鈴木喜一建築計画工房
[改修] File no.64

BACKINDEXNEXT



北軽山荘 MANAHOUSE

所在地/群馬県吾妻郡
種別/改修・木造
設計監理/ 鈴木喜一建築計画工房
(担当:鈴木喜一、上見浩基)
施工/光建築工房
監督/広瀬眞樹

写真/畑 亮


創建/1963年
改修/2011年

 

◆ All photographs in this website forbid any duplication.
◆ このwebsiteにある全ての写真及び文章は、著作権法により無断転載・無断使用出来ません。
◆ Copyright(C) atelier R

 






















 


新しい時間が生まれる場所--MANAHOUSE

私がこの世に誕生する4年前の昭和38年、30歳そこそこの両親が、田舎を持たない子供たちの為に浅間山麓の北軽井沢に山荘を建てた。最初は、廃業する近くのキャンプ場から譲り受けた三角屋根の6畳ほどのバンガロを庭に移設し、小さな流しを取り付けた「別荘」。トイレは庭に穴を掘り、板で囲み、お風呂は近くの旅館に入りに行くというキャンプ生活から始まった。翌年、和室二部屋とダイニングキッチン、そしてトイレとお風呂を備えた母屋が建てられた。

私の記憶はその数年後から。

翻訳を生業としていた両親は子供たちの夏休みが始まったその日の夜、車に食料や生活用品を積み込んで、一家で狭い東京の団地から飛び出した。まだ夜が明けない頃に山荘に到着して、なんとなくほこりっぽい家に入り雨戸を開ける。これが、私の夏休みの始まりだった。
若くして独立し、仕事への緊張感の高い父も、ここでは気持ちも緩み穏やかになったもの。私の家族の温かな想い出の風景は、いつもこの北軽井沢の山荘。木漏れ日と、たき火の匂いと、夕立の音、それらと共に記憶の中にとどまっている。

この家が建てられて14年後、両親は離婚し、父だけがここに通う様になった。一人で淡々とここに通い、仕事をしながら庭を掃き、町まで買い物にでかけてはテレビで野球を見ながら晩酌をする。そんな夏を何度か過ごした後に、父の傍らには一緒に仕事をしながら、晩酌をする人が現れた。20年近く、2人のそんな静かな夏が過ぎ、父は2007年に他界。

そして、この家の持ち主は世代交代となり、私のもとへやってきた。
ガレージや仕事場の押し入れには父の半生の時間と共に過ごして来た家具、本や様々なモノがぎっしり詰まっていた。ほこりだらけのその全てを私の手で整理することに最初は戸惑いながらも思い切って捨ててゆく。容赦なく。モノが無くなると同時に、時が動き出す。そんな感じがした。
約4年間かけて、少しずつ整理しながらこの家の将来を考えてきた。思いがけず、使われない家の劣化のスピードに途方にくれたこともあったけれど、この家の呼びかけに引き寄せられる様に強力な助っ人たちが現れ、ようやく2011年の夏、生まれ変わることになった。

鬱蒼とした庭は整理され、お日様が入り始めた。父が一日のほとんどを過ごした仕事場とダイニングキッチンは一体化され、新しい集いの場に。夥しい数の本が置かれていたアトリエには鏡が張られて、スタジオに。この家の原点である小さな小屋は屋根のペンキが塗り直され、内部のしっくい壁は仲間の手によって塗り直され、心地よい静かな空間が出来上がった。

この家の時間は動き出した。伐った木々の根っこからは勢いよく新たな芽吹きが始まった。48年の年月を経て、一つの家族の育み、そして破壊と再生を受け止めて来たこの家は、今また新しい時間を生きようとしている。

息を吹き返した空間から、新たな価値ある時間が生まれ、そして育まれますように。そんな願いを持って、私はこの家の管理人であり続けたいと思う。

2011年 秋
北軽山荘 MANAHOUSE    広瀬麻奈

 


photo.by アトリエR



問合せ

BACKINDEXNEXT