VOL.4
KOREA  photo and sketch by Kiichi Suzuki

韓国


《浦項》 1991年元旦。活気の溢れるポーハンのシージャン。酷寒の中、一日中ワカメを売るたくましいアジュマの後ろ姿をアップにして絵を描き始めたら、女は、時々、進行具合をのぞきに来て、ヒップを強調し過ぎていると高らかに笑い飛ばしながら気にいらない素振り。仲間のアジュマに楽しそうに告げ口している。路上にどっかり腰をおろして毎日を過ごしていくアジュマたちは、みんな飾らず化粧気がない。だが、その顔はすこぶる健康そうでしっかり者、生活力に満ちていた。シージャンとは市場のこと、アジュマとはおばさんのこと、これにポージャンマチャという屋台を加えて、路上に元気な三角形が成り立つ。

《三千浦》 旅が何日か過ぎて、風景の中に遠い過去の経験を思い浮かべたりする頃、ぼくはようやくスケッチがしたくなってくる。ただ無心に対象に浸っていたくなってくる。駆り立てられて、荷揚げも終わって人影もまばらな漁港に急ぎ足で下りていく。島々ばかり……。陽が落ちかけた波止場に停泊している小舟、空には無数のからすが飛んでいる。……風の強い乾いた冬の空気。……描きながら冷えていく体の中に、旅の一日の風景がかすかに繋ぎとめられていく。

《ポージャンマチャ》
1992年12月31日夜、港から吹く風はかなり冷たかった。
女がポージャンマチャを閉めようと思っていると、
日本人が入ってきた。
言葉のわからない客はめんどうくさかったが、
暖房代わりに目の前のコンロに火をつけてやり、
今年最後の客だから、少し多めにお金を払ってくれたらいいなと思った。
三千浦の冬の暮らしは冷たかった。だが女たちはみんなそうだった。
日本人が帰った後、女は店を片付け始めた。
家に帰ると、男も子供ももう寝ているだろう。
そして、女の1992年も終わり、
何の変わりもなく明日から新しい年が始まる。

《忠武の犬》
 賑わいもほぼ静まった夜のシージャン。その路地で妊娠中の茶色の犬に出会った。大きなお腹とお乳を抱えてボーッとしていた。体腔のような忠武のシージャンで嗅覚を刺激され、ピンデットというお好み焼きを食べることにした。すると、またその犬がいて、穏やかな顔をしてヨッコラショと歩いていた。何だかうれしくなって頭を撫でたり、頬をひっぱたいたりした。この犬は危うく地球からポロリと落っこちるなんてことは決してないだろうな。

《慶州仏国寺》
 ……今日も冷たい風が吹いている。木魚の音があちこちから聞こえる。1593年、豊臣秀吉(プンシンスギル)が侵攻、戦火で創建535年の新羅時代の巨刹は全焼、その後、数回にわたって再建された慶州仏国寺。 

《安東河回村》
 村を一周して、民宿を決めることにする。<民泊>と門に書いてある民家に入り、言葉はシンプルに「イルパクオンドルパン(オンドルの部屋を一泊)」とだけ言う。与えられた部屋は、約3メートル平方の典型的なオンドルの小部屋であった。いい部屋だった。ちょうど方丈の庵といったスケール感である。薄い布団を黄褐色のリノリュウムの床に敷いて暖めてある。早速コタツに入るようにぼくは暖まる。手持ちの文庫本はヘルマン・ヘッセの『郷愁』、障子の光でしばらく読んでみる。まるでこの村のことではないかと思うニミコン村の情景描写から始まっている。

……たまった韓国の旅日記を読み返している。
韓国南部の港町をここ4年ほど歩き回っている。冬ばかり……。すっかりなじんだ、とまではいかないけれど、たどるたびに親しくなる道のようでもある。 訪れた主なところをあげれば、釜山(BUSAN)、忠武(CHUNGMU)、三千浦(SAMCHEONPO)、 浦項(POHAN)、麗水(YOSU)、といったった多島海沿いの港町が多い。地図によれば、慶尚道および全羅南道といった地域である。移動手段のメインはバスだが、快速水中翼船エンジェル号もよく使った。これで閑麗水道と呼ばれている美しい海岸線や無数の島々を見ながら、この海には忘れてはならない侵略の歴史の数々も深く沈められているのだなと思いつつ、今は何事もなかったように穏やかな海上を流れるように走っていく。
木浦(MOKPO)から韓国西南端の離島、黄海に浮かぶ紅島(HONDO)という奇岩の島に行ったこともあった。草青色の海が荒れに荒れてその小さな島に元旦から3日間、しっかりとじ込められたことがある。外は厳寒な上、海のほかには見るべきところもないので、日がな一日、民宿のオンドルパンに敷いた温かい布団にもぐって、下関の古本屋で買った本を読みながら、時々、ウトウトと眠っていた。というような情景は、ぼくの旅の中でよくあるシーンの一コマなのである。  韓国への旅は、夕暮れ時の関釜フェリーに乗るまでの余剰時間を使って、下関の町をゆっくり散歩することから始めている。町を歩いていて必ず行ってしまう場所は、竹崎町3丁目の長門市場、リュックを背負ったまま何度も行ったり来たりしている。その先の古書館専門店『ころんぶす』という古本屋、ここでは長居をして旅の中で読む一冊の本を買う。ぐるっと町を回って『ベレー』という渋い喫茶店に立ち寄りコーヒーを飲む。年の暮れも押し迫った下関には、なぜかいつも冷たい雨がかすかに降っている。

韓国で描いていたスケッチの話から始めよう。
今年の正月は例外に暖かくて動きやすかったのだが、韓国の冬はいつも厳しかった。 どんな状況であれ、100%純粋に現場で仕上げるぼくのスケッチは、この寒さのために置いた色が一瞬のうちに画面上で凍ってしまうこともあったし、水を絵の具と混ぜているとジャリジャリとシャーベットのようになってしまうこともあった。それでも構わずに手の動くかぎり全速力で描いているのだが、最中はあれだけ激しく動いていた手が、描き終えたと思ったと同時に全く動かなくなったこともあった。そんな自然の技、無意識的なものが現れては描いていた、つまり風景がぼくの中を通り過ぎて描いていたとしか言いようのないスケッチが日記と同じようにずいぶんたまってしまった。
見知らぬ土地を歩いて、そのエモーショナルなリズムを感じながら、気軽にスケッチをする。これがぼくの旅であるはずなのだが、韓国の冬の旅は、スケッチ同様、そう軽快にはいかない。軽やかな清風にのって空高い軌道を飛ぶわけにもいかない。シャングリラは、限りなく大地に接近することにより、時折、偶然のように見いだすことのできるものかもしれない。
  寝台特急『あさかぜ』、下関、対馬海峡、そして朝鮮海峡をゆっくり越えて釜山港にたどりつく頃には、すっかり東京の時計を忘却、現実の埓外に入り、旅の気分の充実があるが、そこから見ることになる隣の国の港町の風景は、しぶとくて、したたかで、やさしくて、パワフルで、アノニマスで、予断を許さず厳しいのである。
土と魚の匂いのする迷路のようなバザールを歩き回り、虚飾のないたくましい人間の生活風景を見ていると、どうもその中にシャングリラがひそんでいる気配を感じる。スケッチを紹介しながら、そのアース・ビートの色調をゆっくりさかのぼってみよう。

 


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