VOL.1
NEPAL  photo and sketch by Kiichi Suzuki

NEPAL


《マガルコチョリ(マガル人の娘たち)》
トルクナ草屋根の家の前には、桜の木が植えられている。夕方の激しい雷雨が、ようやく去っていった。チャイがいっぱい飲みたくなって図々しく雨宿りに入ってしまう。マガール人の質素な民家だ。土間には、グンドリ(荒むしろ)が敷いてある。その隅にカマドがあってチャイがグツグツ沸いている。 しばらくすると、トレッキング仲間たちが入ってきて、ロキシーを飲みたいと甘えている。出来立てのヒエの地酒だからおいしいに決まっている。熱カンで飲んでいる。ツマミは、カマドの上で燻製になっている干肉(ブタと水牛)。体調が悪くて禁酒のぼくは、かなりくやしい。が、気を取り直してツマミを少しかじりながら、かわいいマガルコチョリを描き続ける。

  《アンナプルナ》
ポタナ早起きしてしまった。今、朝の6時45分。起きた時間ではなく、山の絵を3枚も描き終わった時間なのだ。アンナプルナ連峰とマチャプチャレが空の真ん中にポッカリ浮かんでいる。ポタナの小さな村には、ネパーリーの音楽がおいしい空気とともにゆったりと流れている。
                  


《峠の村》
チャンドラコット峠の村で雨宿り。スケッチをしていたら、かなり大きなヒョウが降ってきて、大雨になり、雷鳴がとどろき、イナズマはヒマラヤの空を派手に割るのだ。これから、雨中、ビレタンティーの村まで降りて行く予定。病人のぼくは、雨具を装備して、竹篭に揺られて行くのである。篭なんか使って大名旅行だ、と思うかもしれないが、山村で死にそうな病人を運ぶのにこれを使うので、日常の道具なのである。うらやましがられるほどのものではなく、情けない道具なのである。乗り心地が悪かったので、途中で手を加え、改良してもらったのであった。

《雨やどり》
カレこのぼんやりした風景が雲海で全く見えなくなったり、かすかに見え隠れしたりするのだ。昼下がりの雨やどりがたっぷり2時間、トタン小屋を激しく叩きつけるヒョウや雨の音を聞きながら、大地をはねる雨足をじっと見ていた。


《段々畑》
カレせみの声、鳥の声、おたまじゃくしの池、鬱蒼とした樹木の匂い、空気、枯葉、しゃくなげの木くず、石の道……。今日は、わりと平坦な道なので、しばらく歩いている。カラッと暑くなってきた。うっすらと気持ちの良い汗をかく。このあたりは、グルン族のなわばりらしい。石にはヒルがいて、裸足だと血を吸われてしまう。かたつむりもいる。野いちごも木にたくさんぶらさがっている。橙色の小粒の実。ちょっと食べてみよう。うっ、うまいっ。

《ロッジの石屋根に座って》
ビレタンティ6月7日、晴れ。川の音とともに眠り、そして目覚めた。コケコッコーと甲高くにわとりが鳴いている。今日は、旅の休養日。リバーサイドの小さなロッジ。2階の部屋の出窓から、石屋根の上に出て、壁にもたれながら日がな一日、川を眺めつづけている。ザワザワと強い音をたてて流れるこのヒマラヤのモディ・リバーが、やがてガンガーとなって悠々と流れていくように、ぼくの人生も、まだとうぶん流れていくのだな。ガランゴロン、ガランゴロン、とロバのキャラバンが往来を行く。

シャングリラへの旅、というのを始めてしまった。というか、すでにだいぶ前から始めていたような気もするのだが……。機内の窓からは、白い雲海のはるか彼方、東ヒマラヤの夕暮れが、わずかに見え隠れする。まるでファンタジーの世界だ。香港からカトマンズへ2940キロ、高い空を飛んでいる。
シャングリラというのは、地上の牧歌的楽園のこと、中国の故事に例えれば、桃源郷ということになるだろう。ロイヤル・ネパール・エアラインのマガジンのタイトルは、なっ、なんと、このシャングリラなのだ。そのマガジンの中にある《ネパールの目》を小さなスケッチブックに描いて遊んでいたら、すっかりスチュアデスに気にいられてしまった。彼女にちょっとシャングリラのことを聞いてみよう。ヒンドゥー系ネパーリーの、超美人! しかも、明るくてチャメッ気がある。名前はアチャナ(ARCHANA)、 その彼女がにっこり笑って語ってくれる。
「それはね、チベットの奥地にある秘密の砦、地上のユートピアよ。」 さらに深呼吸一回分の間をとって、
「……アガルタ、という別天地も地球の内部にあってね、それもこのあたりが入口なの。架空の場所といわれているの、でも私は信じてるわ。……魂の離れ島みたいなものかな。」と少し得意気だ。
「あとでヒマになったら私を描いてくれる。」と見つめられたので、
「うん、もちろん描いてあげよう。」
描いたスケッチ(似顔絵)は、その場であげてしまったので、ここで紹介することができないが、公表するのはもったいない気もするので、ちょうどよかったのかもしれない。
シャングリラ、桃源郷、ユートピア……ちょっと首をひねってしまう。でも考えてみれば、何もとりたててぜいたくな場所ではないよな、とぼくは気楽にイメージしてみる。虚飾を捨てた仙境ということであれば、 ・素足で気持ちがいいとか
・心が自由でなごやかで楽しいとか
・人の表情や目に輝きがあるとか
・田畑と素朴な家屋があって
・川の流れや池があって
・植物と動物も一緒で
・月を眺め、ゆったりと風に吹かれて生活し
・矛盾も性急な進歩もない
というところかな。オカルティックなアガルタはともかく、人間が喜びをもって至福の中で輝いている地上の楽園は、架空の場所なんかではなく、ずいぶんあるのではないか、と単純にぼくは確信する。でなければ、シャングリラへの旅というシリーズも始めようがない。
シャングリラという夢のような現実、そして厳しい俗な現実、しばらく行ったり来たり、グルグル循環しながら、遠いところ身近なところ、グローバルな視点であてどなくさまようつもりである。
だいぶ昔になるが、学生時代、『シャングリラ号』という気球を仲間たちが飛ばしたことがある。少しだけ飛んだが、なぜかあまり飛ばなかった。今度のシャングリラは、軽やかな清風にのって大空高く飛んでみたい。

 


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