VOL.2
瀬戸内海  photo and sketch by Kiichi Suzuki

瀬戸内海


前略。みなさんお元気ですか。突然で失礼致します。先日、黒板にイタズラ書きをしたふつつか者です。海の透けて見えるいい中学校だなあと思いながら、失礼と思いつつ見学していたところ、ガラスがちょうど入っていない教室があったものですから、お邪魔してしまいました。お許し下さい。3日間、民宿に滞在して、のんびり海を眺めて過ごしていました。静かな気持ちのよいゴールデン・ウイークでした。お詫びに、ぼくの本を贈らせていただきます。楽しく勉強を続けて下さい。
1992年5月8日    鈴木喜一
PS*すまぬが、潮が引いた海で、きれいな貝殻を拾って送ってくれませんか。
夕暮れ時のきれいな貝殻を拾い集め、それを足元において一生懸命スケッチをしていたら、潮が満ちてきて貝殻は流れていってしまった。

前略。お手紙拝見いたしました。早速クラスに紹介いたしました。彼らは同封の手紙にあるような感想を持っております。はた目にはのんびりした良い環境に見えますが、僻地校の悩みは多々ございます。しかし、純真な生徒たちを見ておりますと、何とかしてやらねばと思います。先生も世界中を巡っているご様子、お体に気をつけてますますのご活躍をお祈りいたします。お贈り下さった本は、本校の図書の一冊として大切にさせていただきます。ありがとうございました。
1992年5月13日   (島の教師)

はじめまして……。きのう、先生があなたの手紙を読んでくれました。5月6日に学校で黒板を見た時、びっくりしました。私たちはてっきり子供のいたずらかと思いました。落書きをした人から手紙がきたと聞いて、またびっくりしました。大人の人が落書きをしたと聞いた時は、もっとびっくりしました。今日も教室の窓から眺める海は気持ちがいいです。あなたが落書きをしたあの教室です。それから、本を見ました。なんだか意味のわからない、むずかしそうな本でした。外国の方を旅して本を書いているんですか? これからもすてきな本を書きつづけて下さい。そして、貝殻をとってほしいと言ったので、放課後、みんなで一生懸命きれいなのをとりました。いつまでも大切にして下さい。また島に来てください。今度は私たちと話しをしながら浜を歩きましょう。
1992年5月12日(島の中学校生徒一同)
                           


お手紙ありがとう。そして、きれいな貝殻をたくさんありがとう。みなさんが夕暮れ時、あの海岸で貝殻をさがしているところが目に浮かんできて、胸がジーンとしめつけられてしまいました。また必ず遊びにいきます。夏の夜はもっと星がきれいでしょうね。その時は外国の写真をたくさん持っていきますから、ぜひ見て下さい。
来月、ヒマラヤのふもとネパールという国に行きます。絵葉書を出します。それから、この前に送った本はむずかしいようだったので、今度は『旅の中の風景』という絵本をみなさんにプレゼントします。見て下さい。
1992年5月19日       鈴木喜一

以後、島との交流経過
・1992年5月23日
島の校長先生からぼくに手紙。
・1992年6月
ぼくがネパールから島に絵葉書を送るが、郵便事情のためか届かず。
・1992年6月26日
ぼくから島に手紙。
・1992年6月30日
島の教頭先生からぼくに手紙。
・1992年7月4日
島を訪問。ぼくの特別授業。小中学校合同の授業で生徒職員父兄あわせて  約40名。内容はネパール・シャングリラ・ストーリー。
・1992年8月29日
島を訪問。大潮干潮時できれいな砂洲が現れる。
・1992年9月4日
ぼくから島に住宅建築9月号(シャングリラへの旅)を送る。

