僕のとなりの国にいるちがう顔の人たち


VOL.7

安宿探し

カイロ・エジプト  Sketch by Kiichi Suzuki

カイロ・エジプト

 


世の中が進歩し過ぎて地球は狭くなってしまったので、エジプトも隣りの国になってしまった。というわけで今回はエジプトに到着した夜の話。
“TEN YEARS AGO”
そう10年前の春、ぼくはアテネのシンタグマ広場あたりで、たいした金も持たず、たいした目的もなくウロウロとしていた。パルテノンの丘が見える友人のホテルに潜りこんでいた時期である。市川先輩、宮村君、その節は本当にお世話になりました。あのアテネの春を覚えていますか。南の陽光がふりそそぎ、白い花、黄色い花、赤い花、紫の花が咲き乱れていましたね。
そのプラーカと呼ばれる旧市街には安チケットを売る小さな旅行代理店がいっぱいあって、ぼくは店先のウィンドウに張られたフライト先の地名と切符の値段などを眺めて次はどこに行こうかと思いをめぐらせて路地を歩いていた。まさに青春といえる時代、400日無謀放浪の後半にさしかかった時期であった。
とある場所で、国際学生証(IDカード)を偽造して(いけないことだが、バックパッカーはほとんど学生でなくても持参しているのが常識であった)、アテネから夜のステューデントフライトをした。
目的地はカイロ。料金はむろん格安でうれしかったのだが、カイロ空港に着いたのが深夜、強制両替だけはきちんとさせられてインフォーメーションもなく外に放り出されてオロオロ。カイロ行きのバスに乗りたくても表示されているアラブ文字さっぱりわからず、英語もあまり通じそうもないし、すごい砂ぼこりだし、アテネでは春だったのにカイロでは夏になってしまうし……。
しばらく途方にくれてから、ヨーロッパ人のバックパッカー数人のグループを目ざとく見つけて金魚のフンのようについて満員バスに揺られカイロ市街へ。次は真夜中の宿探し。彼らの安宿探しは、極めて徹底している。やっと空室のある宿があってホッと一息ついていると値段の交渉になって折り合わず、次の宿を求めて夜道をひたすら歩くのであった。数軒つきあった後、ぼくだけ挫折、「悪いけれどここでいいことにするから……サンキュー・グッド・ラック」
名も知らぬ友人たちと固い握手をして永遠のお別れとなった。顔も忘れてしまった。
ホテルのボーイと二人、鉄格子の不安なエレベーターで昇っていく。大男は低い声で「どこから来たんだ」、……こわーい、小声で「ジャパン」
「ユー・アー・ストレンジ・フェイス」と男はうさんくさそうにぼくを流し見る。ガーッチャンという大きな機械音と共に停止したエレベーターのドアレバーを乱暴に外して男はぼくの部屋に向かって長い廊下を歩き始めた。

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