけることにした。ジャラン・ジャランの内容は以下の通り。
・京劇風の明るいお葬式に出会った。死者の魂が冥土に向かう旅を演じているようだ。弔う人の悲しみは微塵も感じられない。仮設の葬儀場はケバケバ豪華絢爛、人の死は悲しいことではないんだと思わせる。中国系家族の家長が72才で亡くなったらしい。
・山東ピーナツが大安売り、一袋1.4$、ついつい衝動買い。
・水1.5リットル購入。これは必需品。
・アイスクリームをパンに挟んで食べるのがシンガポール方式。50セント。
・ドリアン、マンゴ、パパイヤのたたき売りが圧巻。
しかし、屋台がおおむねビルの中に引っ込んでしまったのがいかにも寂しい。街路に迫り出してくるカオス的屋台感覚がアジアの町のぬくもりなのに、困ったものだ。立派な高層ホテルや最先端のショッピングセンターをつくって、町をきれいに整備して何が困ったものだと言われそうだが……。
その計画や技術は日本の開発業者や建設業者あるいは建築設計者が大分協力しているようだ。やっぱり困ったものだ。

29 April/Jakalta
●ジャカルタのサテ・カンビン
ベンクーレンの旅行会社でジャカルタ行のエア・チケットが簡単に買えてしまった。片道130$(シンガポール・ドル)。午後のSEMPATI AIRでジャカルタへ。ジャカルタのスカルノ・ハッタ国際空港は現代建築だが低層で落ち着いていて民族性をもあらわす素朴なデザイン。屋根が小刻みに割れているところも親しみがもてる要因。エアポート・バスで迷わずジョクサの安宿街に向かう。 19時52分、R.M.Jaya Agung という煙もくもくの串焼き屋に腰かけている。おいしそうなサテ・カンビン(羊の串焼き)をとりあえず10本。それにチキンスープを注文。このスープがまたまたおいしい。野菜がたくさん入っていて、スパイシィーな独特の香り。店内は清潔とはいいがたいが、半外部半内部の屋台感覚。ビールは星のマークのBINTANG。
隣で飲んでいた男たちと仲良くなった。「オラン・ジャパン、このみそだれがうまいんだぜ」と羊肉にたっぷりつけて食べている。確かにうまい。ジャカルタで真っ先に思い出すもの、それはいつまでたってもこのサテ・カンビンにちがいない。

30 April/Jakalta
●SENJA UTAMA EKSEKUTIF
夜行列車でジョグジャカルタに向かう。ぼくが乗った車両はエグゼクティブ。値段は55,000ルピア。エグゼクティブの特徴をあげると、おしぼりの配布  ティーあるいはコーヒーのサービス  夕食はチキンカレー  デザートのフルーツ(小さなバナナ一本ですが)  熟睡用の枕の配布  毛布の配布、といったところ。これをスチュアデスみたいな女性が次々に持ってくる。なぜスチュアデスみたいなのかというと、彼女たちがみんな自分をスチュアデスだと思いこんでいるからだと思う。そんなこんなで結構がんばっている車両なのだが、正直に言えば質は今一。枕や毛布はわりに汚い。もっといけないのは冷房がガンガン効き過ぎていて、そこで毛布が必需品となってしまうこと。ほかの車両の人たちは汗だくでふうふういっているのに。

01 May/Yogyakarta Borobudur
●BOROBUDOR
炎天下の中、ボロブドゥール見学。8世紀から9世紀中頃、シャイレンドラ王朝によって建造された大乗仏教の遺跡である。修行所、瞑想所として造られたものらしい。ボロは寺を、ブドゥールは丘を意味するサンスクリット語から派生しているようだ。一通りじっくり見てから日陰でその一部のレリーフを描いていたのだが、すばやく太陽が回って、日なたになってしまった。それでも黙々と描き続けたが日射病直前。やむなく途中で筆を止める。久々の挫折を味わい宿のベッドでダウン。
夕暮れ。暮れなずむボロブドゥールの町を散歩。夕暮れの濃密な空気が漂っている。この空気が吸いたかったんだよと思わず深呼吸。
ボロブドゥールの夜道は暗い。夜の闇を歩くのも久しぶりだ。宿に戻って天井のプロペラ扇風機を回しながら寝転んでいる。カエル、ニワトリ、奇妙な鳥の泣き声、虫の声……、自然の織りなす雑多なボロブドゥール・ノイズを聴いている。
<つぎのページへつづく>

 


目次に戻る 次のページヘ