僕のとなりの国にいるちがう顔の人たち


VOL.14

UCLAのテリー

LA・アメリカ  Sketch by Kiichi Suzuki

LA・アメリカ

 


グアテマラの旅も無事に終えようとしている、とすっきり言いたいのだが、メンバーたちに相次いでトラブルが発生、とくに後半は旅どころではなかった。 その困難を確実に乗り越えることができたのは、リーダー十川氏の適切な判断と指示のたまものだが、彼もサンホセでは実にもろかった。あっさりと200ドルと大切にしていたナップサックをもっていかれてしまった。
そんなわけで、旅の終わりのロスアンジェルス。エアポート・マリーナ・ホテルで遅い朝食をとりながら十川リーダーの友人を待っている。
11時50分、マツダのワゴン車でテリー・フラナガン氏登場。ダウンタウンを抜けてカリフォルニアの起伏のある土地を見ながらロス郊外を走り抜け、テリーの家に向かう。空はカリフォルニア・ブルーというのか、雲ひとつない青。 ワゴン車の後部座席で十川氏とテリーの話を聞いている。彼らは10年ほど前に、ネパールはポカラの山奥、カトパニという村でトレッキング中に知り合ったらしい。久し振りの再会で話がはずんでいる。テリーは小学校の教師、今年の夏で49才になる。サンタモニカ・ビーチのライフガードに属しているのがちょっとした自慢のようで、その証明書をぼくにも見せてくれる。先祖はアイルランド人で、2度目の奥さんは日系3世、義理のおばあちゃんとまだ小さな子供が2人いる平凡な5人家族らしい。
十川氏とテリーの話は人生上の取り組みという大きなテーマに発展し、テリーの「君はなぜそんな、ディフィカルト・ウェイを行くのか?」という発言で、話のピリオドが打たれたようだった。
彼の家は比較的大きな建て売り住宅のようなものだった。庭も室内も日本風にまとめているが、どこか大味でスピリチュアルなエナジーが伝わってこない。リビングルームにドーンと置かれた大画面のTVでは、UCLA(カリフォルニア州立大学)とミシガン大学のバスケットボールの緊迫したタイゲームが行われている。UCLA出身のテリーと家族は、夢中になって声援を送っていて、ぼくらもそのTVゲームを黙って観戦した。
夕暮れ時、テリーに送られてホテルへ。疲れていたせいもあるが十川氏もぼくもついウトウトと眠ってしまい、ドライバーのテリーの表情には、かすかにイージー・ウェイを行くレクイエムが流れていたように思う。
帰国後、ぼくはおせっかいにもUCLAのテリーを救えないものかと思い、十川氏はテリーに気の効いた連絡を入れてみるか、といっている。

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