僕のとなりの国にいるちがう顔の人たち


VOL.10

コーヒー園の中の庵


ダラート・ベトナム  Sketch by Kiichi Suzuki

ダラート・ベトナム

 


サイゴン(ホーチミン)から車を飛ばして5〜6時間、ダラートというヒルステーション、つまり高原ののどかな避暑地がある。今回はそのダラートで出会ったある僧侶の半生のアウトラインを紹介してみよう。
ダラートの町はずれにある霊山寺は、大乗仏教の寺で一見の価値のあるなかなかいい寺なのだが、なぜかその中に唯一の小乗僧がいる。その僧侶の名は、チャン(TRANG)さん、1926年生まれ、67歳、僧名で悟西尾とも言う。境内にあるコーヒー園の中の小さな庵がチャンさんの住まいである。猫のタケとともに穏やかな日々を過ごしている。
その庵の前に敷いたゴザの上でチャンさんの出生から現在に至るまでの非凡な半生を聞いてしまった。チャンさんの母親はハノイのベトナム人。その母親にニシオ、ニシオと呼ばれて育ったらしいことが僧名に由来している。父親はといえば、どういう事情によるものか日本人で箱根出身という。現在のベトナムが仏領インドシナであった時代は、日本人もノービザで入りやすかったということなのかもしれないし、17世紀頃、ベトナムのホイアン港というトレーディングセンターに日本人町が形成されていたこともロマンを秘めてイメージされてくる。
つまり日系人のチャンさんは、ちょっと古い日本語だけれど、かなりの会話が可能なのであった。彼は16歳の時、通訳として日本の軍隊に雇用されている。陸軍二等兵だったが、帯刀とピストルの所持が認めらたというから、現地事情のわかる通訳として破格の扱いだったことがわかる。当時としては俸給もかなり良かったらしく、将校にかわいがられ、よくレストランに連れていってもらったという。第二次世界大戦で日本が敗戦した後は、36人の日本兵とともに山奥に逃げ、植林や植物栽培をして過ごした。その後サイゴンに出て、大工の見習いをしながら、夜間はフランス語、物理、化学などの勉強を進め、1958年に高等学校卒業試験合格、1959年にはサイゴン大学に入って哲学と英語を専攻している。以後、中学校、高等学校の教師を経て、1968年から現在まで仏門の道に入っているが、その間にベトナム戦争終結後の1975年から長期7年、ラディカルな反政府運動をしたかどで刑務所暮らしも挿入されている。
そんな重厚な半生が綴じ込められているチャンさんの顔艶はすこぶる若々しくてすがすがしい。コーヒーの樹々が風にゆらゆら揺れている中で、ヨガの逆立ちは一時間位できるのであった。

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