僕のとなりの国にいるちがう顔の人たち


VOL.22

歙県夜雨

中国・安徽省歙県  Sketch by Kiichi Suzuki

中国・安徽省歙県


1993年9月29日、ここは安徽省歙県向陽路、夜の雨が降っている。
歙県は硯の町として屯渓と共に有名で、書道、山水画関係の人なら胸をときめかすところらしい。なるほど、書道関係の文房具屋がずらりと軒を並べている。町は明清時代の古宅ばかりで建築的にもぐっと迫るものがある。街路はゆるやかな坂道になっていて歩いていると視覚的な変化があってとても気持ちがいい。ちょうどぼくの住んでいる神楽坂あたりのスロープぐらいかもしれない。
今日はこの町の山水画家につかまり、一日中彼のアトリエにいて強い白酒(パイチュウ)を飲みながら食事をしたり、苦労しながら筆談で絵の話をしていた。話が途切れると、いきなり、おまえも絵を描くのなら山水を描いてみろと強引にいわれ、筆を持たされ、仕方なく覚悟を決めてくそ度胸で架空の竹林を描くことになったのだが、やはり絵にならない。ぼくは、心の動く風景や対象が現実に存在して初めて絵が描ける。自然に描ける体になる。だから100パーセント現場でしか描けない体質である。とんだ失態を演じてしまった。
というわけで気を取り直して歙県の夜、雨の降っている中、包子屋さんのイスをこっそり借りて街角のスケッチをしているという状況なのである。最初はいぶかしそうに見ていた店の人たちも、スケッチが進行していくにつれ、親しそうな素振りになっていく気配を感じる。
この店のおじいさんは高天賜さん、84才である。顔艶もよく元気そうでとてもいい表情をしている。寡黙である。できあがったスケッチをうなづきながらじっとみつめている。奥さんが包子を食べろとドサッと皿に盛ってきてくれ、息子さんたちがぼくと筆談をする。おじいさんの子供は4人。長男は天国に行ってしまったが、次男の高明正さんは書道家、ぼくに達筆の草書を見せてくれる。三男の高喜生さんは山水画家、ぼくと名前が似ているといって喜んでいる。喜一もいいが、喜生という名前もなかなかいいなあ、と思ったのだった。四男は高則生というらしいが、会うことはなかった。
楽しい筆談の最後は、おじいさんが「尓有空可来玩」(暇があったらまた遊びに来て下さい)とキセルを吸いながらぼくのノートに書いてくれた。

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