セーヌ河に昔日をやさしく重ねる

もう二〇年も前のことになる。一九八〇年初夏から約一年あまり、僕はパリのアトリエ(国際芸術都市/Cite internationale des Arts)を拠点として、ヨーロッパ各地、北アフリカ、中近東をうろうろと旅していた。
 芸術都市の建物はパリ四区、セーヌ河に臨んで立地し、しかも、マレー地区と呼ばれる比較的地味で味わいのある古い街区を背にしていた。利用していたメトロはポン・メリーあるいはサン・ポール。
 このあたりは一四世紀から一九一四年以前の建物が約七〇パーセントを占めているという場所である。石畳の街路に足を踏み出せば、中世以来の生活を刻んだ分厚い壁が長い歴史を伝えている。
 一ケ月から二ケ月位の小旅行をいくども繰り返していた僕は、パリに戻ってくるとなぜかほっとした。アトリエではよく窓からセーヌ河を眺めていた。そこにプラタナスの並木があって、その葉が黄色くなったり、散って喬木となったり、新しい芽が少しずつ出て、やがて緑葉になっていく……、というような自然の細かな摂理を観察していた。
 以後、僕の旅は中近東からインド、そしてアジア奥地へと道筋を変え、ヨーロッパから遠ざかっていたのだが、パリには一九九七年の春と一九九九年の秋に訪れている。パリに行くと僕は二〇年前と同じ道をいつも歩く。そして二〇年前に入った同じカフェでエスプレッソを飲み、同じレストランでシュークルットを食べてワインを飲む。昔日の記憶をゆらゆらと重ねているのである。

▲サンポール寺院

 

●シトー派修道院建築を訪ねて

 中部フランスの美しくも哀しい田園が連綿と続いていく。白い牛達、農家、納屋……、そして人の生と死のように、晩秋の喬木は壮厳な風景を見せて来たるべき冬を耐えようとしている。揺れて煙をはきながら、ローカル列車は自然の領土を突き抜ける。サン・アマンドの駅に着いたのは、暗い空になってしまった午後4時頃だった。小さな街は、どこをどのように歩いても10分とかからないうちに田園と繋がれている。歩き疲れて身を投じた安宿の暗いバーは、長い夜をやり過ごそうとする土地の人達でにぎわっている。その中で僕は、シュークルットやワインで口腹を満たしながら、ノアラック修道院に思いをふくらませていく。パリから二日がかりという、建築にむかう長いアプローチである。
 朝、目をさますとホテルの窓からは深い霧。寒い夜があけて、写真の撮れない空を悔やみながらも、リュックサックを整える。とにかく新しい朝が始まったのだ。気をとりなおしながら、ノアラック修道院までの4キロの道を歩き始める。濡れた野草、新鮮な空気、しめった白茶の野道の上に張りついた色濃い枯葉……、秋の野の風景が僕を包んでくる。口ずさんでいくような気持のよい足取りとともに、次第に空も晴れあがっていった。
 ノアラック修道院……、この魅力は何だろうか。僕は牛や鳥たちの鳴き声ばかりの静寂な野に存在している修道院の前に立ちつくしながら、喜びをかみしめる。この建築にはそびえたつ双塔も、交差部の鐘楼も何もない。それは、まちの真中にあってそのまちの表情でもあるカテドラルとは相違して、むしろ遁世の深い静けさをもった、祈りの世界としてあらわれる。積み重ねられた小さな石の深い色彩、切妻に切り落された単純な屋根、厚い壁にあけられた小さな窓……。石造の農家をそのまま精神的に高めていったような素朴な形体は、どうすることもできない魅力をもって、立ちつくす僕に波のように押しよせてくる。
 教会内部の床に、少し下がるように足を踏み入れる。半円筒ヴォールトの石造天井がつくりだす単純な空間。そこには壁画や絵ガラスは存在しない。シンプルで清澄な透過ガラスは天空の変わりゆく光の様を奥深い壁から伝え、そして外部の緑樹を淡く映している。僕はゆっくりと歩きめぐりながら、珠玉のようなクロイスラー(回廊)に捉えられ、サン・ベルナールという12世紀の最も偉大な思想家の実現した空間に全身を沈めていった。
 ヴァナキュラー(風土的)な建物の素朴さに、シトー派のこうした精神を結実させて、一つの建築として空間化したものが、このノアラック修道院であり、名高いフォントネー修道院であり、トロネの修道院であった。それらの空間には、石が石として、木が木として、ガラスがガラスとしてその生命と精神を失われずに存在している。材料が美しい、それはそんな感慨を抱かせる。そしてまた、現代建築が急速な勢いで失ってしまった本物の材料の豊かさを教えてくれる。


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