「人間としての能力がいまだ退化していない人たち」
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チベット文化圏は大きく分けて現在四つの国に別れている。一つは中国領有チベット自治区、二つ目にネパール、三つ目に北インドのラダック地方、そして四つ目にはブータンである。中国チベットは漢民族に併合され、ネパールは開放政策をとった。ラダックは聖域を保持しているが、ブータンは悠然と閉ざしている。
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■チベットのたくましい人間の風景
チベットを最初に訪れたのが1993年の冬、中国の成都から3650メートルのラサにいきなり入ったんですが、案の定すぐ高山病になりましてね。一週間位はあまり動けなかったんですよ。高山病の主な症状というのは頭痛、嘔吐、首筋痛、下痢、息切れといったところですが、かなりしんどいものです。
でもチベットはやっぱり僕にとって魅力的な世界でしたね。チベット高原は一億年前の昔、テーティス海という果てしない海底だったんですよ。そのことを物語る堆積岩の地層やアンモナイト……、その岩肌は茶褐色から橙色、そしてピンク色のファンタジックなものまであるんですね。単純に地球というのはすごいなあ、と思いました。チベット高原の旅をふりかえって思い出すのは、壮大な自然の風景の中でたくましく生きている人々の顔でした。素朴な暮らしですが信仰に支えられてどっしりと安定して生活している人間の表情なんです。
彼らは無駄のない最小限の生き方をしている。たぶん、それが人間としての能力を退化させないんですね。視力とか聴力、つまり五感がキラキラしているんです。彼らの生は文明ではなく、自然に向かっているんですよ。
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■チベットの建築
チベットの建築は寺も宮殿も住居も大地にしっかり根づくように厚い石壁で積み上げています。壁は上部にいくにつれややすぼまっているため、台形で安定感のある形状なんです。壁に穿たれた窓は小さく、しかも窓枠を黒く塗っているので、外観に独特の存在感をもたらしています。寒さを防ぐためということがありますが、宮殿や城等では外敵からの防御ということも当然あるのでしょうね。
一般の民家は割石を積み重ねて外壁をつくっていますが、内部と屋根は木を骨組としています。いわゆる木と石の混構造なんです。質素な平屋か二階建てで、外壁には漆喰を荒々しく塗ってあり、屋根の隅にはタルチョという色とりどりの旗が上がっています。現代の都市文明にはあまりないウィルダネス(Wilderness/野性的に、荒々しく)という表現がそこには見られますね。僕たちが取り戻さなければならないものだと思います。
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■ラダックの冬
ラダックの冬の朝はどんよりとした日が多い。ゲストハウスの窓外には冷たさを絞り出すような粉雪がいつも降っていました。重たいヤクの布団にくるまって休んでいると中庭でマキを割る音がする。そのマキを部屋まで運んでくれる住み込みの青年とはずいぶん仲良しになりました。無口で働き者の彼の生い立ちも冬のラダックのように厳しいものだったことを覚えています。
レーのまちでも昼間、陽が射した頃を見計らって一日一枚のスケッチをしました。しかし画面はすぐ凍ってしまう。手もかじかんで思うようには動かない。水を懐で凍らないように温めながら筆を速めて描くんですね。彼らの大地に根づいた暮らしと向き合うには、その冷気の中でただただ絵を描くことだと思っていました。
レーのまちの火曜日は節電のために一日中停電でみんな静かに暮らしていました。そんな夜はマキをしみじみ燃やし、その火を見続けて、手持ちのウィスキーを少し飲んで、人生とはなんて深いものなんだろうと思っていました。
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■静謐の国ブータン
ブータンは仲間たちとミニバスで回ったんですよ。いまだに詳しい事情が知られていない国なので、秘境とか桃源郷とか、ザ・ラスト・シャングリラ(最後の楽園)とも言われています。確かに目に映る風景は穏やかで、マニ車(経文車)を回す人々がいたり、ヤクが荷物を運搬している姿も日常的なんですね。
標高はおよそ2000メートルから3000メートルという高地に位置しているので美しい高山植物がたくさん咲いていました。
ブータンの交通路は厳しく、山と山の間にまちや村があるという感じなので、隣町まで行くのにミニバスで約3時間ほどかかってしまうんです。ガードレールなしの砂利道は車一台がやっと通れる広さで、落石箇所もいくつかある。橋も必要以上には架かっていないので、かなり迂回するという状況なのですが、だからこそ美しい風景が守られているのかもしれませんね。段々畑のじつにのどかな田園が延々と続いていました。ザワザワと川の音だけが強く、絶えず風と鳥の歌が聴こえていました。悠然と時が流れている静謐の国でした。
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