雑司ケ谷の家に住んでいたのは斉藤さんのおじさん一人だったとみんな言うけれど、実はぼくたちもずっと一緒に住んでいたんだ。ぼくたちはおじさんが好きだった。何といってもおじさんはオリジナルな人で味があったし、時代の流れにも頑固に反発していた。よくわからないけれど、生きることにテーマがあるという感じだった。世界は世界で勝手に回らせておけばいいさ、みたいなところがね。
高尾さんはその斉藤のおじさんの甥にあたる人で、彼が若い頃、よくここで話をしていたよ。高尾さんがきちんと正座していたのがとても印象的だった。おじさんはあぐらをかいていて、ぼくたちも欄間のところで聞き耳をたてていた。おじさんは世界で起こっていることをなんでも知っている人だったから、高尾さんはそういう話をいっぱい聞きたかったみたいだね。でもおじさんは少し意地悪だから、高尾さんが気の効いた質問をしないと、おもしろい話をしないようだった。
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高尾さんはその後どこか遠いところに引っ越してしまったから、おじさんはかなり寂しそうだった。だからぼくたちはずっと一緒に住んでいたんだ。
一昨年おじさんが亡くなって、この家がどうなるのか、ぼくたちはずっと心配していたけれど、高尾さんが戻ってきて「この家は壊したくない」って言ったのでほっと安心した、と同時に正直おどろいてしまった。こんなボロ家が直して使えるなんて思ってもいなかったから。しかも高尾さんはコンピューター関係のむずかしい仕事をしていて、ここをその新しい事務所にすると言うので、ちょっとアンバランスじゃないのかなとも。
それからスズキキイチさんっていう建築家がやってきて、家をじっと見て、しばらく考えていたけれど、やってみようよ、と言ったので、高尾さんはとてもうれしかったみたい。
工事が始まったのでぼくらは隣のボロ家に避難して進行具合を見ていたんだ。不思議にくすぐったい気持ちだったよ。だって丁寧に直してくれるんだから。サトウ棟梁や若い大工さんはとにかく一生懸命で、心を込めてボロ家と格闘していた。サトウさんは時々腕を組んで考えていたけれど、いつも「なあに、どっから手をつけようか考えているだけさ」って言うんだ。
指揮するスズキさんはなかなか楽しい人で、遊び心もあって、古い欄間をもう一度使おうとか、床の間はそのままにしようとか、屋根を思い切って高くしようとか、自由な発想がポンポンと出てくるので建築家ってすごいなあと思ってしまった。それをワタナベさんがせっせと図面にしてきて、必要な人に配るんだ。彼は毎日オートバイで現場にきて、少しずつできあがるのを写真におさめて、ノートに何やらメモしていたよ。
ぼくらが棲んでいた壁は、当然、剥がして新しくなるものだとばかり思っていたら、スズキさんは、この壁だけはどうしても保存する、と言ったので、またまたびっくりしてしまった。だって、ぼくらの壁の杉の板は、ところどころに穴があいているし、風化の度合いも激しくてぺらんぺらんに薄かったから。今度ばかりはスズキさんの考えはちょっと無謀だと思った。そりゃあ、ぼくらにとっては住み慣れたあの壁がいちばん落ち着くんだけれどね。高尾さんも少しびっくりしていたので、スズキさんは残したい理由を真剣に説明していた。「あの壁はただの古い壁というよりも、長い時間の流れがつくりだした一つの実体なんだ。絵のようなもの。風化したテクスチュアも、色合いも、枯れた蔦の跡も、細い路地の風景をつくっている不可欠の要素なんだな。屋根を含めて内外装がほとんど一新する中で、この壁を過去と未来の境界線上に浮かべてみたい。言ってみれば新しい時代と古い時代の水際。この壁はあらゆる夾雑物を受け入れる寛容性を持っていると思う。単なる皮一枚の看板じゃなくて、皮一枚なんだけれど大切な実体、根底にあって変化を担う持続的なものなんだよ」 高尾さんは、しばらく腕を組んで考えていて、
「キイチさん、この壁には昔からヤモリが棲んでいてね。新しくしたら彼らの居場所がなくなっちゃうなあ……、この家にはネズミもダニもいたけれど、ヤモリもいるんですよ。……そう、ぼくはあのヤモリってやつが好きでね。確かに、壁を新しくしたらヤモリは棲むところがなくなってしまうんだよなあ」
と言ったので、ぼくたちは手を叩いて喜んだ。自分たちが主役の壁なんて、けっこう得意なものだ。
家は一方で解体されて、一方では組み立てられていったんだけれど、その途中でワタナベさんが古い柱の上部に貼ってあった竣工当時の新聞紙を発見したんだ。彼は「やっと会えたあ」といって興奮して声をあげた。その新聞の切れ端は大正11年6月のものだったらしい。この家は関東大震災にも敗戦の失意にも耐えたということになる、と彼はうなづいていた。
この工事を通りがかって見ていく近所の人たちは「これほどのボロ家でも直して使えるんだねえ」って、こればかり、失礼しちゃうね。でも中には「ウチも建て替えではなく改造にしようかしら」というおばさんもいたからうれしかったね。
という具合で我が家は元の古い板のまんまです。ぼくたちに会いたくなったら、ぜひ遊びに来て下さい。ではこの挨拶はこれでおしまい。元気でね。
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