1992年のゴールデン・ウイーク、ぼくは瀬戸内海の小さな島でボーッと過ごしていた。
波の音は絶えまなく、鳥や虫たちも気持ち良く歌っている。風にそよぐ竹林はカサカサとざわめき、戯れの雲も軽やかに空を飛んでいる。
潮が満ちて夕暮れが遠くひろがるころ、海に続く石段に腰をかけてぼんやりと頬杖などをつきながら目の辺りの風景を眺め続けている。この時間の風景はまるで生物のように刻々と変化する。それが、じわーっと心の中に入ってきて、しだいにぼくの内部を空っぽにしてしまう。いつしか、対象の雰囲気に浸るようにぼくはスケッチを始めている。
無心に筆を走らせながら、ゆっくり山道を歩いたり、木かげで休んだりした一日がスケッチの中に少しずつ綴じ込められていく。ポンポンポンポンという釣り船のリズミカルな機械音がゆらゆらとした風景の中に沈んでいく。
ゴールデン・ウイークといっても、島は全く静かなのである。船着き場のある洲の集落には家が約10軒。どの家も洲本という表札ばかり。食堂も駄菓子屋さんも酒屋もなく、公衆電話もない。浜で自動販売機を見つけたので、缶コーヒーぐらいは飲めるのだろう、と思って駆けよると残念ながら《故障中》という具合である。修理するという気配もあまり感じられなかった。島には年配の人が多く、空き家も多いので座敷で猫があぐらをかいているところもある。
しかし、なんといっても空気は澄んでいておいしいし、風に吹かれながら深呼吸をしてみると自分の気持ちまで健やかにふくらんでしまう。民宿の窓から見える夜空の星もとても身近である。ここには何もない。確かに何もないが、すべてがあるともいえそうだ。時間もたっぷり流れている。
笠岡港から南へ23.5キロ、島の周囲約6キロ、ぼくは瀬戸内海に浮かぶシャングリラの島にいた。

休暇も終わりに近づいた頃、ぼくはこのシャングリラの楽園でちょっとしたエピソードというか、めずらしい事件の発端をつくってもいた。
舞台は島の中学校……。
船着き場の近く、赤い屋根とピンクに塗られた窓枠がかわいい木造小学校がある。その小学校に隣接したさっぱりとしたコンクリートの建物が島の中学校である。集落から坂道を下ってくると、ちょうどその二階建ての中学校が見えてくる。教室の両側面はすべてガラスなので、空間がスポンと海に抜けている。潮風が流れているような感じがして、ああ、いいなあ、海を見ながら授業やっているんだなあ、と思って、ふらふらーっと校舎の中に吸いこまれてしまった。 島の中学校だから、戸締まりはどうかなと思ったけれど、教室にはちゃんと鍵がかかっている。なかなかしっかりしているぞ、と守衛のようにうなづいて歩いていると、入口の建具のガラスが一枚割れている教室を見つけてしまった。先生、これはまずいなあ。ちょうど入れるのではないか、おおらかで良いともいえるが、……と思いつつ、条件反射というのだろうか、とにかく踏み台を使って忍びこんでしまった。これは不法侵入ってやつだな、すまんすまん。
教室には小さな木の机が七つ、ゆったりと配置されている。ぼくはその小さな椅子に座って海を見たり、黒板を見つめながら、しばし放心して幼い時代にタイムトリップしていた。やや投げやりふうの本棚に目をやると、山本周五郎の『さぶ』とか、灰谷健次郎の『太陽の子』などの懐かしい本が並んでいる。 黒板の上には、島の中学校の校訓が掲げられている。久しぶりに校訓を読んでみた。
まじめに、やさしく、たくましく、
まじめに、……誠実にってことだな。やさしく、……愛をもって生きていくってことだな。たくましく、……健康で力強く生きていこうってことだな。うん、まさしく人間としての基本だ、と思いつつ白墨でかみしめるように大きな字で、まじめに、やさしく、たくましく、と黒板に書いてみる。
しばらくしたら黒板の字を消して、何事もなかったように立ち去るというのが大人の態度なのだろうが、なにせイタズラ好きの子供時代にタイムトリップしているぼくなのである。赤、黄、緑、のチョークを見つけて、3本まとめて手に握り、さらに一回り大きな字で、《おもしろく》とカラフルに書いていた。そして、冒頭に新校訓と付け加えた。末尾には、……旅の者より、とも書いた。PS.として、先生ガラスをちゃんと入れとけっ、 とも命令してしまった。 そんな落書きをして、1992年のぼくのシャングリラ・ゴールデンウイークは終わった。

 


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