鈴木喜一建築計画工房
[調査・所見] File no.67

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横寺の家(鈴木家住宅)



所在地/東京都新宿区
創建/昭和22年
種別/木造平屋建て
調査・所見/鈴木喜一
掲載雑誌/『住宅建築』(1996.4


写真/畑 亮


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横寺の家(鈴木家住宅)所見

 
横寺の家は新宿区横寺町31の約302平方メートルの敷地内に、高橋家住宅として昭和21年12月に上棟し、翌22年に竣工したものである。小屋裏に上棟の棟札が現存しているのでそれを裏づけることができる。
設計にあたったのは、旧高橋建築事務所(アユミギャラリー)を設計した建築家高橋博(1902〜1991)で、この住宅は建築家の自宅兼アトリエとしてつくられたものだった。アユミギャラリーの創建が昭和29年だが、この建物はその7年前に建てられたということになる。山口県出身で子飼いの大工を多く擁していた高橋は、竣工後もきめ細かく増改築や改修、時には減築をも重ね、現在のプランの輪郭に落ち着いたのは昭和28年のことであった。残されている古い青図がその時の記憶を伝えている。
その後、住宅建築の縮図のように小さな改修や修繕を繰り返しながら、生き続けてきたのだが、1991年、所有者の高橋博が逝去。高橋家住宅は相続税物納問題等で5年間ほど揺れ動き、ようやくメドがついた1995年から主屋は鈴木家の住宅として使われ、現在にいたっている。同敷地内の別棟(昭和28年頃築)は森永家住宅になって、これも細い路地に面して現存している。
この建物は木造平屋の切妻の屋根で、路地(前面道路)に沿って、下屋を低く葺き降ろし、しかも、長く深く張り出している。その姿は、日本の民家を思わせる落ち着いた佇まいである。外壁を構成する細かな木製の面格子と縦板張りがその外観をさらに引き締めている。
横寺の家は1995年夏に、鈴木家の住宅となった際、比較的大きな改修工事を実施したが、その改修の基本的な態度と心構えは、横寺日誌として、雑誌『住宅建築』1996年4月号に発表している。とりわけ、気をつけたのは以下のくだりである。「どこを直したかわからないように改修しよう、自分の操作をできるだけ抑制して義父高橋のつくった空間に馴染ませていこうと考えていた」
つまり、この改修の内容は、外観をほとんど変更せずに、台所と浴室廻りの腐朽に対処し、床を元のように土間に戻した点にあった。
要するに、昭和20年の空襲で焼け野原になった神楽坂復興期にいち早く建てられたこの住宅の意匠や骨格をできうる限り踏襲して、住み継いでいくことを心がけたのである。
以上のように、横寺の家(鈴木家住宅)は、自薦ではあるが、旧高橋建築事務所(1F アユミギャラリー)と同様に、神楽坂の町並みを代表する建築物のひとつということができ、登録有形文化財登録基準(平成8年文部省告示第152号)の「一、国土の歴史的景観に寄与しているもの」「三、再現することが容易でないもの」に該当するものと考えられる。
なぜ「再現困難なのか」といえば、この外観はこの地域の防火規制のため今後は成立しにくいこと、使用している木材はすべて良材とは言えないが、戦後まもなくの地元の木を合理的に選んでいること、そこここに現れている建築家の意匠力と職人の手技の造形は、現在、容易に再現することができないと思うからである。
また、開発が進む神楽坂界隈では終戦直後に建てられた住宅が極めて少ないこと、近世の地割りが残る路地の風景の一部となっていることも追記しておきたい。(鈴木喜一)

photo.by アトリエR



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