VOL.5
MYANMAR  photo and sketch by Kiichi Suzuki

MYANMAR



《マンダレー》
イラワジ河に浮かぶ豊かな小島、この美しい場所に案内してくれたのは、一日中、マンダレーの町を案内してくれた49歳のリキシャーだった。すっかり陽がくれて、ホテルに帰ろうとすると、「家によってお茶を飲んでいけよ」といってぼくを見つめる。彼の家は、細い木で組み立てられた粗末なバンブーハウス(竹の家)であった。8人家族、家賃は月200チヤット、国から借りているのだといった。


《パガンの集落》
イラワジ河に浮かぶ小さな島にあるテイワンの家を訪ねることになった。
舟を川岸の木杭につないでから、テイワンと三人で白い牛の群れる草原を歩いていく。美しい草屋根の集落が見えはじめ、思わず立ち止まってため息をついてしまう。牛たちは草をはんでいる。
エイミューが日が暮れるよと、ぼくの腕を引っ張る。

《イラワジ河のスロウボート》マンダレーからパガンに向かうスロウボートに乗った。27時間、ミヤンマーの南北を流れているイラワジ河を下っていく。
夜明け前を行くボートのカフエーに座って紅茶を飲んでいると、数えきれないほどのパゴダが見えてくる。デッキには、土地の人たちだ所狭しと布を敷いて座っている。彼らは、雨が降ると急いで荷物をまとめてデッキの中央に立ちつくさなければならなかった。


《ラングーンの宿》
この絵を見るたびに、この部屋の外に降っている激しい雨の音が聞こえてくる。

イラワジ河に浮かぶ小さな島、……その島にあるテイワンの家を訪ねてから、もう7年が経ってしまった。
テイワンのボートで、夕暮れ時の河を渡った。エイミューという11才の島の少年が、テイワンと一緒に事もなげに帆を操っている。刻々と陽が落ちていくイラワジ河を背景に、いつからか水底から立ちあがるように途方もなく深い歌が聴こえてきた。あの風がうたわせた彼らの歌は今もぼくの中で消えない。きっとパガンの土地に生まれ、ずっとうたい継がれてきたのだろう。半ズボン姿のぼくは、ボートから両足を河に突っ込んで、その古い歌を静かに聴いていた。 舟を川岸の木杭につないでから、三人で白い牛の群れる草原を歩いて行くと、遠くに美しい草屋根の集落が見えはじめた。その美しさに思わずうれしくなって、少し歩いては立ち止まり、また歩いては立ち止まって集落の風景を見続けていた。
テイワンの家はその集落のほぼ中央で、訪ねると姉のエイワンと妹のサンサンワーがいた。彼女たちは、かすかにほほ笑みを浮かべながらぼくを受け入れてくれる。パガンの町に仕事で出かけた父親はまだ帰っていなかったが、4人家族だと言った。
テイワンに誘われるまま家の中を見せてもらった。家は高床式になっていて階下には牛がいる。階上には4人用の寝室、そして納戸と干し草の積まった物置があった。寝室の竹床の上には、さらに細い竹で編んだカーペットが敷いてある。狭いながらも夜具がきれいに片付けられ、木の衣装箱が4つ置いてあり、掃除も行き届いた気持ちのよい部屋だった。部屋の中央には細い柱が棟まで伸びている。この寝室から60センチ位下がった中二階に、台所と食堂兼居間が一体となった細長いファミリースペースがある。外からの進入はここからで、ぼくは高さ約 1.5メートルのはしごを登ってこの家に入った。台所には珍しい鉄器、小さな石うす、水瓶が3つ、秤、食器の陶磁器は壊れかけたものも使っている。炉の近くには薪が積まれていて、母親代わりのエイワンは鉄筒を使って火をおこしていた。食堂の壁には狩猟道具と大工道具が掛けてあり、竹床には豆の入った大きな袋が3つと米袋が置いてある。
竹を網代に編んである壁からは、かすかな光が漏れて、そこからわずかに微風を感じる。入口からは時折、鳥も入って来るので驚いてしまう。竹の床に座ってお茶と甘く煮た豆をごちそうになりながら、自然とともにある彼らのすみかを興味深く見回していると、姉のエイワンが手を上に動かしながら教えてくれた。
「この家の屋根はサッケーというのよ。私とサンサンワーが二人で編んだものだわ」
テイワンが軽くうなづく。
自分の家の草屋根は自分たちの手で編む、と水が流れるようにいったエイワンの言葉の中に、ぼくは人が住むこと、人が生きていくことの基本的な態度ともいうべきものをやさしく伝えられたと思った。そこには過不足のない等身大の生活の純真さ、簡素さ、手軽さ、そして日々天体の運行とともに生きる楽しさと静かな安心感があった。

 


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