僕のとなりの国にいるちがう顔の人たち


VOL.23

パルテノン神殿

ギリシャ・アテネ  Sketch by Kiichi Suzuki

ギリシャ・アテネ


久し振りに友人市川さんの八王子のマンションを訪れた。壁に一枚のスケッチが飾られている。ぼくが描いたパルテノン神殿のスケッチなのである。
 ……絵をじっと見ていると、一緒にうろついていたあの頃が懐かしい。
BUM AROUND TOGETHER.
のらくらと旅の中をさまよっていた時代である。
ということで、12年前のアテネの春。
1981年3月29日、その日は朝から気持ちよく晴れわたっていた。旧市街にあるホテル・インペリアルの5階のガーデンテラスからはパルテノンの丘が一望に見渡せる。そのテラスのテーブルにメードが運んできた朝食を市川先輩と彼の従弟宮村君と一緒にとっていた。
ひとしきり三人で旅のよもやま話をしたあとで、アクロポリスの丘に登った。初めてパルテノンを仰ぎ見る。春の陽光の中で汗がだらだらと流れる。白い大理石に結晶したパルテノンの構造体が強い光を浴びている。大英博物館で見たフィデアスの彫刻群やレリーフを思い浮かべ、この構造の上に重ねて考えてみたりする。両端の柱間は微妙に狭くなっていて、柱の下部の膨らみ(胴張り)は人間の錯視を見事に補正している……、こんな具合に詳細な感想を述べていくと難しいエッセイになってしまいそうなので、省略して、西洋建築史で学んだ通りであった。
それにしても日曜日のその日はたいへんな混雑であった。内部の聖域にはロープが張ってあり入ることができない。眼下にはオデオンの劇場が見下ろせる。
しばらくぼんやり歩いていると、宮村君が日本人の旅人と話している。その旅人はアジアから陸路で3年の旅を続け、エジプトからギリシアに入ってきたそうだ。ぼくは逆に西のパリから旅して10ケ月に入っていた頃だった。東と西の旅では随分貫禄がちがうなと感じながら、当時はまだ未知のアジアの国々に思いを馳せていた。
宮村君と男の話が続いている。そのやりとりの中で、男がフッと言った言葉は忘れられない。
「人生、軽く流そうと思って」
人生を流す、何という言葉だろう。……人生を流す人、流れる人、流しきれない人、流すまいとする人……。旅人はかなり遠くを見つめているようで、どんな現実も彼を傷つけることができない、そう思えた。

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