僕のとなりの国にいるちがう顔の人たち


VOL.32

可憐なる人間の巣

イタリア・プロシダ島  Sketch by Kiichi Suzuki

イタリア・プロシダ島


晴れわたった初春のナポリ。快風をうけながらフェリーは青い海を行く。
デッキから眺めたナポリの町が実に美しい。カステロ・デロ・オーヴォ(卵の城)、そして市立公園の並木が続き、ポンペイをあっというまに埋めつくしたというヴェスヴィオス火山もくっきり雲の上から顔を出しいる。
ナポリから一時間半あまり、ナポリ湾に浮かぶプロシダという島に着いた。イスキア島やカプリ島よりもさらに小さな島である。この島の人口は約一万。例によって、とりあえず散歩を始める。路地は曲がりくねっている。三〜五階建てぐらいの石造建築が、起伏に富んだ狭い石畳をはさんでどこまでも並んでいる。その石の建物は、1/4円や半円にくりぬかれたファサード(正面)を持っていて、明るいピンク、黄、緑、青などのアースカラーによってきれいに塗りわけられている。その厚い壁からは、遠い過去の記憶から現在に至るまで、そこに住む人々の日常的な営みをじわーっと感じることができる。しかも、その風情は実にやさしく、かわいい。
また、この島には海に面して斜面状に水夫の集住体(集合住居)がつくられていた。複雑に入り乱れるプラン。個の領域の明確性はなく、集まって住むということがあたかも当然であるように家々は寄りそっている。つまり、集住体という一つの全体としての建築が有機的にできあがっている。
当然のように、そこには人間の生活が湧きでている。これはまさしく人間の巣窟だ、と感じながらぼくはスケッチを始めていたのだった。
ここでは個の空間、家族の空間、集住体としての空間、町としての空間、島の景観というように、空間領域の序列が、個から全体へ無理なくのびてきているといえそうだ。自由奔放で生き生きとしたプロシダの楽しげな造形。そこには規範を与える都市計画家も建築家も見あたらない。生活の内から思い思いに積み重ね、増殖していった可憐なる人間たちの巣。
バルコニーから夕暮れの海を眺めているセニョーラたちの表情を見ていると、自然と時間の流れに対して楽に生きている人たちの穏やかな美しさがあった。 路上に目を移すと、今日は祭日、美しいナポリターナたちがミモザの花を手にして楽しげに歩いている。

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