僕のとなりの国にいるちがう顔の人たち


VOL.31

タメルのマンダラ屋

カトマンズ・ネパール  Sketch by Kiichi Suzuki

カトマンズ・ネパール


スニル・クマール・シャカ(SUNIL KUMAR SHAKYA)から、突然電話があった。「キイチさんですか?」とかなりわかりやすい日本語。
「そうですが」とぼく。
「おぼえていますか、ぼくはスニル」
電話の向こう側で、カトマンズからマンダラやアクセサリーをいっぱい持ってやってきたんだ、とかいっているのだが、誰なのかちょっと思い出せない。相手の話をしばらく聞きながら、心当たりを考える。ひょっとしたら……、
「……カトマンズの、タメルの、マンダラ屋?」
「そうです。そうです。そのマンダラ屋です」
「ネパールから出てきたの? それにしてもよく来たね」
ということで、とにかく神楽坂のぼくのアトリエで会うことになった。
スニルはシャカ族の末裔、1969年生まれの25才。今回が初めての海外旅行。むろん単純な旅行ではない。マンダラを10キロ程かかえてやってきた。それをすぐお金にかえるというのではなく、日本の市場の反応を見て、注文を取りに来たのだという。東京を皮切りに、大阪、神戸、京都、名古屋と回ってきたらしい。その間、手持ちのマンダラは3キロに減っていたという。日本語は2年間カトマンズで勉強したらしいが、それにしては流暢である。マンダラを見せながら、いろいろ説明してくれる。
「マンダとはサンスクリット語で、円という意味。ネパール語になってマンダラとなったんですよ。この四つの円環は人間の頭の中、つまりSEX、ANGRY(怒る気持ち)、AMBITION(野心)、GREEDY(欲望)をあらわしていて、人間はマンダラを前に静かに瞑想して、これらの気持ちをコントロールすることによって幸せになっていくのです。真実に近づいていくのです」
スニルの話に耳を傾けながら、ぼくは真冬のチベット高原をトラックでひたすら走ってようやくカトマンズの街についた今年の正月のこと、そしてカトマンズ・ゲスト・ハウスで過ごした日々を思い出していた。
「日本はどうでしたか」とぼくが聞くと、
「ネパールも日本も同じですよ。うれしい人はうれしい人。悲しい人は悲しい人。お金がなくてもうれしく生きている人がいるし、お金をたくさん持っていても悲しい人がいます」という立派な答えだった。

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