僕のとなりの国にいるちがう顔の人たち


VOL.15

続UCLAのテリーを救え

LA・アメリカ  Sketch by Kiichi Suzuki

LA・アメリカ

 


前回の話、わかっていただけましたか?
ちょっと書き足りない感じもするので、その続きとその後の経過を話すことにする。まず、ぼくはイージー・ウェイを行くUCLAのテリーの表情の中にかすかな寂しさを鋭く嗅ぎ付け、ディフィカルト・ウェイを行くテリーの友人十川氏に彼を何とか救えないものかともちかけ、では気の効いた連絡をいれてみるか、という十川氏の前向きの発言で終わっている。
ところがその後、なんと十川氏はかなり弱気になってしまった。とりあえず並に暮らしているテリーを垂直思考でヘリコプターで吊り上げてしまうのもどうかなあ、なんらかの外圧を受け付ける状態でもなさそうだし……と戸惑い始めているのである。このケースは緊急事態ではないから、しばしボーカン、うんボーカンにしようよ、注意、観察というぐらいのアプローチが適当かと思われるんだけど、などと言っている。……困ったものだ。
油断をすると、生きていくという旅への取り組みが凝固してしまって悪い状態に陥るという見本を見せられているようだ、と友人テリーについて言っていたくせに。
しかもその上、人間にはイージー・ウェイもディフィカルト・ウェイもなく、自然体でのぞむウェイ=道あるのみなどと、悟西尾(ベトナムのダラートの僧侶)になったような気分で消極的なことを言い出してしまった。
いかん、いかん、何を血迷っているのか、君はお得意のグチャグチャ・スクランブル・カオス・ウェイなのだ。想像力を駆使してたくましく生きて行ってほしい、と叱咤激励をしておいたのだが、心を入れ変えてくれただろうか。
やはり、UCLAのテリーは救わねばならない。彼は10年前まではヒッピーに近かった。ネパールの山奥をたいした金ももたずにうろつき、同じような境遇の十川氏と出会っている。LAではサンタ・モニカのこぎれいな安アパートに住んで独自なピュアな世界をもっていたという。今、家族を持って、義理のおばあちゃんに転がりこんだかなりの遺産で買った大きな家に住み、何不自由なく暮らしているのだが、そこにはあの時代にあった美しさが消えているようなのである。
テリー自身の言った言葉であるが、ミドル・エイジ・クライシス、中年の危機と訳したらいいのだろうか、だれにも訪れるこの時代を、人はどのように切り抜けていくのだろうか。

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