僕のとなりの国にいるちがう顔の人たち


VOL.18

朝食

サモシル島・インドネシア  Sketch by Kiichi Suzuki

サモシル島・インドネシア

 


1993年7月14日8時47分、ここは北スマトラ高原、聖なるトバ湖に浮かぶサモシル島のルディー・レストラン。明け方の激しい雨は上がって、朝の風が気持ち良く流れている。
上品な書き出しで始まったが、実はこの舞台で昨夜、土地の男たちのリズミカルな歌と踊りにつられて、突如として友人建築家平岡氏ことヒラピーが狂ったように一時間あまり踊り続けたのであった。ヒラピーはこれでバタック族の女たちの絶賛を浴び、以後、ヒラピー、ヒラピーと族長のように追いかけられるハメになったのである。ヒラピーはかつてこのような過激な行動に出るタイプではなかったので、きわめてぼくの心を打った。楽しい夜だった。
昨夜は顔を見せなかったこのレストランの長男、ルディー・シダブダールがぼくのモーニングテーブルの近くにやってきた。1952年生まれ、40才。弟妹は8人、27才で結婚し2男3女の父でもある。
彼のママ、マヌルンが少し離れたところから、なかなかいい笑顔をしてこちらを見ている。父親はタバコを吸ってやや上空を見上げているがどうも元気がない。かなり痩せ細ってもいるので病気かもしれない。以前は早朝からトバ湖の魚を釣りにでかけ、ルディー家の食卓を賑わしたというが、その面影はもう見られない。
バタック族は音楽好きでおおらかな民族といわれているが、ルディー家は、その典型的なトバ・バタック族であるらしい。ルディーの話が続いている。
彼がまだ20代の青年だった頃、島には電気がなかった。道はあったが車はほとんど走っていなかった。ごくたまにジープが走っていた程度だったが、徐々にホテルやロッジが増え出して、それから島はどんどん変わってしまった。変わらないのはこのマンゴツリーだけだという。
話が途切れたところで、「幸せか?」と聞いてみる。
「NO」
「どうして?」
「POOR」
ルディー・シダブダールの表情には、ヒラピーを陽気に追いかけるバタックの女たちの明るさが見られない。ママのマヌルンは屈託なく食堂の椅子があと二つ欲しいといい、ルディーは屋根を葺くトタン板が欲しいとせつなくねだってくるのだった。

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