僕のとなりの国にいるちがう顔の人たち


VOL.11

ポージャンマチャ

プサン・韓国  Sketch by Kiichi Suzuki

プサン・韓国

 


ポージャンマチャというのは、夜の街路に出現する屋台の飲み屋のことで、オレンジ色のビニールテントで覆ってあり、裸電球がぶら下がっていて(カーバイトの灯りかもしれない)、夜道を歩いていると影絵のように人の姿がゆらりゆらりとしている簡易酒場のことである。
このポージャンマチャのスケッチは、1992年の暮れも押し迫った12月28日、夜9時過ぎのプサン港の近く、少しだけ韓国産のOBビールを飲み、焼エビなどをつまみながら描いていたものである。この画面にはちょっとしたストーリーがつまっていて、外に向けて何か語りたがっているという気配を感じる、というのは描いた本人だからということかもしれないのだが……。
このスケッチの登場人物はごらんのように3人であるが、これを描いているぼくがいるので4人がいたというわけである。そのちょっと前まで、なじみ客の土地の男がいて、勘定をアジュマに押しつけるように過剰に支払って出ていったばかりなので5人であった空間でもある。アジュマとは女主人、つまり、おばさんのこと。奥の2人は恋人たちということで察しがつくだろう。男はぼくの友人で日本人、女はプサンに住んでいる女性である。ここには、刺激的なシチュエーションの中で存在するラブストーリーが秘められているのだが、細かい事情、経緯が長くなってしまうのであえて言及しないでおこう。読者の想像力にまかせたい。
ここでは左端に立っているアジュマについて少し触れたい。名前はアン・ジェペーさん。プサンの北部、密陽(ミーリャン)の生まれである。この屋台は9年前から始めたという。きっと9年前に何かがあったんだろうな、とぼくは即座に思ったのだが、十分な間をとってから、この仕事は面白いかと軽く聞いてみる。アジュマは堰を切ったような勢いで、ぼくたちにむかって熱心に自分を語り始めた。
アジュマは9年前までは何不自由のない金持ち暮らしだったが、ある日、主人の経営する会社が莫大な借金を抱えて倒産してしまう。主人はそのため気が狂って7年間の精神病院暮らし、娘と息子がその間になんとか学校を卒業して今日にいたり、主人の容体も大分よくなってきたということらしい。細かいことは残念ながらハングル語と英語と日本語をかすかにつなげて聞き取っているのでわからないのだが、話し終えてアジュマは、衣服に付いたほこりをパンと払ったようなさっぱりとした顔をしていたのが印象に残っている。
ぼくは思うのだが、ポジャンマチャにはきっとポジャンマチャの数だけ、アノニマスで(無名で)、もの哀しくて、でたらめで、ささやかで、しぶとくて、したたかで、冗談半分で、退屈で、わけがわからなくて、……そんないろいろなストーリーが詰めこまれているのだろう。

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