僕のとなりの国にいるちがう顔の人たち


VOL.29

洛陽の朝

上海・中国  Sketch by Kiichi Suzuki

洛陽・中国

 


上海を火車で出てから17時間、放り出されるように降りたのは早朝5時の洛陽の駅だった。まだ厳寒の闇の世界である。
ぼくは駅前で白い息を吐きながらしばらく茫然と立っていた。よく見るとわずかに人が闇の中を動いている。こんなに寒いのに彼らは何のために歩いているのだろう。ぼくは自分の宿の心配を忘れて、この冬の冷たい朝の情景に見入っていた。
 闇の中で男たちが叫ぶ。「ローヤンピンカン、ローヤンピンカン」
どうやら洛陽賓館という外国人でも泊まることのできる宿に連れていくということらしい。駅前には十台位のリキシャー(自転車の後ろに客用の荷台をつけた営業車)が夜を通して火車から降りたった客を寒そうに待っている。
「10元」「8元」「7元」「5元」いくつもの声がかかる。
ぼくは一番安い5元のリキシャーの荷台にリュックを降ろして腰をかける。
「洛陽賓館まで5元で連れていってくれ」
若い男は黙ってうなづき、駅前のロータリーを左に曲がりながら真っすぐに木立の中をひたひたと走り続ける。寒い、冷たい。ぼくは荷台で震えながら小さくなっていた。早く宿に着いてくれないか、という思いはとどかない。
 急な坂道があるとリキシャーは、自転車を降りて腕力で引っ張り、黙々と歩いていく。男のマントのような黒くて厚い上衣を背中から見ていると、何か動物に引かれて宿に向かっているようだ。この寒さ、この闇、知らない土地、今は彼が連れていってくれる宿だけが救いだ。
約30分位走っただろうか。ようやく洛陽賓館に着いた。ぼくを降ろすと男は両手を胸に広げて「10元欲しい」といった。ぼくはズボンのポケットの中にあった7元を取り出して、男に黙って渡した。
男は7元を黙って受け取りながら黙って寒い空を見上げた。
目次に戻る 次のページヘ